取材日記

2012年 1月某日熊本

 日本列島を大寒波が襲った1下旬、レミオロメンの曲が頭をよぎるような粉雪舞い散る中、今年最初の取材先となる熊本へと向かう。
 1件目は菊池市の漆芸家、戸田友行さんを取材する。専門の職人によって分業で制作される『輪島塗』などに対し、木地作りから仕上げまで120を有に超える工程のすべてを、一人で手がける若き漆芸家である戸田さんだが、その工房にあるCD棚には、大量のマニアックなジャンル(プログレ)のCDが・・・。『チャイナ』と呼ばれる陶磁器に対し、『ジャパン』と呼ばれる漆器の魅力を、もっと多くの日本人に知ってもらおうと、個性的な作品を生み出す戸田さんならではのマニアックな性格の一端が、そこに表れていた。
 2軒目は、名店の誉れ高いイタリアンレストラン「リストランテ・ミヤモト」のオーナーシェフ、宮本けんしんさんを取材する。宮本さんは19歳でイタリアに渡り、ミシュランの星つきレストランなどで8年間修行。2006年に現在の店をオープンし、地元・熊本らしさを魅力とする料理を提供する傍ら、生産者と協働し食文化の向上にも尽力。2011年に、以前取材した石垣島の「辺銀食堂」の辺銀暁峰さんも受賞した「料理マスターズ」に選出される。宮本さん曰く「イタリア料理という名の料理はこの世に存在しない。都市国家の集合体であるイタリアは地方ごとに料理が違う」そう。故に宮本さんの料理もイタリア料理ではなく言うなれば郷土料理となる。その本質は番組本編で詳しく。
 3軒目は、美術的要素の高い家具や茶道具などの木工芸を製作する木工芸作家、甲斐武さんを取材する。甲斐さんは木を組み合わせて作る指物や、薄くした板を丸めて作る曲物、そして、1本の木を刳りぬいて作る刳物といった技術を駆使して、家具や茶道具、お椀などの日用雑器までを製作、数々の木工展での受賞歴を誇る。「もともとモノ作りに興味があり、最初は日曜大工でテーブルなどの家具を自分で作っていたのですが、木工の世界はやればやるほど奥深く、いつの間にかのめり込んでしまい、職業と呼べるようになるまで独学で勉強をしてきました」。その作品一つ一つの洗練されたデザインと木目の美しさと肌触りは、「好きこそものの上手なれ」という諺の域を超えた、ため息の出るモノだった。


12月某日宮崎・鹿児島

 年の瀬も押し迫った12下旬、今年最後の宮崎、鹿児島取材へと向かう。
 宮崎取材の1軒目は、飫肥名物「おきよせんべい」を製造する「おきよせんべい松家」の三代目、小玉和則さんを取材する。手焼きで焼かれた2枚のせんべいを重ね合わせ、その中に上質の砂糖で作った飴を塗る「おきよせんべい」。飫肥の城下町ならではの風雅さと素朴な味、そして、舌触りの良さから、地元の人からは赤ちゃんの離乳食としても重宝されているそうだ。
 2軒目は、旬の蜜を求めて、ミツバチと共に沖縄から北海道までを渡り歩く「転地養蜂」を行い、新鮮で糖度の高い蜂蜜を提供する「西澤養蜂場」の代表、西澤康全さんを取材する。国内で最大規模の養蜂場を経営する西澤さんが蜂の数にこだわるのは訳がある。それは蜜蜂が吸う花の蜜の80%は水分。蜜蜂や幼虫の体温、そして運動熱で水分を蒸発させて蜜の糖度を高めていく為には、より多くの蜜蜂の数が必要だということ。現在、直売所が宮崎に3軒。蜂蜜の他、ローヤルゼリーやプロポリス、蜂蜜を使ったソフトクリームなどが販売されている。
 宮崎取材の最後は、地元のブランド牛「宮崎牛」を専門に扱う宮崎牛第一号指定店、「焼肉の幸加園」の代表、長友幸一郎さんを取材する。長友さんは、「良いモノは宮崎でも売れる」と、どの店よりも早く、東京などの大量消費地に売られていた「宮崎牛」に注目。以来、自らセリにも立会い、自らの目で吟味した「宮崎牛」のみを客に提供する。店一杯に飾られた食通たちの色紙の数が、美味さの証明のようだった。
 鹿児島取材の1軒目は、原木より製作し、最後の皮貼り、仕立てまで1本の三味線を手掛ける「三弦 喜匠」の花田裕二さんを取材する。伝統工芸的手法で三味線を製作し続け、県外からの注文も多く、業界内で頼られる存在の花田さん。「姿形が良いものは鳴りも良い」という言葉に、伝統工芸の真髄を見た気がした。
 2軒目は、鹿児島の料理文化を、その中心となって支えてきた老舗料亭「料亭 鶴家」の代表、小山雄三さんを取材する。創業100年の歴史の中で、数多くの料理人がここを巣立ち独立。後輩たちの指導者として活躍しているという小山さん。そんな鹿児島随一の老舗としてのプライドから生まれる安心できる料理とサービスは、他の追随を許さない。
 宮崎・鹿児島取材の最後は、鹿児島の名産品「知覧茶」の生産者、後藤正義さんを取材する。後藤さんは、知覧茶のブランドが確立していない頃から、地域の特性を活かした知覧茶の生産に取り組み、茶の全国大会や品評会にも積極的に参加。3度の農林水産大臣賞を受賞し、知覧茶の名を全国に広げることに成功する。「ただ良い商品を作るだけではなく、知ってもらう為にできることを考える」。その柔軟な姿勢は、69歳になった今でも衰えることはない。


11月某日福岡

 例年より遅く山々が本格的に色づいた11下旬、福岡取材へと向かう。
 1軒目は、八女市星野村で80年間途絶えていた星野焼を再興した「源太窯」の陶工、山本源太さんを取材する。天体をモチーフにした器作りに取り組むなど、「惑星を焼く男」との異名も持つ山本さん。お茶を注ぐと金色に輝く星野焼伝統の夕日色をした茶器など、その幻想的な作品の数々は、一見の価値有り。
 2軒目は福岡県内一のにんにく生産量を誇る「松尾農園」の松尾高生さんを取材する。安心、安全を追求した生産技術にこだわり、有機質肥料を使用し農薬を使わずに、仲間と一緒に博多八片にんにくを生産し続ける松尾さん。現在32歳という若い発想で作られた、にんにくドレッシングも人気となっている。
 福岡取材の最後は、大牟田市で、本格炭火焼きによる焼鳥専門店として、地元のみならず日本全国のファンから愛されている「やきとり二番」の女将、山下喜代子さんを取材する。表面はカリカリで中身はトロトロの名物、炭火焼き豚足の他、1本55円というリーズナブルな価格で焼鳥を提供し続ける山下さん。それは山下さんの優しい人柄が多くの仲間を惹きつけ、実現可能としているモノだった。


10月某日大分

 秋風漂う10下旬、大分取材へと向かう。
 1軒目は、彩りも鮮やかな日田のご当地グルメ、「ひたん寿司」を提供する「彌助すし」の主人、三隈勝洋さんを取材する。名物「たか菜巻」を中心に、鮎や鰻、季節の野菜などを握った「ひたん寿司」。
ただの創作寿司と思って口に運ぶと、良い意味で裏切られるので要注意!
 2軒目は、湯布院で家庭的なイタリア料理を提供する「イタリア家庭料理&カフェ 南風」のシェフ、田井正宣さんを取材する。「イタリアでは町ごとに地元の食材を使ったレストランがあり、家庭的な雰囲気の中で地域の味が楽しめる」と、イタリア留学から戻ってきた後、地元の食材を使ったイタリア料理で客をもてなす田井さん。雰囲気も一緒に味わうその料理は、湯布院の新たな名物となっている。
 大分取材の最後は、落ち着いた和風造りの座敷で、由布岳を眺めながら食事を楽しめる湯布院の老舗割烹店「割烹サトウ」の主人、佐藤照次さんを取材する。地元の新鮮野菜と豆腐が入った名物の地鶏鍋を、手作り柚子胡椒で味わってもらうなど、湯布院の味を伝え続ける佐藤さん。周囲の環境が目まぐるしく変化していく湯布院において、あえて逆行するようなその料理たちは、訪れた人の心を和ませるものだった。


9月某日沖縄(石垣島)

 秋の気配漂い始めた9月下旬、時間を巻き戻したかのように、いまだ夏真っ盛りの沖縄・石垣島取材へと向かう。
 1軒目は、沖縄・八重山地方の伝統工芸品「ミンサー織り」や「八重山上布」などを製造する「みね屋工房」の代表、高嶺幸子さんを取材する。「風土を染め、ロマンを織る」を織りの心とし、地元に根付いた手織りの文化を守り続ける高嶺さん。「想いを込めて織っています」という、その布は、どれも味わいのある風合いと、素朴で温かみのある美しさを併せ持っていた。
 2軒目は、食べるラー油の元祖「石垣島ラー油(石ラー)」の製造で知られる沖縄料理店「辺銀食堂」の代表、辺銀暁峰さんを取材する。中国・西安に生まれ、中国を代表する映画監督、チャン・イーモウ氏のもとでスチールカメラマンを務めた後に来日。雑誌編集者であった日本人の愛理さんと結婚後、99年に石垣島へと移住した辺銀さん。その激動の半生が映画化される予定もあるそうなので要チェック。
 3軒目は、緑溢れる3千坪もの広大な敷地に、大小様々な古民家を移築して造られた石垣島随一の老舗郷土料理店「八重山郷土・海鮮料理 舟蔵の里」の主人、元村賢さんを取材する。訪れた人に「八重山の文化に触れて欲しい」と、八重山の古き良き原風景を今に伝える細かな演出が施された空間で伝統料理を提供する元村さん。夜は、そんな店で八重山の文化の縁の一端を感じることができた。感謝。余談だが、不器用な?日本を代表するアノ俳優も店の常連とのこと。
 翌日の1軒目は、有名スナック菓子でも使用されている100%海水の海塩を生産する「石垣の塩」の東郷得秀さんを取材する。豊かな海を育てる石垣の山々やマングローブ林の保全にも力を入れ、後世に続く「石垣の塩」を作り続ける東郷さん。その塩は自然のままに作っている為、季節によって味が違うそう。味わい比べてみても面白い。
 そして、石垣島取材の最後は、沖縄のブランド鶏として認定された「石垣黒鶏」を生産し、提供する専門店「石垣黒鶏の店 うるずんの風」の代表、新城師忠さんを取材する。「石垣黒鶏」は、世界が認める、厳選された素材を石垣島の豊かな自然と風土で育てた安心・安全な高品質鶏肉。鍋や麺料理との相性も良い為、シーズンオフの石垣島の新たな楽しみの一つになりそうだ。


8月某日長崎

 終わり行く夏の太陽の陽射しが照りつける8下旬、長崎取材へと向かう。
 1軒目は、創業86年を誇る、長崎では希少なふぐ料理専門店「ふぐ割烹 新富」のオーナー、堤新一さんを取材する。ふぐと言えば、下関が有名だが、実は長崎のふぐの漁獲量は、天然、養殖を合わせて、年間2300トンと全国一。取扱量が全国一の下関のふぐの7割は、長崎から送られていると言う。「この現実を長崎の人も知らず、笑い話のようですが、長崎からわざわざ下関までふぐを食べに行く人が多いんですよね。もっと長崎のふぐが知られるようになるのが私の夢です」。地元の食材で調理できる利点を活かした「新富」のふぐ料理は、高価なイメージのあるふぐ料理の概念を覆すような低価格。落ち着いた雰囲気の店内で、ふぐは長崎と言われる日を夢見る堤さんが提供する"本場"のふぐ料理。そして、その温かい人柄にも是非、触れて欲しい。
 2軒目は、本場ドイツ式のハムの製造方法を守り続ける「土井牧場ハム製造所」の代表、土井英博さんを取材する。大正時代に日本に帰化したブッチングハウス氏から栗原安太郎氏に伝えられた秘伝の製法を受け継ぎ今に伝える土井さん。そのハムは澱粉や小麦粉、防腐剤を使わず、伝承の技のみで絶妙な味と香りを生み出している。「私どもの製法は、100年前のから伝わるモノですから、現在のドイツでもやっていないモノなのかも知れません。しかし、効率を求めるのではなく、やはり良い商品を作り続けていれば、必ずお客様は分かって下さいますからね」。土井さんは脂肪の多い、日本の豚では不可能な生ベーコンも製造。ちょっと贅沢な時間を演出したい時に傍に欲しい。
 3軒目は、熱々の鉄板にのった、厚さ4センチはあろうかという、デミグラスソースのハンバーグが人気の喫茶店「バイロン」のオーナー、水本勝彦さんを取材する。「私たちの時代は喫茶店によく行っていましたよね。そんな喫茶店の雰囲気が大好きなんです」と、約30年前に念願の喫茶店をオープン。以来、人から人へと看板メニューのハンバーグの美味しさが口コミで広がり、今では地元のみならず、県外からも多くの人が、その味を求めて、「バイロン」に訪れるそう。「ハンバーグは焼きを入れて保存するのではなく、すべてお客さんが来てから焼きを入れています。時間はかかるのですが、その方が絶対に美味しいですからね」。古き良き喫茶店の風情を残す店内で、決して手を抜かず、青年時代に自らが感動したという喫茶店のハンバーグの味を再現する水本さん。しかし、ハンバーグは老若男女を問わず、人の顔を笑顔にしてくれる。



7月某日佐賀

 入道雲が青空にモクモクと立ち昇る7月下旬、佐賀取材へと向かう。
 1軒目は、昭和28年創業の唐津の老舗旅館「水野旅館」の立花研一郎さんを取材する。約400年前に名護屋城から、唐津湾を望む当地に移築した武家屋敷門が客を迎える「水野旅館」の魅力は、そのロケーションもさることながら、素朴な温かさのある唐津焼の器に盛られた、玄界灘の新鮮な海の幸にある。「唐津は料理が発達しないと言われるのですが、それは、素材が良いので生で出した方が美味しいからなんですよね」。しかし、「水野旅館」の料理の魅力は、日本料理の基本である出汁へのこだわりなど、素材の良さだけではない。その味を確かめたい方は、宿泊せずとも料理のみが楽しめるので、是非、お試しあれ。
 2軒目は、「松露饅頭」で知られる和菓子店「大原老舗」の6代目、大原潤一さんを取材する。北海道産の小豆を使った、きめ細やかな良質のこし餡に、小麦粉、砂糖、卵から作ったカステラ生地をかけながら、一つ一つ手焼きで真心込めて焼き上げられた「大原松露饅頭」。「手焼きの方が美味しいのは当たり前ですから、こだわりとも思っていません」と、決して機械化されることのない、手焼きの温かみのある素朴な味は、取材中も多くの人たちが買い求めていたように、唐津土産の定番として愛されていた。ちなみに、「松露饅頭」は、凍らせる、油で揚げる、カステラの部分のみ先に味わうなど、様々な楽しみ方があるそう。チャレンジして下さい。
 3軒目は、西洋的なジュエリーの技術と、日本古来の彫金技術を融合彫金家「花鏨(たがね)」の有馬武男さんを取材する。有馬さんは以前、東京・銀座の宝飾店でジュエリーデザイナーをしていたそうだが、デザインと完成品とイメージにギャップを感じ、自ら彫金の技術を体得。築190年の古民家にアトリエを構え、その両方の技術を兼ね備えた作家として、時代を超越した和のスタイルを追求している。「作品に自分で責任を持ちたいというのはありますよね」。ちなみに、彫金は鏨を駆使しながら模様を掘り出していくのだが、その鏨を金に打ち込む音で、腕の良し悪しが分かるそう。まだ35歳...その音は、これからも、さらに美しい音を奏でていくことだろう。


7月某日熊本

 梅雨明け間近の7月上旬、熊本取材へと向かう。
 1軒目は、「ろうけつ染め」の技法で染色工芸品を制作する「染工房明美」の高津明美さんを取材する。高津さんは季節、時間によって表情を変える阿蘇の雄大な自然に魅了され、その阿蘇をテーマに作品を制作。20歳から作品を作り続け、今年で43年になるキャリアの中で、公募展の頂点である「日展」で26回入選、特選を2回受賞し、昨年は日展審査員を務める。「液状に溶かしたろうで模様を布地に描き、染色後にろうを取り除くろうけつ染めの技法で、これまで数々の阿蘇の風景を描き続けていますが、その魅力は尽きることがありません」。その鮮やかな色合いとダイナミックな構図で多くの人々を魅了する高津さんの話からは、熊本県人にとっての阿蘇は、鹿児島県人にとっての桜島のように特別な存在であることが伺えた。
 2軒目は菊地市で、こだわりの竹炭製品や竹酢液を製造販売する「明るい農村」の末廣勝也さんを取材する。今年、某TV番組のボランティア企画で、ネパールまで炭焼きの技術を教えに出かけたという末廣さんは、それ以前も中国やミャンマーへ無償で技術を教えに出かけるなど、教えを乞う人には惜しげもなく、持てる全ての技術を教えているという。「竹炭は原材料の要らない商売なんです。現在は放置竹林の問題が叫ばれていますが、竹炭を焼くことで竹林も綺麗になる。資源的にも環境的にも、こんなにイイことはありませんよね」。現在は、後継者を募集中という末廣さん。志のある方は是非。
 3軒目は、山鹿市の伝統工芸品、山鹿傘の火を唯一守り続ける傘職人「傘屋崇山」の吉田崇さんを取材する。山間に軒を構える風情ある古民家で、50本もの幾何学的な骨組みと、柔らかな筆の線などが独特の温もりを醸し出す山鹿傘を製作する吉田さん。「型破りは型の基本があってこそ。そして、良い傘、悪い傘は僕が決めることではない。買う人が決めること」と語る吉田さんが、この道へ進むことを決定付けたのは、ある人物との出会いがあったから。そのある人物との感動秘話は放送の本編で。ちなみに、その話を伺った成瀬香の目からは、傘が必要なほどの涙が溢れていた。


6月某日宮崎・鹿児島

 梅雨の雨が力一杯、降りしきる6月中旬、宮崎・鹿児島取材へと向かう。
宮崎取材の1軒目は、今年4月にオープンしたフランス料理店「日仏食堂ルンヌ」のオーナーシェフ、田中健治さんを取材する。田中さんは21歳でフランスに渡り、多数の店で経験を積んだ後に帰国。帰国後も様々な店舗で技術の研鑽に励み、「ぐるなびシェフ BEST OF MENU 2009」TOP10に入賞するなど、将来を嘱望される若手フレンチのシェフとして注目されている。「この店は日常で楽しめるフレンチを提供したいとオープンしたんですよね。ですから気軽に味わってもらおうと、料理の値段を低価格に設定し、ナイフやフォークを使わずに箸で食べられるように工夫しています」。自らを「尾崎豊世代ですから」と語る田中さん。既存のスタイルに捉われない、そのフランス料理は、まさに尾崎豊を彷彿とさせる?体制への反骨精神から生み出されていた。
 宮崎取材の2軒目は、囲碁の碁石を入れる器、碁笥(ごけ)を製作する九州で唯一の碁笥専門店「元吉製作所」の3代目、元吉弘行さんを取材する。元吉さんは、「宮崎ろくろ工芸」の名称で伝統工芸品の指定を受ける碁笥製作の伝統技を先代の父から受け継ぎ、自然の木目を最大限に生かした碁笥を製作。中国製品の台頭で市場が縮小する中、その芸術性で他商品を圧倒する。「南九州は綺麗な桑(くわ)や欅(けやき)の木が多いですから、その素材の良さを損なわないように、きめ細かな作業を行う為の刃物製作や研ぎ方の技術も同時に深めています」。元吉さんは「師匠から邪道と言われようが、木の魅力が多くの人に伝わるのであれば作っていきたい」と、現在、碁笥以外にも装飾用の木のサッカーボールや、木とガラスと組み合わせたオリジナル製品なども製作。ここでも既存のスタイルに捉われない柔軟な発想が、新たな木工製品の未来を切り開いていた。
この日の夜は、都城で、以前取材した鹿児島の「沖田牧場」の黒豚が味わえる店で、黒豚料理に舌鼓。ダイエット中の花村勇作の心を折ることに見事、成功する。割と簡単に折れるのだが...。
 翌日、鹿児島取材の1軒目は、緑豊かな姶良市で手漉き和紙の工房「さつま和紙WAGAMI工房」を主宰する小迫田昭人さんを取材する。小迫田さんは和紙に屋久杉を細かく砕いたチップや孟宗竹の皮など、鹿児島ならではの素材を使用、独特の世界観を持つ和紙を漉く。「紙を漉く時に繊維が踊るのがとても美しいんですよね」。サラリーマン時代に紙漉きの魅力にとりつかれ、木と紙の文化ともいえる日本文化の根源に携わる仕事である紙漉き職人に転職した小迫田さんは現在、和紙が柔らかな間接光を生むランプやタペストリーなど、和紙の概念に捉われない様々な和紙製品を製作。その紙の温もりが感じられる様々な和紙製品は海外でも高い評価を受けている。「念ずれば通ずるという言葉が好きなのですが、突拍子のないことでも考え続ければモノになるんですよね」。やはり宮崎の匠たちと同じように、小迫田さんの頭も柔らかい。
 鹿児島取材の2軒目は、薩摩焼の絵付けの第一人者である「薩摩金襴手(きんらんで)絵師」の廣田実雪さんを取材する。薩摩焼は生活用品に使われる「黒薩摩」と。薩摩藩の献上品として豪華な絵付けをした「白薩摩」に分類されるが、廣田さんは「白薩摩」の中でも金をふんだんに使った「金襴手」という技法で観賞用美術品を製作。その作品はイギリスの「大英博物館」、「九州国立博物館」などにも収蔵されている。「小さい頃から絵が大好きで、始めは沖縄で赤絵の勉強をしていたのですが、大胆な構図が魅力の沖縄の赤絵は、細かい絵が好きな自分の性格には合わず、昭和53年に鹿児島に移住し、この金襴手の技法が駆使された白薩摩と出会ったんですよね。その繊細な作品を一目見て、これは絶対に後世に残していかなくてはならないと感じました」。確かに廣田さんの作品を一目見た取材陣の口から出た言葉は、ただ「ほ〜」という感嘆の一言。綺麗な言葉を並び立てるのが陳腐に思わせる程の、圧倒的な美しさを放っていた。ちなみに、そのお値段の方も、やはり「ほ〜」だった。
 宮崎、鹿児島取材のトリは、鹿児島の銘菓「あくまき」を製造販売する老舗「梅木商店」の3代目、梅木康博さんを取材する。蒟蒻を固める木灰汁に餅米を漬け込み、それを竹の皮に包んで蒸しあげ、白砂糖や黄粉などをまぶして食べる「あくまき」は、奈良時代に中国から伝来した「粽子(ちまき)」が鹿児島(薩摩)において、同じく中国から伝わった孟宗竹を用い、独特な形に変形した餅菓子。薩摩においては戦陣食として活用され、文禄・慶長の時代から西南戦争に至るまで、西郷隆盛などの薩摩藩士が食し、現在でも鹿児島の食文化として色濃く残っているという。「戦陣食という背景から、鹿児島では主に端午の節句に食べられていたのですが、今は1年を通じて食べられています。鹿児島の家庭料理ですので、それぞれの家庭の味があるんですよね」。「梅木商店」では、昔ながらの「あくまき」の味を電子技法と言う特殊な方法で再現。その味は、地元のみならず日本全国の鹿児島県出身者に愛されている。ちなみに、「梅木商店」は、「あくまき」以外に蒟蒻も製造しているのだが、シソ入り酢味噌で食べるその刺身蒟蒻も、これまで味わったことのない程の絶品。ダイエット中の花村勇作は、前日の夜のツケを「梅木商店」の蒟蒻で帳尻を合わせていた。


5月某日福岡

 梅雨入り間近の5月下旬、福岡取材へと向かう。
 1軒目は、流行を追い求めることなく、開店以来、洋菓子の王道を歩み続ける名店「フランス菓子 16区」のオーナーシェフ・三嶋隆夫さんを取材する。三嶋さんはヨーロッパで菓子職人としての修行を重ね、カトリーヌ・ドヌーブなどを顧客に持ち、フランスの16区に店を構える「アクトゥール」で日本人初のシェフを務めた後に帰国。福岡市の閑静な住宅街で「16区」の名を冠した自らの店をオープンさせる。以来、26年間、一切多店舗化せず、「自分の作ったモノは自分の目の届く範囲で売る」「鮮度を大切にする」というポリシーを貫いている三嶋さん。その迫力ある一語一語の言葉には、終始圧倒されっぱなしだった。ちなみに、三嶋シェフの代表作「ダックワーズ」と並び称される「ブルーベリーパイ」は、今が旬。焼立てを是非、一度味わって欲しい。
 2件目は、地元、博多の人のみならず、博多駅から徒歩5分にあるという場所柄、日本全国から常連客が足繁く通う創作料理の名店「味市春香 なごみ」の店主・渡邉太さんを取材する。渡邉さんは、辛子明太子と焼き鮭を組み合わせた「鮭明太」を考案。鮭の甘味と明太の辛味が絶妙に絡み合う「鮭明太」は、新たな博多の名物として人気を博している。「料理を創作する上で大事なのは、やはり基礎ですね。魚の調理法などの基礎を勉強していないと創作にはなりません」。渡邉さんは料理人だった父親の背中を見て育ち、高級料亭で修行した後に独立。基礎を大事にする、その父の背中を今も追いかけていると言う。「子どもの頃に見ていた父は格好良かったですからね」。その取材からは素晴らしい家族の姿も垣間見られた。
 3軒目は、福岡でその名を知らぬ者はいないフレンチの名店「メゾン・ド・ヨシダ」のオーナーシェフ、吉田安政さんを取材する。吉田さんはスイスのホテル学校を卒業後、日本のホテルオークラを経て、1970年に福岡で西日本初の本格的フレンチ・レストランをオープン。今もオーナーシェフとして腕を振るう傍ら、博多の食文化の向上を目的とした「博多食文化の会」を主催する。「オープン当時は、多くの人がフランス料理はフランス人が食べる食事という意識しかありませんでした」。そんな時代から、フランス料理を日本人の口に運び続ける吉田さん。今では東京で10本の指に入るフレンチのシェフの内、半分は吉田さんの弟子だと言われている。現在、70歳、「美味しくないものを食べている時間はありません」。本物だけが持つ迫力を、吉田さんからも感じられた。


4月某日大分

 初夏を感じさせるGWを間近に控えた4月中旬、大分取材へと向かう。
 1軒目は、日本で唯一、心の文字が入る町名を持つ安心院の郷土料理「すっぽん」を大正9年から提供する名店「料亭 やまさ旅館」の4代目、山上宜人さんを取材する。大正時代に政治家として活躍した木下謙次郎氏が著した、古今東西の食文化にも通じる食通本「美味求真」にも記され、また、昭和の文豪・松本清張が大分を訪れた際には必ず立ち寄ったというほど、多くの美食家たちの舌をも唸らせてきた伝統の味を受け継ぎ今に伝える山上さん。見た目のハンディを舌で納得させる為、美味しいを絶対条件に掲げるその味は、「食わず嫌いは人生の損」と実感させる滋味に富んだモノだった。
 2軒目は、全国八幡宮の総本社・宇佐神宮の影響を受け、かつて「六郷満山」と呼ばれた仏教文化が栄えた国東半島で、木工家具工房を主宰する「くにさき六郷舎」の恒成哲三郎さんを取材する。若い頃、5年間に約60もの国を放浪し、ドイツの合理的な家具作りに魅了され、現在の仕事を始めたという恒成さん。素性の良い北海道の木材と個性ある地元の広葉樹を使い、適材適所で使い分けながら、子どもから孫の代まで使用できる家具作りを目指している。「様々な国で色んなモノに触れてきた事で比較が出来るようになり、本物が分かるようになったと思います」。小物も使うほどに味がでるよう頑丈に、デザインも個性的に製作された恒成さんの家具を見ていると、「かわいい子には旅をさせろ」なんて諺を思い出した。
 3軒目は、風情ある昔ながらの街並みが残る杵築市の城下町で、蒸篭や篩などの生活に根付いた工芸品を製作する「萬力屋」の4代目、岡本秀昭さんを取材する。買って貰った商品を30年後でも修理ができる店でありたいと、代々、受け継がれてきた工芸の技術に磨きをかける岡本さん。その生真面目で丁寧な一つ一つの仕事は、地元のみならず、日本全国の多くの顧客たちに支持されていた。
 その後、以前取材でお世話になった、大分名物「とり天」発祥の店としても知られる「東洋軒」でお腹を満たす。「すっぽん」に「とり天」に…ついでに「海老チリ」と、お腹も大満足の大分取材だった。


3月某日長崎

 高速道路から見える山頂の雪がわずかとなり、春の訪れが近づいていた3月中旬、長崎取材へと向かう。
 1軒目は、佐世保市の小さな山あいにある「山中牧場」の山中幸治さんを取材する。山中さんは約90頭飼育している牛の健康を第一に考えた、こだわりの牛乳を生産。直接牧場から出荷する他、牧場の牛乳を使った生ジェラートの店を経営する。「実は私は牛乳を飲めなかったんですよね。そんな自分でも飲める牛乳をと考え、酪農の仕事を始めました」。そんな「山中さんちの牛乳」は、いわゆる濃厚牛乳ではなく、臭みのないサラっとした飲み口と、飲んでもお腹がゴロゴロしない安全で美味しい牛乳として高い評価を得ている。山中さん曰く、"牛乳らしくない牛乳"は、ぜひ牛乳嫌いの人に試して頂きたい。
 2件目は、京都の伏見人形、仙台の提人形と並び、日本三大土人形と称される長崎の古賀人形を製作する小川憲一さんを取材する。毎年5月頃に美しい花を咲かせ、「古賀の藤棚」の名で知られる老木の藤棚のある自宅の工房で、長崎の伝統工芸品である古賀人形の火を唯一守り続けている小川さん。「周囲からは歴史ある古賀人形の19代目という目で見られますが、意外にも仕事の中でプレッシャーや重みなどを感じたことはまったくありません。例えば農業や植木屋さんなどのように、ただ家業を継いだという感覚ですね」。小川さんは伝統を振りかざす訳でもなく、気負うこともない。それはどんな仕事でも一緒と、 ただ日々の仕事をキッチリとこなすことで、結果、古賀人形の伝統の火を守り続けていた。
 長崎取材の最後は、南蛮渡来の長崎の伝統菓子・有平糖を製造する老舗和菓子屋「千寿庵 長崎屋」の3代目、井上昌一さんを取材する。有平糖は砂糖に飴を加えて煮詰め、冷やして丸形・板状・棒形などに加工したもので、茶道の工芸菓子として美術的な技術が加えられている。「有平糖は昔からある南蛮菓子なのですが、カステラなどと違い地元の人でも知らない人が数多くいます。それを少しでも多くの人に知ってもらいたいと願い、日々努力しています」。この「千寿庵 長崎屋」は、長崎さるくで、町歩きを楽しくする為に設けられている「さるく見聞館」の一つ「有平糖見聞館」として店を公開。有平糖の歴史、製造行程、道具などが展示されているので、ぜひ一度足を運んで欲しい。


2月某日熊本

 肌寒い小雨降る2月中旬、熊本取材へと向かう。
 1軒目は、人吉の鍛冶屋「蓑毛鍛冶屋」の八代目、蓑毛裕さんを取材する。人吉は周囲を山に囲まれている為、林業用の道具の需要が昔から多く、今も昔ながらの鍛冶屋が数軒残っているが、蓑毛さんは、現在では珍しい黒い表面が刃先に残された「黒打ち」という技法を駆使しながら鎌や包丁などを製作。「現在は息子が九代目を継いでいますが、私が先代を越し、そして、また息子が先代である私を越していく。その繰り返しで今の蓑毛鍛冶屋があると思います」。そうして臨機応変に既製品では対応できない要望にも応え、蓑毛さんは江戸時代から続く伝統ある人吉の鍛冶屋の火を守り続けていた。
 2軒目は、同じく人吉に古くから伝わる伝統工芸品「きじ馬」「花手箱」「羽子板」などを製作する工房「宮原工芸」の宮原清光さんを取材する。その歴史は平家が壇ノ浦の戦いに敗れ、この地に居を求めた頃に遡るとされ、都で培われた芸道のへの憧れが、工芸品製作へと繋がったと言う。「今では花手箱や羽子板は女の子のお土産に、きじ馬は男の子のお土産として愛されています。子どもの玩具ですから一番気を付ける部分は安全です。口に入れても大丈夫なモノ、簡単に壊れないようなモノを、一つ一つ丹精込めて製作しています」。ちなみに「きじ馬」は時代と共に、その形も少しずつ変化。昔はどっしりとしていたが、現在ではスリムに格好良くダイエット成功したという。見習いたい。
 熊本取材の最後は、熊本市内の創作家具工房「BLANK」を主宰する木場祐一さんを取材する。木工には組手という板と板を接合する技術があるが、木場さんは熟練の職人でも困難だと言われる組手「捻り組」の技術を試行錯誤の末に体得。木のクセを読み、素材のらしさと自分らしさをコラージュして家具に表現する。「自分を表現したい、表現者でありたいと願い、一番、自分を表現できる木工の世界を選びました。バックボーンにあるのはオレオレですね」。そう笑いながら話す木場さんは、幼少の頃に転校を繰り返し、周囲に嫌われないように過ごしてきた経験が、自らのアイデンティティーを確立したいという欲求に繋がったと言う。「捻り組ではなく、いつかは木場組と呼ばれる技術を完成させたいですね」。今まで「公言したことを実現できなかったことはない」と言う木場さん。現在32歳、その未来が楽しみな匠だった。


1月某日佐賀

 おそと気分も抜けきった1月中旬、今年最初の佐賀取材へと向かう。
 1軒目は、神業とまで言われる有明海の伝統漁法ムツカケの技を受け継ぐムツゴロウ漁師、岡本忠好さんを取材する。糸の先に6本カギの針のついた5メートルの竿を自在に操り、1回の漁で約700匹のムツゴロウを仕留める岡本さん。平成7年には「ムツカケ名人」に選ばれ、商売としては厳しい時代となったムツゴロウ漁を、干潟を取り巻く文化として後世に残したいという想いを持つ。ちなみにムツゴロウ漁は6月から10月が最盛期。今年は5月29日に「ガタリンピック」が開催される「道の駅・鹿島」では、岡本さんの指導の下、ムツカケ体験も行っているそうなので、興味のある方は是非。
 2軒目は、佐賀の小京都と呼ばれる小城町の名産品、小城羊羹の元祖として知られる老舗和菓子店「村岡総本舗」の大家幸弘さんを取材する。外側が砂糖でシャリっと硬くなる食感と上品な甘さが魅力の「小城羊羹」。小城町では明治初期から羊羹作りが始まり、今でも28軒もの和菓子屋が軒を連ねている。「村岡総本舗では、材料に勝る技術なしを信念に、創業以来、素材から製法まで、妥協のない和菓子作りを続けています」。そんな「村岡総本舗」のサービスで驚かされたのは、全商品試食が出来ること。しかも1個1個が大きい・・・間違っても試食だけで満足してしまわずに、そこはちゃんとお買い上げ下さい。
 佐賀取材の最後は、有田の里山で、自給自足さながらの生活を送りながら有田焼を製作している「矢鋪與左衛門窯」の矢鋪與左衛門さんを取材する。矢鋪さんは機械ロクロや全自動の型モノで作られた器が中心の有田焼の世界で、今なお伝統の手ロクロ、蹴ロクロの技法を駆使。高度に熟練した技能者を認定する佐賀マイスターに認定され、有田窯業学校などで、その伝統の陶技を後進に伝えている。「やはり手で作ったものしか、手の温もりのある、人を癒す器は生まれてきません。『銀河鉄道999』の主人公・哲郎が、機械人間になりたいと願って旅立ったのですが、結局人間の体がいい事に気付いたように、やはり人間が作り出したモノの素晴らしさは機械では再現出来ません」。そう語る矢鋪さんの作る飾り気のない素朴な佇まいの白磁の器には、どこか人を癒す、温かくさせる魅力がある。ちなみにこの日、矢鋪さんには自家製の炊き込みご飯と豚汁をご馳走になった。その優しく心に沁みる料理からは、矢鋪さん人柄までもが垣間みることが出来た。ご馳走さまでした。


12月某日宮崎・鹿児島

 年の瀬も押し迫った12月中旬、一泊二日で宮崎・鹿児島取材へと向かう。
宮崎取材の1軒目は、全国でも数少ない手工マンドリン作家の一人で、「宮崎の匠」にも選ばれている「米丸手工マンドリン工房」の米丸健ニさんを取材する。米丸さんは「何世代にも渡って使われるマンドリンを作りたい」と約40年・・・イタリアの民族楽器であるマンドリン製作一筋に打ち込んできた人物。ヘッド部分に女神が彫られてあったり、ピックガードにアサガオの花が咲いていたり、「見て楽しい、弾いたら美しい」マンドリンを製作する米丸さんの夢は、「宮崎をイタリア・ナポリのようなマンドリン音楽が流れる街にしたい」とのこと。陽気な米丸さんの話を聞いていると、南国・宮崎とナポリの雰囲気が重なりあう。
 2軒目は、宮崎市内の中心街・通称ニシタチの四川料理店「Chinese table SHISEN」の料理長・財津広次さんを取材する。平成22年度の調理師関係功労者・厚生労働大臣賞に選ばれた料理長の財津さんが生み出す一つ一つ手作りにこだわった本物の味は、宮崎の代表する四川料理の味として多くの食通の舌をも唸らせている。「四川料理に青椒肉絲という料理がありますが、そこには必ず細切りにした竹の子が入っています。それは肉を油で揚げる時、水分の多い竹の子を一緒に揚げることで油を爆発させて、肉を柔らかくしているんですよね」。日本の四川料理店の先駆けである「赤坂四川飯店」の陳健民氏の弟子の下で培われた、その理論に裏打ちされた技術から生み出される四川の味...取材の楽しみとして、もちろん堪能させてもらった。
 宮崎取材の最後は、自家製の強力自然発酵による完熟堆肥のみで大切に育てられ、除草剤や消毒剤など、あらゆる農薬を一切使わない「さくら野菜」を生産。こだわりの野菜料理を提供するオーガニックレストランもオープンさせた「馬場農場 ポルトフィーノ」を主宰する馬場浩美さんを取材する。約5年前に亡くなられたご主人の「自分の食べられないものを売ってはいけない」という意志を受け継ぎ、生きた野菜を作り続ける馬場さん。現在は年間で40〜50種類の野菜を生産し、それは「さくら野菜」のブランドで九州では宮崎のほか、福岡、大分、鹿児島で販売されている。
 2日目、鹿児島取材の1軒目は、とりあえず笑ってしまうような大きさの鹿児島の名産品・桜島大根を生産する大野学さんを取材する。その味の良さでも、古くから日本人に愛されている桜島大根だが、ここ桜島の麓で、約30年も前から桜島大根を作り続けている大野学さんは、2003年に31.1キロの桜島大根作りに成功。それは世界一大きさとして、ギネスブックにも登録されているという。
 「鹿児島県人というのは、大きいのに憧れるんですよ。とにかく大きいモノ...とにかく大きいモノを
これからも目指していきたいと思います」。大きいモノに憧れる心...それは人のロマンだろう。雄大な桜島をバックに丹精込めて育てられた大野さんの世界一の桜島大根は、味だけでは語れない、人の心を動かす...ワクワクさせるモノだった。
 2軒目は、鹿児島ラーメンの老舗として知られる老舗「くろいわラーメン」の日高百合子さんを取材する。豚骨に鶏ガラを合わせた、あっさりとしていながら深いコクのあるスープに、焼ネギをトッピングした「くろいわラーメン」。それは県外に移住した人が、帰省の際、空港から直接食べに来るほど、地元・鹿児島の故郷の味として親しまれている。そんな「くろいわラーメン」の「自分が一番のファン」と自認する日高さん。「変わらない味を変えないように」と、いつまでも鹿児島県人の郷愁を誘う味であるように、その生涯を「くろいわラーメン」に捧げる素敵な女性だった。
 鹿児島取材の最後は、伝統ある川辺仏壇の飾りの技術を活かした金属工芸品「薩摩彫金」を製作する「木原製作所」の木原純信さんを取材する。木原さんは卓越した技術と洗練された造型感覚を、錫や金、銀、銅などを素材に酒器や小皿、アクセサリーなどに応用。それは、伝統的な職人の仕事の中から生まれた彫金工芸の新しい形として注目されている。「職人の仕事は作ることです。上を見ずにただただコツコツと作り続けるだけです」。島津公の時代から数々の卓越した工芸品を生み出してきた鹿児島県。その伝統は21世紀になっても途切れることなく、木原さんのよう人たちによって受け継がれている。


11月某日福岡

 山が鮮やかに色づく11月下旬、福岡取材へと向かう。
 1軒目は、那珂川町の豊かな自然に囲まれた場所で、科学物質を一切含まない微生物を加えた自家配合の餌で育てた鶏の卵を生産する養鶏農場「フジノ香花園」の藤野酬司さんを取材する。藤野さんのご好意で卵の味が一番分かるという卵かけご飯を頂いたが、その「金太郎卵」と名付けられた卵は臭みが全くなく、白身までもが旨い。一流ホテルのシェフやケーキショップのパティシエなど、大勢の料理のプロからも支持されているという理由が分かる。「鶏を元気に育てる。それしか考えていないんですよね」。健全な肉体に健全な卵(魂)は宿る。
 2軒目は、福岡の久留米市で最も有名なスィーツの店「銀のすぷーん」の代表、濱田哲さんを取材する。濱田さんは筑後地域で採れた農産物を使った商品を開発。生が一番美味しいというフルーツの鮮度にもこだわり、地産地消の取り組みも盛んに行っている。「味は作るな、迎えに行け」。そう師匠に教えられたという濱田さんの店のショーケースには、素材の声に耳を傾けて作られた極上のスィーツが並ぶ。当然だが、スィーツの世界にも旬があることを改めて思い知らされた。
 3軒目は、福岡市中心部で移動販売を行う自称、さすらいのカレー屋さん「あさだのカレー」の朝田浩司さんを取材する。「バリの魅力にとりつかれた」という朝田さんが作るカレーは、インドネシア料理が基本にある、ココナッツミルクと野菜がふんだんに使用されたカレー。その味を求めて、週に4回もお届けする客もいるとのこと。「味の基本は自分が旨いと思う味。本場の味を再現しようとは思わない」。そう語る朝田さんのカレーは、インドネシア料理と日本料理のイイトコどりをしたような、まさに贅沢な味のカレーだった。


10月某日沖縄

 福岡は肌寒さを感じるようになっていた10月中旬、沖縄取材へと向かう。
予想はしていたがまだまだアロハシャツが全盛だった。いそいそと上着を脱ぐ。
1件目は琉球舞踊には欠かせない「花笠」を製作する新垣孝さんを取材する。
鮮やかな衣装に負けない華やかさを持った花笠は、琉球舞踊の女踊りで使われる笠で、戦後初めてその花笠を作ったのが新垣さんの父親だったそう。踊りにはターンがある為、花笠は360度どこから見ても凹凸がないように仕上げなければならないという難しい技術が求められるが、現在、新垣さんは父親を継ぎ、試行錯誤を繰り返しながら花笠を製作する数少ない職人として活躍している。
工房には、父親が作ったという花笠が飾られていて、それは新垣さんを見守っているかのようだった。
 2件目はアメリカ統治時代に誕生し、現在も沖縄の歴史・人・文化を見守り続けるデイゴホテルの宮城悟さんを取材する。ベトナム戦争当時、沖縄市(当時のゴザ)の多くのホテルがそうだったように、デイゴホテルも戦地へ向かう米軍兵士の中途宿泊ホテルとし利用された。
しかし、時代は流れ米軍関係の利用が減る中、観光客、ビジネス客、合宿の誘致などに営業方針を転換。
現在は「上質のB級ホテル」として、多くの観光客に愛されている。驚くのが旅行代理店などを通した予約はほとんどないらしく、お客のほとんどがリピーターだという。実際にそんなデイゴホテルの魅力を味わうべく泊まって行きたかったが、そうも行かず、次の取材先へ向かう。
 3件目はやんばるエコツーリズム研究所の中根忍さんを取材する。
中根さんは、ホテルマンから観光専門学校を経て、東村エコツーリズム協会を設立・初代会長となる一方、やんばるエコツーリズム研究所を設立。現在は国頭村安田の海・山・川で活動している。中根さんがエコツーリズムを始めた頃は地元住民に「何をやってるんだと」、白い目で見られたそうだ。
しかし、エコツアーでの収益を地域に還元して行く中、徐々に理解されるようになり、今では地域の皆さんの自然を守ろうという意識も向上。団結して地域活性を目指そうという動きになってきているそうだ。取材が終わると、中根さんが言った。「ヤンバルクイナを見てみますか?」。もちろん見たい。是非見たい。
案内してもらったのは住宅地のすぐ横にある林だった。ヤンバルクイナは意外にも地元住民と共存していると言ってもいいようだ。懐中電灯を手に林の中を探してくれる中根さんだったが、残念ながらヤンバルクイナの姿を目にする事は出来なかった。後ろ髪を引かれる思いで宿泊先のホテルに戻った。
 2日目は、沖縄を代表する織物素材、芭蕉布の伝統を守り続ける、平良美恵子さんを取材する。芭蕉布は沖縄特産の糸芭蕉の繊維を織った布で、昔から庶民の普段着として親しまれていたモノ。
他の繊維より軽くて涼しいという、沖縄の気候に最適な素材だ。しかし生活様式は変化し続け、その文化も衰退。現在糸芭蕉の栽培から織りまで一貫して行っているのは喜如嘉だけだそうだ。平良さんは糸芭蕉の畑を案内してくれた。人間の背丈よりはるかに大きい糸芭蕉。
刈り取りを行うのは目安などなく全てが感覚という。そして台風による被害も少なくないそうで、
全ての工程を手がける苦労は計り知れない。しかし、平良さんはそれを苦労とは思っていないようだ。
むしろ誇らしげに言っていた。数ある伝統工芸の中で、全ての工程を100%地元で、地元の人の手で完結させているのは、芭蕉布しかないのではと。
沖縄取材の最後は、海洋博公園 沖縄美ら海水族館の館長・内田詮三さんを取材する。
入場者数日本一、世界初の試み、世界一の施設を誇る海洋博公園 沖縄美ら海水族館。
その立役者となったのが内田さんだ。東京外語大学卒という経歴を持つ内田さんだが、デスクワークは向いていないと、父親が営む水族館で働くように。それから常に上を見続け、40年前から今や当たり前となっている笛を使ったイルカの調教も行っていたそうだ。陸上の動物にもはや未知の存在はあまりないが、海には人間が知らない未知の世界がまだまだあるという内田さん。だからこそ、ジンベエザメやマンタといった謎の多い生き物を飼育出来るた幅35m、奥行き27m、深さ10m、水量7500tという巨大なパノラマ水槽を完成させたのだ。そして大小77もの水槽には、他では見ることが出来ない貴重な生物が飼育されている。
それだけじゃない。人間は大きい生き物が好きだと言う内田さんは、まだまだ巨大なモノを夢見続けている。
あと少しでジンベエザメが垂直になって食事をする姿が見れますよと、教えてもらったが、
帰りの飛行機の時間もあり、泣く泣く美ら海水族館を後に。
でもそれも良しとしよう。今度来る時はまた内田さんが新しい挑戦を形にしているはずだから。


9月某日長崎

 いまだ真夏を思わせる陽射しが降り注ぐ9月上旬、長崎取材へと向かう。
1軒目は長崎市役所の地下にあるレストラン「ル・シェフ」の坂本洋司さんを取材する。現代の名工の称号を持ち、坂本龍馬が長崎で食べたと思われる西洋料理のメニューを再現するなど、長崎を代表するシェフとして活躍する坂本洋司さん。長崎の有名料亭やホテルのフレンチのシェフとして腕を揮った後、当時の市長の依頼で、この店を開いたそうだが、その味とボリュームは、とてもワンコインで楽しめるとは思えないほど贅沢なモノ。今では市役所で働く人のみではなく多くの長崎市民も利用するようになり、ナント1日で7〜800人もの市民が訪れ、リーズナブルに極上の味を楽しんでいるという。この日ほど長崎市民が羨ましく感じたことはない。
2軒目は今や長崎の名産品として欠かせない、角煮まんじゅうを生み出した「岩崎本舗」の岩崎栄司さんを取材する。旨味調味料を使わず、丹念に時間をかけて出汁の旨味を沁み込ませた角煮を、フワフワの皮に挟み込む角煮まんじゅう。長崎の郷土料理、卓袱料理の一品であるトンポロウを、「もっと手軽に、より美味しく味わって欲しい」と生み出されたそう。現在は「大とろ角煮まんじゅう」なる
名前だけで降参してしまいそうな角煮まんじゅうも販売。その口に含んだ瞬間に、トロトロっと溶けていく奥深い贅沢な味わいを体験してしまうと...やはり長崎市民が羨ましい。
3軒目は1925年に九州で最初に喫茶店として営業を始めた老舗であり、最も有名なトルコライスの店として知られる「ツル茶ん」の川村隆男さんを取材する。「ツル茶ん」と、少しフザケタ店名のようだが、鶴の羽のように美しいと謳われた長崎港と、昔は喫茶店のことをキッチャ店と読んでいたことに由来。当時の長崎市長が、その二つを掛け合わせ名付けたという由緒正しいモノだった。ちなみに「ツル茶ん」ではトルコライスの他に、元祖である長崎風ミルクセーキや、創業当時と変わらない味のアイスクリームも人気。トルコライスを平らげた後に頂いたミルクセーキの優しい味は、懐かしさなど様々な感情を呼び起こしてくれる。しつこいようだが、長崎市民が羨ましく...そして、嫉妬してしまう取材だった。


8月某日大分

 厳しい陽射しの真夏の太陽を、優しい雲さんが遮ってくれた8月上旬、大分・由布院取材へと向かう。
 「道の駅ゆふいん」で、濃厚なソフトクリームを頬張りながら訪れた由布院取材の1軒目は、土産物屋などが建ち並ぶ「湯の坪街道」にある天然酵母のパン屋「パン工房 まきのや」の角茂紀さんを取材する。以前、この番組でも取材させて頂いた湯布院の老舗旅館「亀の井別荘」の中谷健太郎さんと無農薬野菜の小売の仕事をしている時に知り合い、自然食の店を別府で営業していた時に無添加のパンを焼いていたことから、中谷さんに誘われるまま平成元年に天然酵母のパン屋の営業を始めたという角さん。「亀の井別荘」にパンを卸す傍ら、店をオープンして2年目で行列の出来るまでに育て上げ、今でも常に開店前から行列ができ、モチモチのフワフワ...天然酵母ならでは味わいがあるそのパンは、お昼3時過ぎには売り切れてしまうほど人気。ちなみに、パンの種類は常時12〜13種類。10:30と13:30のパンの焼き上がり時間に合わせて訪れるのがお奨め。
 2軒目は、由布院産のチーズを製造する「うらけん 由布院チーズ工房」の浦田健治郎さんを取材する。浦田さんの製造したマットネロッソは、2009年度の「オール・ジャパン・ナチュラルチーズ・コンテスト」のウォッシュタイプ部門で最高賞の農林水産大臣賞を受賞。表面にリネンス菌をかけ塩水で洗いながら約2ヶ月間熟成させたそのマットネロッソは、ウォッシュタイプならではの発酵によるカビの匂いは控え目で、生乳の甘味と酸味、塩分の調和が絶妙にとれている。「九州は酪農のイメージがないのですが、私の他にも地道に酪農やチーズの製造を頑張っている生産者は沢山います。そんな酪農が弱いと思われている九州の人間として、初めて日本一の賞を貰えたことはとても嬉しかったですね。今は九州のチーズ生産者とローカル・チーズネットワークを作って活動しているのですが、今後は単品として楽しむチーズだけでなく、料理に使えるチーズなども製造していきたいですね」。九州には、やっぱりまだまだ私たちの知らない素晴らしい匠が沢山いる。
 大分・由布院取材の最後は、精肉店が営む自家製のハム・ソーセージの店「由布院燻製工房 燻家」の松山光伸さんを取材する。「燻家」のスモークの味付けは出来る限り素朴な薄味。吟味された天然スパイスも使用量は少なめで、精肉店ならではの厳選した素材の持ち味が、最大限に引き出されている。「ハム・ソーセージの世界では、スペイン風やドイツ風といったモノがもてはやされますが、私たちの目指しているのは日本人が毎日食べられるハム・ソーセージというものです。和風という訳ではなく、その土地の気候風土に合わせて製造していますので、由布院は観光客の多い街ですが、私たちのハム・ソーセージは多くの地元の人にも愛されているんですよ」。そんな燻製の店内では、ハムステーキやポトフ、ハンバーガーなどの食事が楽しめる。日本人の口に合わせて調理されたその味は、「美味い」のひと言。特にハムステーキは、そんじょそこらのステーキを軽〜く凌駕する。「燻家」を訪れた時は是非、味わって欲しい。


7月某日熊本

 梅雨明けの7月下旬、熊本取材へと向かう。
 1軒目は、山鹿市の中心部から少し離れた来民地区で、今では全国的にも珍しくなった「渋うちわ」を製造・販売する創業明治22年の「栗川商店」の四代目・栗川亮一さんを取材する。「渋うちわ」は、竹に貼った和紙の表面に柿渋を塗って作られる、約400年もの歴史と伝統を誇るうちわ。柿渋でコーティングされた「渋ウチワ」は、普通に使っても、なんと100年近く使えるという、エコポイントをつけて欲しくなる…とってもエコなうちわ。資源の乏しい鎖国の時代に、長持ちするようにと作られた先人の知恵と工夫が、その「うちわ」には込められていた。
 2軒目は、鉄などの地金に、金や銀をはめたり打ち込んだりする金工の技法、肥後象がん職人、神田明子さんを取材する。錆を出し黒光りした地金に、時には0.1ミリの線を刻み装飾を施す...。神田さんは、主にピアスやネックレスなどの装飾品を主に作っているそうだが、肥後象がんの伝統的なモチーフに加え、猫や花などのモダンな雰囲気の作品も生み出している。「肥後象がんは金属ですので、最低でも50年、100年は残ります。ですから残しても恥かしくないモノを作りたいと思っています」。そのプレッシャーたるや、いかばかりのものかと思うが、そのように後世に残る仕事に携わる神田さんに、少なからず羨ましさも感じた。ちなみに神田さんの仕事場で飼われている作品のモチーフ?の猫は、取材中は風呂場の中へ。ごめんなさい。
 3軒目は、島田美術館の中に工房を構えるガラス作家、島田新平さんを取材する。ガラスの持つ特性を最大限に生かしたモノ作りを心がけ、無理のないベーシックな形でクオリティの高い作品を生み出している島田さん。100種類以上の色が使い分けられた、その作品たちに光を当てると、鮮やかな美しい表情を壁やテーブルに映し出す。「シンプルに作ってもシンプルにならないところがガラスの魅力ですね。しかし、シンプルな作品で同業者をアッと言わせたい」。取材した真夏には、汗がTシャツを白く染めるほどの暑さとなる工房で、「ドロドロと熔けた赤いガラスが綺麗」と笑う島田さん…やはりガラスの神?に選ばれた人なのだろう。


6月某日佐賀

 降りしきる雨が梅雨入りを告げた6月中旬、佐賀取材へと向かう。
 1軒目は、今から340年前、シルクロードから中国を経て日本に伝わったとされる、日本で最も古い絨毯、鍋島緞通の伝統を今に受けつぐ「鍋島緞通 吉島家」の織師、古川明美さんを取材する。鍋島緞通は、昔ながらの堅型織機を使い、経糸、緯糸、織込糸ともに上質の木綿糸を用いて編む、高温多湿の日本の気候風土にふさわしい敷物。古川さんは、伝統技法を守りながら、今もモダンで温もりのある緞通を織りなしていた。ちなみに、10月16日から11月28日までの期間中、佐賀県立美術館では、「中国故宮博物院の緞通と日本の緞通展」を開催。その緞通の魅力に触れてみたい方は是非。
 2軒目は、佐賀を代表する初夏の味「エツ料理」で知られる創業70年の老舗割烹「津田屋」の三代目社長・津田良雄さんを取材する。「エツは手間を食べて頂く」との言葉通り、確かな技術で、キメ細かな仕事がされた多彩な「エツ料理」を提供する。取材時は、ちょうど5月から7月にかけてのエツ漁のシーズン中だった為、「エツ料理」を堪能させてもらったが、刺身に塩焼きに南蛮漬けに…そして、最も調理が難しいとされる天ぷらは絶品の一言。ちなみに、その天ぷらは、津田さん曰く「ここでしか味わえない」そうなので、是非、来年のシーズンには、その津田さんの手間と調理技術まで堪能して欲しい。
 佐賀取材の最後は、地元の人たちに愛されているチャンポン店「井手ちゃんぽん」の店主・井手良輔さんを取材する。海鮮素材がたっぷり入るのが長崎ちゃんぽんならば、井手ちゃんぽんは野菜がたっぷり。「ラーメンはスープで味の殆どが決まってしまいますが、ちゃんぽんはスープと調理する具材で味を変えることが出来る」と、野菜の旨味を引き出すことにこだわり、その情熱は開店から60年以上経った今でも変わらないと言う。ちなみに、「井手ちゃんぽん」の魅力は、ちゃんぽんだけにあらず。メニューにあるカツ丼も隠れファンが多いそうなので、次は、そのカツ丼に是非チャレンジしてみようと思う。


5月某日鹿児島・宮崎

 初夏の風が心地良い5月下旬、1泊2日の鹿児島・宮崎取材へと向かう。
 初日、鹿児島取材の1軒目は、良質な自然薯が育つことで知られる鹿児島で、天然に劣らない、強力な粘りを持つ栽培自然薯を生産する「やまいも園」の福永健一さんを取材する。2ヘクタールもの広大な畑に整然と植えられた自然薯は、福永さん曰く、「大阪では1本、ウン万円もの値が付く」そう。そんな宝の山を前に、本気で自然薯の栽培を考える、目がすっかり$マークの取材陣。ちなみに植物にも雄と雌があり、自然薯の場合は雄を栽培するらしい…当然と言わんばかりに、そう教えてくれた福永さんの言葉に、ただ驚いているだけの我々には、自然薯の栽培は果てしなく遠い道程に思えた。
 2軒目は、鹿児島県民のソウルフードとも言える「白熊」を生み出した老舗甘味処「天文館 むじゃき」の久保節子さんを取材する。白熊の剥製が店頭に居座る、ここ「むじゃき」では、昭和24年に、擦りおろしたカキ氷の表面が「白熊」の毛並みに見えたことから、その名を付けて販売。以来、鹿児島ではカキ氷のことを「白熊」と呼ぶようになり、今では多くの店で、様々な「白熊」を食べることが出来ると言う。ちなみに鹿児島県民は、「白熊」を標準語だと勘違いしている人が多く、県外でもカキ氷を注文する際に「白熊下さい」と頼むそう。某県民SHOWのネタのようだ。
 鹿児島取材の最後は、蒲生和紙で知られる姶良郡蒲生町の山間の工房で、和紙を自由自在に操り、様々な芸術作品を生み出している「和紙ギャラリー」の野田和信さんを取材する。北海道出身ながら、東京で13年、グラフィックデザイナーとして活躍後、南国の植物、風土、土着の精神に魅力を感じ、この地に移り住んで33年になると言う野田さん。「むじゃき」の「白熊」といい、野田さんといい、寒い地方と鹿児島は意外と相性が良いようだ?
 2日目、宮崎取材の1軒目は、ビニールレザーにアクリル絵の具で色をつけて作った、造花の葉っぱのみを使い、ウエディング会場から店舗まで、あらゆる場所を心なごむ空間にデザインしている「アートリーフOKA」の岡美智子さんを取材する。岡さんは、葉っぱの集合体で日本の四季を表現。それをアートリーフ(リーフ=葉)と名付け、これまで数々の賞を受賞するなど、宮崎を代表する空間デザイナーとして活躍している。ちなみに岡さんは、「アートリーフ教室」も開いているそうだが、なかなか生徒が続かないと言う。理由は「ひたすら葉っぱを作り続ける作業が地味だから」。しかし、そんな地味な作業の積み重ねから生まれる作品は、決して派手さを求めない、日本人の根底に流れる美的センスを刺激するものだった。
 2軒目は、自然豊かな宮崎市の山奥…孟宗竹の林に囲まれた場所で、美容、健康、環境をテーマに竹炭、竹酢液を製造している「竹炭の里」の代表・飯田浩一郎さんを取材する。原材料となる竹から育て、昔ながらの本格土窯を使用し、熟練した職人が匠の技で作る高品質の商品は、日本全国の多くの人々に支持されている。そんな飯田さんは、平成14年に、金融関係の仕事で赴任していた東京から地元・宮崎にUターン。まさに元金融マンらしい語り口で、理論整然と竹炭の効能を聞かせてくれた飯田さん。そんな中、「昔は忍者が解毒作用のある炭を常に携帯し、毒を受けた場合に炭をかじっていた」というお伽話のような話が印象に残る。デトックスという単語が世に謳われるようになって久しいが、ジャンクフードに目がない自分は、時々、炭をかじるべきなのだろうか?
 宮崎取材の最後は、宮崎最大のまき網漁業基地である延岡市北浦町の「北浦漁業協同組合」の酒井健志さんを取材する。水揚げが毎年減少傾向をたどる中、この「北浦漁業協同組合」では、「北浦灘アジ」と「ひむかの本サバ」というブランド魚を生み出し、その品質の高さから内閣総理大臣賞を受賞する。ちなみに、この日話を伺った「北浦灘アジ」は、1匹あたり100グラム以上で、人手を触れずに漁協まで持ち帰り、1週間以上生け簀で畜養。その後、一切餌を与えず胃の内容物を除去したマアジのことを指す。こうした条件をクリアした結果、脂が全身に回り、まろやかな味になると言う。ちなみに取材時は、マアジが獲れずに、背が七色に輝くと言う「北浦灘アジ」と対面することは叶わなかった。「ブランド化をすると継続するのが大変。しかし、出荷出来ない日があることが、逆に天然の証です」と話す酒井さん。しかし、やはりこの目で拝みたかった(味わいたかった?)。その残念な気持ちが、次回の取材への期待感を高める。そう、次は「ひむかの本サバ」でいこう。
 ちなみに、今回の1泊2日の鹿児島・宮崎取材時は、宮崎を襲った口蹄疫が猛威を振るう最中に行われた。消毒マットの上を何度も通過ながら、取材でお世話になった畜産農家の方々のみならず、口蹄疫で被害を受けた方々の心中を察し胸が痛んだ。一日も早く宮崎が、元の元気な姿に戻れるように心より願う。


4月某日福岡

 ソメイヨシノが八重桜に主役の座を明け渡した4月中旬、福岡取材へと向かう。
1軒目は、城下町の面影を今も留める秋月の街並みの一角に工房を構える、「小森草木染工房」の小森久さんを取材する。四季折々、刻一刻と表情を変える自然の色に魅了され、「自然を染めたい」と、茜、藍、栗、蓬、梅、葛の葉などの草木を染料に、自然の色を再現する小森さん。自ら「本・草木染」と名付けたその技術は、甘木市無形文化財に指定され、以来、全国各地の織物品評会などで文部大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞しているという。そんな小森さんは、取材中、おもむろに栗で染めたタオルを取り出し、「指でつまんで4〜5回擦ってみなさい」と言う。驚くことに、たったそれだけで指の表面が赤ちゃんの肌のようにツルツルに...。「昔の日本人は栗に肌を美しくする効能があることを知っていたんですよね。同じように、茜に殺菌効果があることを知っていた為、茜で染めた赤ふんどしを重宝してきたんです」と、自然と上手に付き合ってきた日本人の知恵を今に伝える小森さん。現在81歳、「100歳まで現役」と語る、その若々しい言葉と小森さんの肌艶が、自然と共生することの大切さを雄弁に物語っていた。
 2軒目は、日本三大銘菓に数えられる博多の伝統菓子「鶏卵素麺」を製造・販売する「松屋菓子舗」の13代目・松江光さんを取材する。「鶏卵素麺」とは、沸騰させた糖蜜の中に卵黄を糸のように流し込み、すぐに引き上げ、余分な蜜が落ちた後に切り揃えるポルトガル伝来の南蛮菓子。330有余年もの昔、初代・松屋利右衛門が伝授され、以来、現代まで変わらぬ昔ながらの製法と吟味を重ねた素材で、一子相伝の味を守っているという。「長い歴史を持つ鶏卵素麺ですが、今でも土産に貰った人が素麺と間違えてお湯をかけたという話を聞きます」。初代は新しいモノを広めようと始めたが、我々は守るだけになっているのではないかと、日本三大銘菓といえども、「まだまだやるべきことは沢山あります」と話す松江さん。現在40歳、変えられるモノ、変えられないモノを見極めながら、新しい菓子の分野への進出も視野に入れて活動を行っているという「松屋菓子舗」が、これからの博多を面白くしてくれるかも知れない。
 最後は、ステンドグラス・アーティストとして活動する「ガラス工房ひまわり」の末積慶和さんを取材する。家業である末積金属額縁の美術部門「末積アート」を継ぎ、後にステンドグラス部門を開設。福岡市内各所でステンドグラス教室を開講しながら、心に光を灯す魅力的なガラスの世界を生み出している。「ステンドグラスは透過光の世界ですから、その色は、季節、天気、時間帯で表情を全く違うものへと変えます。そこが面白い」と、自らが色を支配するのではなく、その自由奔放さを楽しんでいる末積さん。「ですから、植物の葉を描こうと思った時に、必ず緑のガラスを使う必要はない訳です」。
現在は抽象画や曲線を意識したようなクラシックなものではなく、直線のラインを重視しながらモダンな作風を展開している末積さん。その個展は、福岡市内のギャラリーなどで不定期に開催されているので、機会があれば光と戯れるステンドグラスの魅力に触れて欲しい。


3月某日長崎

 春の便りが待ち遠しい3月初旬、長崎取材へと向かう。
 1軒目は、長崎を代表する味の一つ「長崎竹輪」を製造する老舗店「宮嶋竹輪」の宮嶋利信さんを取材する。屋上に巨大竹輪が鎮座する会社のショーケースには、黄金色に輝く竹輪...。「長崎竹輪の特徴は、この黄金色にあります。炭火で焼いていた昔ながらの自然な焼き色にこだわり、炭火と同じ800〜1000度の高温でじっくりと焼き上げていますので、この色が出せるんです」。そんな宮嶋さんの竹輪へのこだわりは焼き色だけではない。「新鮮な長崎近海の白身魚を原料として、砂糖、みりんに頼らず、水延ばしもしていません」。ちなみに、「宮嶋竹輪」では、竹輪を約1ミリにスライスして乾燥させたチップス「ちくわの孫」も販売。そのままでもいけるが、素揚げにしても旨い。
 2軒目は旧大村藩武家屋敷の史跡復元に尽力するなどの功績から「現代の名工」にも選ばれた庭師、「アートグリーン 緑樹苑」の富永和博さんを取材する。そのアトリエには、庭をイメージする際の詳細な手書きのスケッチが無造作に貼られているが、それは「専門的な図面や大雑把なイメージではなく、お客さんにより納得してもらえる庭を造りたい」という富永さんの想いから生まれたもの。今でこそパソコンを用いて、立体的な完成予想図を見せる手法が流行ってはいるが、富永さんは昭和50年代前半から、このスケッチを描いているそうだ。その繊細なタッチからは、日々、大地という白紙のキャンパスに庭を描く富永さんの仕事ぶりも伺えた。
 最後は、戦国時代に生まれた大村市の郷土料理「大村ずし」を、明治時代に初めて商品化したという「元祖大村角ずし やまと」の四代目・永田喜美男さんを取材する。魚の切身や野菜のみじん切りなどが乗る伝統の味を、創業以来の製法と一子相伝の味付けで今に伝える永田さんは、「大村ずしは時代に逆行する料理。変わらずに昔ながらの味を伝える事が大事」と、100年間受継がれてきた大村のソウルフードとも呼べる地元の味を、日々、同じ作業を繰り返しながら頑なに守り続けている。そんな永田さんの好きな言葉は、「急がば回れ」「継続は力なり」...納得の一言に尽きた。


2月某日大分

 冬の冷たい小雨降る2月初旬、大分取材へと向かう。
 1軒目は、約2年前に地元の新聞社が取り上げた大分名物「とり天」発祥店論争で、昭和初期のメニュー表から発祥店に認定された、別府市にある大正15年創業の大分県初のレストラン「東洋軒」の三代目・宮本博之さんを取材する。そのメニュー表には「鶏ノカマボコノ天麩羅」の文字が躍るが、宮本さんは「牛や豚の天麩羅は昔からありましたから、鶏の天麩羅があっても不思議ではない。むしろ無かった方が不思議」と、発祥店の偉業をもてはやす世間の風潮に全く興味を示さない。これを機に別府市では、多くの飲食店が「とり天」を提供するようになり、「とり天マップ」を製作。観光客の誘致に力を入れているが、宮本さんは「ぜひ別府に来て、それぞれの店の味を確かめて下さい」と地元と共に歩んできた老舗ならではの懐の深さを感じさせてくれた。
 2軒目は、透き通るほど美しい臼杵市佐志生の海で、約30年前から鮑の養殖を手掛ける伊賀上芳巳さんを取材する。伊賀上さんが養殖を始めた理由は、「次世代の為に育てる漁業も必要だ」という想いから。しかし近年は、地球温暖化の影響が示唆されている赤潮の被害が急増。3年に1度はやって来るという、その赤潮にも対応できる新たな技術と理論の確立が必要となってしまったそうだ。「学問とは何か、それは自分の仕事を成し得る事...全うする事」と、72歳となった今でも、自らの学問と格闘を続ける伊賀上さんの姿に、大きな勇気を貰った。
 最後は、全国伝統的工芸品展で内閣総理大臣最高賞を受賞、さらにファッションデザイナーのコシノジュンコさんの依頼で、「パリコレ」に作品を提供したこともある竹細工職人、「竹巧彩」の毛利健一さんを取材する。数々の輝かしい経歴を持ちながら、自らを「作家ではなく職人」と呼ぶ毛利さん。しかし、その独創性に溢れた多彩なバック類などの商品を見せられると、なおのこと毛利さんを作家とも呼びたくなるが、「肩書きは後からついてくるもの」と、そんなこちらの問いかけを一笑に付す。常に竹細工の可能性を探り、唯一無二の新しい商品を生み出している毛利さんの職人技を、この手に入れたい方は、インターネットやデパートの物産展、また、自らのギャラリー「彩佐」などで直売しているのでぜひ。


1月某日沖縄

 1月下旬、2010年最初の取材先となる沖縄へと向かう。
この時期の沖縄は雨が多いそう…前回も梅雨時期の取材だった為に少し残念。
 初日の1軒目は、世界で初めて感覚的な不自然さまで解消する技術を確立し、正確な音の再現に成功したアンプとスピーカーを製作する「知名御多出横」の知名宏師さんを取材する。ちなみに"御多出横"は"オーディオ"と読む。知名さんが字画のアドバイスを受けて当て字で付けたそうだ。オーディオ製作者と言えば理系の硬そうなイメージだが、知名さんの風貌はまるで陶芸家のよう。しかし、音の求道者とも呼べる製作への姿勢を聞いた後では、その姿がピッタリとハマった。そんな知名さんの作るアンプとスピーカーから流れる音は、一聴もニ聴も三聴もして欲しいほどクリアで臨場感に溢れている。文系出身の人間としては、その理論など細かい説明は省かせて貰うが、是非多くの人に体感して欲しいと思う。
 2軒目は、沖縄の郷土楽器、三線の棹作りの名人・渡慶次道政さんを取材する。昨今の沖縄音楽ブームにより広く知られるようになった三線は、棹と呼ばれる棒に、三本の糸が張られたもので、琉球王朝文化圏において欠かすことの出来ない楽器の一つ。その歴史は500年以上あり、7種類の形がある。ちなみに三線の良し悪しは、渡慶次さんも作っている棹を見れば分かるそう。「最初に安物を買ったとしても少しハマれば必ず良い三線が欲しくなるので、初心者でも無理をして良い三線を買うべし」。そう語る渡慶次さん。その丸みを帯びた美しい女性的なフォルムは...簡単にハマってしまいそう。
 初日の最後は、沖縄の郷土料理"フーチバージューシー"を考案した「琉球料理 ふみや」の女将・仲本文子さんを取材する。ちなみに、"フーチバーは蓬"で、"ジューシーは混ぜもの"と言う意味。即ち "フーチバージューシー"は"蓬の炊き込みご飯"という事になるのだが、ただ蓬が入っているだけではなく、細かく刻んだ豚肉も一緒に炊き込まれ、蓬の香りと豚肉の旨味が食欲をそそる絶品料理だった。そんな料理を昭和40年頃に考案した仲本さんは現在85歳。47年間一日も休まず営業を続けているそうだ。「この年でも働けるのは幸せな事...生かされているという感謝の気持ちで一杯です」。そんな仲本さんの気持ちが優しい味となって「ふみや」の料理に込められていた。
 2日目の1軒目は、創業以来、沖縄の原材料を素材に伝統的な地釜炊き製法で黒糖を製造する「海邦商事 黒糖本家」のセントローレント真紀さんを取材する。「沖縄の太陽と大地の恵みを受けて育った新鮮なさとうきびを使い、真心を込めて手作りしている」という真紀さん。沖縄の太陽と大地という言葉だけで商品のパワーが伝わってくる。現在は、いずれ二代目を継ぐ予定の真紀さんが様々な新商品を開発。その中でも「むちむちきなこ」という名前の、きなこをまぶした柔らかい一口サイズの黒糖が大ヒット商品となっている。ちなみに真紀さんは健康的でスレンダーな美人女性。ダイエットにも健康にも、やはりミネラル豊富な黒糖は良さそうだ。
 2軒目は、沖縄を代表する琉球ガラスの名工で、ガラスに封じ込めた気泡が小宇宙のような景色を見せる"泡ガラス"を考案した「宙吹きガラス工房 虹」の稲嶺盛吉さんを取材する。本来、琉球ガラスでは気泡の入ったガラスは、不良品として低い評価しか受けていなかったが、稲嶺さんは逆に気泡を意識的に入れることにより独自の作風を構築。その変幻自在、自由奔放な色彩美と造形美は、人間の想像できる範囲を超えた...まるで大自然が織り成す圧倒的な美しさに触れた時のような感動を、見るものに与えてくれる。「私はガラスの意思を尊重し、ガラスのなりたい自然な形を大事にしています。そうする事で、ガラスが自分の想像する以上の美しい形へと収まるのです」。ガラスの声を聞きガラスと対話する。それは陶芸の世界の用即美にも似たものだった。
 沖縄取材の最後は、沖縄の名産品である"海ぶどう"を使った丼を考案した「元祖海ぶどう」の白井敏夫さんを取材する。酢飯の上にトロロとウニとイクラ、そして、たっぷりの海ぶどうを乗せた、その"海ぶどう丼"は、レモンのポン酢を少しかけて頂くのが白井さんのオススメする流儀。プチプチとした"海ぶどう"が口の中一杯に弾け、その味もさることながら食感までもが美味い。ちなみに、この"海ぶどう"は春先が旬。その季節は粒も大きく旨味も強い。夏以外のシーズンの楽しみも沖縄にはある。
 2010年最初の取材となった今回の沖縄取材。今年も素晴らしい匠たちに出会えることを楽しにしています。


12月某日宮崎・鹿児島

 2009年も残りわずかとなった12月中旬、1泊2日の宮崎・鹿児島取材へと向かう。
初日の宮崎取材の1軒目は、餡が皮となるユニークな宮崎の伝統菓子"鯨ようかん"を製造する「阪本商店」の阪本スエ子さんを取材する。餡で米粉を蒸した餅を挟んだ姿が、背が黒く腹の白い鯨のように見えることから、その名の付いた"鯨ようかん"。"ようかん"と言うが餡子餅に近い。「その日に食べて貰うのが一番美味しいので、多くを作らない」と、阪本さんは1日30パック程度しか作らず、売り切れれば閉店する。今も「薪から焚いて杵で餅を搗き、毎日早朝から"鯨ようかん"を手作りする」と言う阪本さん。搗きたての餅が不味いなんて話はあまり聞かないが、その"鯨ようかん"は、スッキリとした甘さの餡と相まって本当に美味い。取材中も次々と多くの人が訪れ、買い求めていたので、確実に手に入れたい方は午前中にどうぞ。
 2軒目は、宮崎の豊かな自然環境の中で育まれた良質の木材を使い、昔ながらの自然を生かしたシンプルで美しい住宅や家具を提案する「グローバルヴィレッヂ綾」の川野幸三さんを取材する。1999年度に"グッドデザイン賞"を受賞した川野さんのアトリエに足を踏み入れると、優しい木の香りがもてなしてくれる。私のモノ作りの哲学は、「長い年月に培われた天然の素材を有効に生かす為、素材を殺す事なく、シンプルで美しいデザインを心掛けることです」と言う川野さん。間伐材、端材を大切にし、新たな素材へと再生する集成加工技術は、継ぎ目が全く解らないほど滑らかで美しい。そんな集成材を駆使した川野さんの作品の数々は、「戦争に負けて以来、自信を無くし、使い捨てのアメリカ文化を受け入れてしまった」と言う、日本の素晴らしい職人たちを鼓舞しているようでもあった。
 宮崎取材の最後は、原木の仕入れから製作・販売までを自らの手で行う、全国的にもまれな職人で、宮崎県伝統工芸師の一人である「熊須碁盤店」の熊須健一さんを取材する。その道42年の熊須さんは、「碁盤材に使用されるカシの木は、樹齢500年以上の自然が育んだ貴重な財産。仕入れた原木は、木取り、乾燥、加工、太刀盛り、それぞれの過程で、素材の良さを最大限に引き出していく」と、その製作には一切の妥協も許さない。そんな熊須さんの作る碁盤は、第34期の名人戦でも使用され、過去2000万円という高値で販売されたこともあるという。碁盤や将棋盤を買う場合、安い買い物ではないだけに、その価値を見誤らないようにしなければならないが、熊須さん曰く、「商品を見るのではなく、売っている人を見たほうがいい」という事だ...納得。
 2日目の鹿児島取材の一軒目は、桜島の対岸にあるアトリエで、乾燥した花びらを重ねて絵を描く"ペタルアート"と呼ばれる作品を制作するアーティスト、ミヤギタケオさんを取材する。"ペタルアート"とは、ミヤギさんが考案したオリジナルアートで、ペタルとは英語で花びらを意味すると言う。「5年以上の時間をかけて自然と乾燥させた花びらは、変色を重ね本来の色とは違う、奥深い色合いへと変わっていく。花は飾られている時が最高に美しいが、その後も人々を感動させることが出来る」と、ミヤギさんは桜島などの雄大な鹿児島の自然を描き、その花たちに第2の人生を与えていた。
 2軒目は、養鰻生産高が全国一の鹿児島で、昭和7年から営業を続ける老舗ウナギ専門店「うなぎの末よし」の社長・奥山博哉さんを取材する。作家の椋鳩十が絶賛したことでも知られる名物の蒲焼は、大隅産のウナギを使い、独自のタレと備長炭で焼き上げられている。ちなみに、九州はウナギの腹を裂き、蒸さずに焼く"関西流"が主流だが、鹿児島はウナギの背を裂き、蒸してから焼く"関東流"だと言う。その理由は至極明快...「薩摩武士が腹切りを嫌った為」だと言う事だ。
 宮崎・鹿児島取材の最後は、九州で最も長い歴史を持つソースや、各品評会で金賞を受賞した醸造酢など、醤油以外の商品でも知られる「迫醸造店(デコー醤油)」の工場長・迫勝男さんを取材する。「迫醸造店」の商品は、大量生産が出来ない為、創業以来70有余年、スーパーなどでは販売していないと言う。しかし、その醸造酢は天文館にある寿司店の殆どが使用しているそうなので、鹿児島の人間ならば一度は味わった事があるだろう。「鹿児島の醤油は甘いと言われていますが、甘い辛いではなく、商品の良し悪しを決めるは、後味がキレるかキレないか」と言う迫さん。特に刺身醤油では、そのキレ味が魚の旨味を引き立てていた。

 2009年も取材に協力して下さった匠の皆様に感謝します。


11月某日熊本

 山々が紅葉し鮮やかに色付く11月下旬、熊本取材へと向かう。
 1軒目は、天草生まれの創作粘土作家「マスミアート」の播正ますみさんを取材する。繊細かつ優雅な紙粘土人形を中心に、創作人形からアンティーク人形まで幅広く展開。本場ヨーロッパのドールコンテストで最優秀賞を受賞するなど、数々の輝かしい経歴を持つ。そんな播正さんの創作粘土作家としての活動は、主婦時代に料理・習字・編物・パッチワークなど様々な経験を詰む過程で、近くの公民館で開催された創作粘土の講習会に参加したことから始まったと言う。「知ったかぶりをするのが嫌ですので、すべてを経験したいんですよね。その中で様々な出会いがあり、今があると思います」。美しく凛とした佇まいながら、好奇心旺盛に活動する気さくな人柄から、幅広い人脈を築き、現在はその活動の範囲を東京にまで広げている播正さん。月の半分以上は東京で活動いるそうなので、今回、たまたま熊本にいる時に取材が出来たという縁に感謝した。
 2軒目は、熊本の下町の民家を改装したアトリエで、七宝焼のアクセサリーを制作する「創作工房 atelier 容」の高橋容子さんを取材する。七宝焼といえば、金属製の下地に、ガラスやエナメルのような美しい彩色を施し、アクセサリーから大きな壺まで、様々な作品が作られている工芸品なのだが、高橋さんの作品は、繊細で美しい柄から人気が高く、日本七宝焼協会会長賞を受賞したこともあるそうだ。「常に100%自分らしい作品は、作ってはいけないと思っています。工芸は用と美を兼ね備えたモノですから、自己表現で止めてしまうと、アートになってしまいますからね」。美しく可憐な容姿とは裏腹に、芯の強さも伺わせる高橋さん。「私だったら、もう少しこうしたいけど、着けてもらう時には着け辛いので、ここは引こうとか...でも引き算が下手くそなんですよ、ははは」。しかし、その飾らぬ笑顔が印象的だった。
 最後は、九州を中心に無農薬野菜を主役としたメニューを提供する家庭料理レストラン「土にいのちと愛ありて ティア」を展開する元岡健ニさんを取材する。「食物は人間の生命の源です。大地といのちと自然の恵みに満ちた健全な食物をつくり、一人でも多くの人に、また子や子孫たちに、それらを食べてもらうことは、農にたずさわる者としての使命である」と書かれた、作家・島一春さんの著作「土にいのちと愛ありて」に感銘を受け、土の頭文字「T」、いのちの「I」、「愛」の「A」をとり、店名としたという元岡さん。日本の豊かな食を守り、生産者の思いを食卓に繋げようと、見た目が悪かったり、不揃いだったりする野菜も有効に使うという料理のメニューは、その日に届く野菜を見て決める為、毎日変わるという。日本の食の現状において、今は特別な「ティア」の提供する家庭料理...しかし、元岡さんの究極の理想は、「ティア」の料理が特別なものではなくなることでもある。


10月某日佐賀

 空が高い秋晴れの10月中旬、佐賀取材へと向かう。
 1軒目は、佐賀県で開催された全国建具展示会の美術・工芸部門で、最高賞の内閣総理大臣賞を受賞した、伊万里市にある「建具・家具工房 松尾」の松尾克美さんを取材する。細かい板を釘や接着剤を使わず手作業で組み上げる"組子"の伝統技法を駆使し、「八重麻の葉」「胡麻柄」などと呼ばれる美しい建具の装飾を生み出す松尾さん。その装飾を構成する板は1/1000mm単位の精度で加工する為、紙一枚の隙間もないと言う。「襖1枚で通常2千個から3千個の具材を使用します。しかし、賞を頂いた作品は約6万個の具材を使用しました」。技術力、デザイン力に優れる日本最高の職人技は、人並み外れた根気にも支えられていた。千ピース程度のパズルで根を上げる自分には・・・もちろん向いていない。
 2軒目は、竹崎かに発祥の地・太良町で、唯一の蟹料理専門店を営む「竹崎かに料理専門 味処 かに亭」の主人・大鋸正巳さんを取材する。有明海の中央に突き出た竹崎島の浜辺に店を構え、竹崎の海水を入れた生簀の蟹を塩茹で浜茹でし提供する大鋸さん。その雑味のない自然の蟹が持つ本来の旨味は、ここでしか味わえないと言う。「ここは竹崎かにの聖地とも言える場所なんですよね。そんな竹崎かにの一丁目一番地で店を構えるからには、これが竹崎かにだという本物の味を提供しないといけないという責任感がありますよね」。そんな大鋸さんは、今後、蟹本来の味がより堪能できる刺身をもっと売り出したいと言う。ちなみに、竹崎かには夏は雄、冬は雌が旬だと言われているが、「雲仙が冠雪すると雌が旬を迎える」という言葉があるそうだ。雌は卵も美味い・・・雲仙冠雪の便りを待とう。
 最後は、佐賀県大和町を拠点に活動する「ベフニックブレスワーク」のギター製作者・合瀬潤一郎さんを取材する。「ギターの代名詞がベフニックと言われるように、地元から全国に発信していきたい」と、自宅車庫を改装した小さな工房から、ベフニックのロゴが輝くハンドメイド・ギターを送り出す合瀬さん。そんな合瀬さんのギターは、斉藤和義やスキマスイッチの大橋卓弥などのプロアーティストからも愛されているそうだ。「長く愛される楽器、手にしする人にとってかけがえのない1本を作る為に、お客さんの要望は徹底的に取り入れます。その要望に応えることで自分自身の技術の幅も広がりますからね」。音楽の嗜好に違いがあるように、ギターの嗜好もプレイする人の数だけ多種多様にある。その数だけベフニックブレスワークのギターの可能性も広がる。


9月某日福岡

 短かった今年の夏の太陽が、名残惜しむように照りつける9月上旬、福岡取材へと向かう。
 1軒目は、創業90年以上の歴史を誇る「博多西門蒲鉾店」の三代目・上田啓蔵さんを取材する。
俳優としての顔を持つ成瀬薫が、重要な役で出演した博多発の全国ドラマで、主人公の実家としても使用された店は、伝統ある博多蒲鉾の老舗としての風格を持つ。
店頭を彩る鯛や鶴、季節の花などをあしらった華やかな蒲鉾たち…昔は結婚式、入学祝、棟上と贈答用として重宝されたそうだか、現在は、油で揚げたツマミ感覚の蒲鉾の方が主流となってしまったそうだ。
「親分と子分がひっくり返った感じ」。
そう語る上田さんは、現在、枝豆、バジル、ポテト、紅しょうがなど様々な具材を用い、斬新な揚げ蒲鉾を数多く生み出しているが、「やはり基本は魚のすり身にあります」と、すり身となる魚の選択に最もこだわっている。様々な個性を受け止めるベースのすり身がしっかりとしているからこそ、大胆なチャレンジが出来る。
しかし、「納豆だけは、どんなに頑張っても駄目でした」という事だ。
 2軒目は、宗像市の自然に包まれたオーベルジュで、本格的なフランス料理を提供する「オーベルジュ まつむら」の松村隆さんを取材する。
築100年の歴史を刻む古民家を、和洋折衷に改装した癒しの空間で客をもてなす村松さんは、長年、ヨーロッパの一流ホテルのシェフとして活躍し、帰国後はハイアットリージェンシー福岡の総料理長も勤めたという経歴を持つ。「総料理長には、料理以外の総合的な仕事も求められます。やはり私は料理が好きですから、最後は料理人で終わろうと55歳で独立しました」。
街灯もなく夜には周りが真っ暗となる大自然の中、「ここに店があるから、フランス料理が食べられたという人にも料理が出せる。それは大変嬉しい事です」と、地元の人たちにも喜んでもらいたいという願いを込めてフランス料理を作る村松さん。
その表情は料理人としての喜びに溢れていた。
村松さんの演出する優しい空間と上質な料理...大切な人と訪れたい場所を一つ見つけた。
 最後は、200年以上に渡って受け継がれてきた上質の"ぬか床"を使用する、ぬか漬けの専門店「千束」の店主・下田敏子さんを取材する。
ぬか床には、1グラムに1億個もの植物性乳酸菌が含まれ、整腸作用や肌が綺麗になるなどの効能から、今は健康に良いスローフードとして、若い女性にも注目されているそうだ。
確かに下田さんの肌は素晴らしくキメが細かい。
「何百年も昔から、日本には"ぬか漬け"があるのですが、そのミクロの世界の正しさ素晴らしさが科学的に解明されたのは、本当に最近のことなんですよね。やはり昔から行われている事は正しいと...私たちは、それを受け継がなくてはならないと思います」。
"ぬか床ドクター"との異名を持ち、多くの家庭の"ぬか床"を診断するなどしながら、ぬか漬けの素晴らしさを広めている下田さん。
その店では「商売抜きで広めたいので採算度外視」と言う、下田さんのぬか漬け料理が味わえるので是非。


7月某日宮崎・鹿児島

 蝉の音が寝苦しさを誘う熱帯夜の続く7月下旬、さらに南国の宮崎・鹿児島へと1泊2日の取材旅行へと向かう。
早朝の九州道と宮崎道をひた走り、まずは全国一の規模を誇る照葉樹林の町・宮崎県綾町へと到着。
その綾町で生産された果実のみを使いジャムを作る農園「スギエベリーファーム」の杉江恭子さんを取材する。
緑豊かな綾町の四季の恵みが瓶詰されたジャムは、果実がゴロゴロと入る濃厚な味わいが特徴。
甘味に加え酸味も強く、果実の味の輪郭がボヤけずにくっきりと表れている。
早速、購入して帰ったが、そのリッチな味は朝食の楽しみを増やしてくれるものだった。
 2軒目は、宮崎市佐土原町に江戸時代から伝わる佐土原人形を制作する「佐土原人形店 ますや」の人形師、阪本兼次さんを取材する。
 土の素朴さと温かい彩りの調和が特徴の佐土原人形の代表作と言えば饅頭喰。
「お父さんとお母さんどっちが好き?」と問いかけられた幼童が、手にした饅頭を二つに割って「この饅頭はどちらがおいしい?」と問い返したという逸話を持つという。
もう一つの代表作、雛人形しかり、佐土原人形には子どもの健やかな成長への願いが込められている。
決して繊細ではないが穏かで味のある佐土原人形の表情を眺めていると、自然に気持ちまで温かくなる。
 初日の最後は創業40年を超える、宮崎名物・釜揚げうどんの老舗「戸隠」の二代目・猪野龍治さんを取材する。「戸隠」の出汁は猪野さんが祖叔父から受継いだ日本料理の技法を基本とし、昆布は利尻、鰹節は枕崎のものを吟味して使用。
宮崎ではポピュラーないりこや椎茸は使わないという。
「二代目として同じ味では受継いだとは言えない。味を変えずにさらにワンランク上のものを提供出来た時、初めて受継いだと言えると思います」。
誠実に嘘を付かずに研鑚を重ねてきたその味は、今も宮崎を代表する味として多くの市民たちから愛されている。
 2日目の1軒目は、薩摩藩の武士によって育まれたという加世田鎌と包丁を製作する「外園金物店」の主人・外園保さんを取材する。
機械の力を一切借りずに、勘と経験だけが頼りの作業で、日本刀と同じ手法で作られる鎌や包丁は、切れ味の良さが特徴だと言う。
「やはり切る為にあるものですから、よく切れますよと言われるのが最高の賛辞です」。
しかし、外園さんは「刀のような芸術作品になれば、多くの方々に広まりません。
やはり特別なものではなく、普通の方々に使って頂きたいと思っています」と、価格などはリーズナブルに抑えている。
そんな包丁の切れ味は、まるで自らの料理の腕前が上がったかのように錯覚させるものだった。
 2軒目は、鹿児島でも屈指の透明度と美しさを誇る坊津の海水を釜炊きし、100%天然塩を生産する工房の日高則夫さんを取材する。
「坊津の華」と名付けられたその塩は、粒が大きくミネラルが豊富で、「塩なのに甘い」と評判。
「定年を前に何かを始めたいと考えていた時、たまたま手にとった雑誌で、熊本の天草で天然塩を作っている方の記事を読み、その自由な生き方に心を動かされたんですよね。数日後には天草に足を運び、『海水と釜さえあれば塩作りは出来る』と言われ、その気になったんです」。
そんな日高さんは「そんなに簡単に出来るものですか?」という質問に、あっけっからんと「簡単ですよ」と答える。
少し拍子抜けしたが、その塩の味は、決して簡単な作業から生まれるものではない奥深さがある。
特に野菜炒めに使った時には、これもまた、自らの料理の腕前が上がったかのように錯覚してしまった。
 1泊2日の宮崎・鹿児島取材の最後を締めくくるのは、JR九州の駅弁ランキングで、2年連続1位に輝いた「百年の旅物語 かれい川」を考案した「森の弁当 やまだ屋」の山田まゆみさんを取材する。
その駅弁は、竹皮製の弁当箱の中に、"ガネ"と呼ばれる、さつま芋入りの天ぷらやコロッケ、椎茸と筍をのせた味飯が詰められており、素朴で懐かしい味わいが特徴。高級牛肉などの特別な素材は一切使われていない。
「立派なお弁当はどこでも食べられますからね。この土地ならではの懐かしい食材を使い、この駅弁を考案しました」。
鹿児島県内最古の木造駅舎であるJR肥薩線・嘉例川駅で売られる旅情あふれる山田さんの駅弁...ただしかし、一つ残念なのは全て手作りの為、一日200個が限界ということ。
どうしてもという方は予約をお勧めする。



6月某日沖縄

 今年の春に6年目を迎えた番組が、7月から沖縄でも放送される事になり、6月中旬、取材では初めて訪れる沖縄へと向かう。青い海、青い空...しかし高揚する心とは裏腹に、梅雨前線が停滞中の沖縄はあいにくの雨模様。とりあえずソーキソバで胃袋だけでも満たしてみる。
 1軒目は、琉球王朝の時代に南方より伝わったとされる日本の絣のルーツ「琉球絣」を製造する「大城織物工場」の直営店「おおき屋」の5代目・大城哲さんを取材する。那覇市の国際通り沿いにある店舗には、色とりどりの反物から小物まで、「琉球絣」を素材とした商品が所狭しと並べられている。「現代のニーズに合わせる事も必要」と、「琉球絣」のシャツを製造するなど"用の美"を追求する大城さん。これからのクールビズは、"かりゆし"だけではなさそうだ。
 2軒目は、首里城近くの閑静な住宅街にたたずむ琉球宮廷料理店「赤田風」の城間健さんを取材する。かつての名店「美栄」のメインシェフでもあった城間さんの作る琉球料理は「赤田風の料理を食わずして琉球料理を語るべからず」と言わしめるほどの完成度を誇るらしい。「沖縄は、日本と中国両方の影響を受けた独自の食文化を築いてきました。その奥深さ、素晴らしさをお客さんに感じて頂けるように努力しています」。日本料理と中華料理が融合したチャンプルー料理…和食と中華で迷ったら琉球料理がいい。
 初日の最後は、「ざわわ♪」と口ずさみたくなるサトウキビ畑に囲まれた「陶器工房 壹」を主宰する壹岐幸二さんを取材する。日用雑器としての「やむちん(焼き物)」を制作する傍ら、沖縄の自然を表現した個性的で感性豊かな「やむちん」も手掛ける壹岐さん。「デザインを考える時は、頭の中で天才になってみたり落ち込んでみたり…しかし、ろくろを挽いている時は、頭の中は空っぽです」。長い年月の中で手が仕事を覚え、手が無意識に仕事をする。匠の域とはそんなものなのだろう。
 2日目の1軒目は、沖縄県で唯一の100%県産紅茶を生産する「山城紅茶」の山城直人さん(32歳)を取材する。緑茶専門農家の三代目として生まれるが、沖縄は気候風土が日本一紅茶作りに適している土地だという事を知り、2007年に紅茶専用農園として法人化した山城さん。「農業は大地の恵み」と考え、循環型農業を追求し無農薬栽培で紅茶を生産。現在、味と香りが異なる4種類のタイプを販売する。「将来は農園にカフェを併設し、茶摘み体験が出来るようにするなど、人が集まる場所にしたいと思っています」。大いに夢を語り努力する山城さんの座右の銘は、かのクラーク教授の言葉「少年よ大志を抱け...」であった。
 2軒目は、「沖縄の心」を点描の技法で表現するアーティスト・大城清太さんを取材する。"点描"ではなく"天描"...村の祭祀を司る神人(かみんちゅ)であった祖母から聞いた、自然と神々の会話を基にイメージした作品は、まさに天からの力を感じさせる不思議な魅力があった。
 沖縄取材最後は、アメリカ統治下である1956年創業の沖縄初のタコス専門店「チャーリー多幸寿」の勝田直志さん(85歳)を取材する。アメリカ人からも"ナンバーワン"と称賛されるタコスはビーフ、チキン、ツナの3種類。「私は沖縄戦の生き残りなんです。ですから常に感謝の気持ちを忘れずに仕事をしています」。先の戦争で、すべてがリセットされてしまった過去を持つ沖縄。復興し受け継がれるもの、ゼロから新たに生まれたもの…それぞれの道を歩む匠たちの言葉には共通する力強さがある。



6月某日大分

 梅雨入り前の6月中旬、大分取材へと向う。
 1軒目は、日田市で小鹿田焼陶工・坂本工(たくみ)さんを取材する。坂本さんは「日本民芸館展」の最高賞を2度も受賞するなど、まさにその名の如く匠の技が光る作品を生み出している。「機械なら30分で出来るものを手仕事で1ヶ月かけて作るのが小鹿田焼です。ですから景気が良くても悪くても私たちには関係ありません」。"飛び鉋"や"打ち刷毛目"などの独特な装飾を持ち、素朴な味わいで日常使いの器として300年以上も昔から人々に愛されてきた小鹿田焼。川の流れを利用し陶土をつく"唐臼"の音が響く山間の工房で、景気や流行に流されることなく、ひっそりと力強く、伝統の窯の火が守られている。
 2軒目は、同じく日田市で大分の名産品・干しシイタケを生産する湯浅十四二さんを取材する。数々の品評会で表彰されている湯浅さんのシイタケは、その味と形の良さから高級料亭の引合いも多いと言う。「シイタケは自然まかせで採れるものではありません。地球温暖化の影響で生産は楽ではありませんが、1日18時間散水するなど手間隙をかけて育てています」。湯浅さんの自宅の床の間には、そんな手間隙の結晶でもある大量のトロフィーが、誇らしげに飾られていた。
 最後は、大分市内の中心部にある創業40年の洋食店「網焼きステーキ いたや」の主人・渡邉正勝さんを取材する。モダンな落ち着いた店内のオープンキッチンで、76歳となる今も料理の腕を振るう渡邉さん。本来は本格的なステーキ店だが、町の洋食屋さんとしての顔も併せ持ち、昔の流儀のまま愚直に20日間以上もかけて作られる、自家製ドミグラスソースを使ったハヤシライスが一番人気だと言う。「15歳で料理の道に入り34歳で独立、以来、洋食一本でここまで来ました。その間は常に努力です」。生まれた子が還暦を迎える程の長い間、積み重ねてきた努力...。その前には、どんな才能も敵わない。



5月某日長崎・福岡

 薫風香る5月中旬、長崎・福岡取材へと向う。
 1軒目は長崎市で、着色料や添加物を一切使わず、野菜や果物を材料に和菓子を制作する「のあ 愛collection」の社長・田上和代さんを取材する。野菜や果物本来の"色""味""香り""食感""持ち味"などをそのまま和菓子にした商品は、先日開催された長崎県特産品新作展で最優秀賞を受賞するなど話題となっている。「売る商品という形からスタートすれば、長持ちさせる為に添加物を使う必要があったのかも知れませんが、これは料理教室などの活動を通じ、家族に食べさせるモノという形からスタートした和菓子ですから、添加物を使うという発想自体がありませんでした。家庭で作る料理に添加物なんて入れないでしょう」。そんな"のあ"の商品のキャッチコピーは、"おかしなお菓子"。美しい色と可愛らしい形、自然の恵みから生まれる滋味深い味。食べる家族の笑顔が想像出来る。
 2軒目は、眼下に有明海が広がる雲仙岳の麓で、長崎の昔野菜を栽培する農園「種の自然農園」の岩崎政利さんを取材する。野菜の種は買うのが常識とされる現代において、岩崎さんは健康な土の力だけで育つ安全な野菜を目指し、自家採種によって年間80品種もの多彩な野菜を栽培している。「昔は農薬のスペシャリストとしての誇りを持ち、人一倍農薬を使用した野菜を栽培していました。しかし自分自身が病気を経験して以来、農薬を使わない自然と共生する農業を考えるようになったんです。そうすると外から色んなモノを持ち込まず、その土地で採れた土に合う種を使うのが一番だと言う事に気付かされました」。有機栽培を謳う野菜は多いが、本当に安全な野菜を求めるならば、その土地土地で土に合った種も守り伝えるべき。岩崎さんの農業は、未来にあるべき究極の農業の姿であった。
 3軒目は、"庶民の器"として知られる、波佐見焼の窯元「一真陶苑」の陶工・真崎善太さんを取材する。かつて世界第1位と2位の大きさを誇る登り窯を擁した波佐見地区には、現在も100以上の窯元がひしめき、約400年続く波佐見焼の伝統を今に受け継いでいる。そんな中、真崎さんは白磁にカンナで手彫りを施した「シンプル」がテーマの現代的な器などを制作。特に女性ファンが多いと言う。「機能性のある陶器は沢山ありますが、私はそこからさらに日本的な情緒、奥行きのある陶器を制作する事を常に意識しています。"温故知新"とも言うべき、伝統的な波佐見焼の良さを生かしながら、技術は最新という陶器です」。そんな最新の技術と伝統が受け継がれた創作陶器であっても、真崎さんは決して高い値段を付ける事をしない。そこには、江戸時代から"庶民の器"として、人々の日常に小さな幸せを提供してきたという波佐見焼の陶工としてのこだわりがあった。
 最後は福岡に戻り、創業以来、厳選された和牛のみを扱う焼肉店「大東園」の徐道源さんを取材する。櫛田神社の横に店を構え、博多の多くの人から愛されている「大東園」だが、その人気の秘密は、常に試食し、時に牧場にまで足を運び、自らが納得した最上級の肉質の和牛のみを仕入れるという徐さんの徹底した肉に対するこだわりにある。「ウチは食べ物を提供する店ですから、何よりお客様に"まずい"と言われるのが一番堪えます。情けなくなりその夜は寝込んでしまう程です。ですから、まず良い肉を仕入れる事を優先させています。しかし、焼肉は大衆料理ですから、良い肉だからとあまり値段を高くする訳にもいきません。商売人としては優秀ではないかも知れませんが、私は原価率などは考え過ぎないようにしています。考え過ぎると面白くありませんからね」。まず美味いモノ...その姿勢は「大東園」の肉を味わってみれば誰もが納得出来る。そうこの日の我々のように。



4月某日熊本

 初夏のような眩しい日差しが降り注ぐ4月中旬、熊本取材へと向う。
 1軒目は、熊本城を望む老舗ホテル「熊本ホテルキャッスル」の代表取締役社長・斉藤隆士さんを取材する。斉藤さんは、故・陳建民氏の「四川飯店」で修行した後、「熊本ホテルキャッスル」の四川料理店「桃花源」の料理長に就任。ホテルの総料理長を経て、2003年に料理人としては前例のないと言われる現職に就任。料理のみならず経営でも卓越した手腕を発揮し、仕事に遊びに...毎日をパワフルに過ごしている。「死んだら寝られるよ」。師である陳建民氏の言葉を「実践しているだけ」という斉藤さんの取材からは、"苦労"や"きつい"などといった言葉が最後まで出て来ない。斉藤さんは人生を楽しむ匠でもあった。
 2軒目は、数ある馬肉料理専門店でも最高級の肉質を誇り、馬刺しはもちろん、絶品馬肉料理が堪能出来るという「馬料理専門店 天國」の女将・前田さつきさんを取材する。「肉の中で、馬肉が一番美味しいと思うので、馬料理専門店を始めました」というシンプルな理由で、28年以上も営業を続ける前田さん。この店の自慢は、そんな一番美味しいという馬肉の中でも、さらに美味しい三枚バラ肉のごく一部から取れる、極上のトロ馬刺しを贅沢に使用するところにある。その馬刺しを頂いたが、シンプルに「美味しい」を追求した味だけに、シンプルに「美味しい」と言う言葉しか見つからなかった。
 最後は、卓越した技術で、日本間の襖や障子の引戸の上にある欄間を製作する「木彫彫刻 彫美堂」の欄間彫刻家・徳永政男さんを取材する。厚さ7〜12cmの板を立体的に削る「籠彫り」を手掛ける事が出来るのは、九州でも徳永さんのみだと言われ、その欄間は、ため息が出る程繊細で美しい。そんな徳永さんの工房には、趣味である台湾の茶器が所狭しと並べられ、訪れた人たちを台湾茶でもてなしている。その細かい作法を完璧にこなす徳永さんの振る舞いからは、同時に、丁寧で完璧な仕事ぶりも伺えた。そんな徳永さんの座右の銘は「生きている彫刻で綺麗な仕事」。血液型占いは信じてはいないが、もしかして徳永さんはA型かも...?そんな事を思いながら熊本取材からの帰路に着いた。


3月某日福岡

 桜のつぼみが開花の準備を始めた3月中旬、福岡取材へと向かう。
 1軒目は、久留米の伝統工芸品「藍胎漆器」を製作する工房「井上らんたい漆器」の三代目・井上正道さんを取材する。箸のような小物から箪笥のような家具まで...明治維新により転職した久留米の武士が作り始めたとされる「藍胎漆器」には、複雑に竹を編む技術、漆を綺麗にを塗り重ねる技術など、日本の伝統技術の粋が詰っている。「日本人の生活を彩る道具として生まれた藍胎漆器ですから、現在の生活シーンに合わせて進化しています」。そうして井上さんは、フランスパン専用の長い楕円形をした皿を見せてくれた。今では中国産が増えるなど、本場の久留米でも藍胎漆器を製作する工房が少なくなって来たそうだが、時代が求める製品を提供し続ける限り、その伝統は受け継がれていく事だろう。
 2軒目は、紅白、金銀など無数の水引を巧みに結び、鶴や亀、松竹梅、宝船などのめでたい意匠を作り上げる水引職人「博多水引」の長澤宏昭さんを取材する。流派内で伝統技術を受け継ぐのが当たり前の世界で、長澤さんは独学で水引細工を学んだ稀有な存在であり、自らが考案した意匠の特許を数多く持つと言う。「努力は仕事がないと努力しない。注文に追われたから努力したんです」。卵が先か鶏が先か...そう謙遜する長澤さんだが、きっかけはどうであれ、店内に飾られた色鮮やかで美しい独創的な水引細工は、長澤さんの長年の努力が結実した見事なものであった。
 最後は、室町時代後期、1501年に博多の筆「筑紫筆」作りの名人・河原田五郎平衛が創業した、日本一古い筆の店「平助筆 復古堂」の河原田浩さんを取材する。河原田さんは、江戸時代には黒田藩の御用筆、明治から昭和にかけては宮内庁御用達として皇室にも献上されたという筆を今に受け継ぐ。「学生が『復古堂でバイトをしている』と親や近所の人に言うと、喜ばれるそうなんですよね。それが嬉しくて」。その商品だけではない、人やサービスが長年培ってきた信用があるからこそ、復古堂が今も博多の人々に愛され続けているのだろう。そんな河原田さんは、パソコン全盛の現代において、「手紙は今でも必ず筆で書く」と言う。それは単に筆の店だからという理由だけでなく、筆は気持ちが伝わる筆記具だからと...信用はそうやって受け継がれていく。


2月某日佐賀

 小雨降る2月中旬、今年初取材となる佐賀取材へと向かう。
 1軒目は、古くから胡麻が栽培されていたという鍋島藩の城下町にある胡麻専門メーカー「株式会社まんてん」の社長・高尾秀樹さんを取材する。高尾さんは、約10〜20年前まではグラム1円と言われていた胡麻を、その10倍となるグラム10円にまで価値を高めた前の会社の理念と信条を引き継ぎ、2001年3月に「まんてん」を立ち上げたと言う。「安心・安全の理念に基づき立ち上げた会社ですから厳選した原料選びと手作業で行うという工程は、どんな事があろうとも譲れません」。そんな高尾さんは、今後、さらに胡麻の可能性を広げる、新たな事にも取り組んでいくそうだ。近い未来、世間の注目を集める嬉しいニュースが、高尾さんから届くかも知れない。
 2軒目は、県内で唯一、本格的な和太鼓製作に取り組む「谷口太鼓店」の谷口英さんを取材する。最近では作業を簡素化する為に合成の皮革を張る所も多い中、谷口さんは、あくまでも本物にこだわり明治30年という創業以来の伝統の技法を守り続けている。「気持ちを入れて叩けば良い音が鳴るように、気持ちを入れて制作すれば良い太鼓が出来上がります。叩くのも製作するのも大切な事は、心・技・体の3つが揃う事です」。どんなに時代が新しくなろうとも、頑なに昔ながらの手法を変えない谷口さん。
その夢は節目節目で太鼓の音が鳴り響いていた、昔の活気ある町を取り戻す事だった。
 3軒目は、天然醸造で伝統の日本醤油を製造する「丸秀醤油」の秀島宣雄さんを取材する。戦後の技術開発により、現在では3ヶ月で作る事も出来る醤油だが、「丸秀醤油」では、今も天然醸造により、約2年もかけて諸味を発酵・熟成させて製造する。「長期熟成することにより、酵母や乳酸菌が活発に働き、バニラ、コーヒー、リンゴ、ブイヨンなど300種類以上の香りの成分が生まれます。料理の黒子役でもある醤油には、その香りの多さが特に大切なんです」。300種類の全てが渾然一体となって香る「丸秀醤油」は、もちろんどの料理とも相性が良い。醤油本来の魅力を感じたい方は是非。


12月某日宮崎・鹿児島

 小春日和の12月中旬、1泊2日の宮崎・鹿児島取材へと向かう。
 初日の宮崎取材の1軒目は、森林面積が土地のおよそ88%を占め、その森林浴の効果によって、県から「森林セラピー基地」に認定されている北郷町にある旅館「北郷音色香の季 合歓のはな」のマネージャー・細元啓一郎さんを取材する。この「合歓のはな」は、約1万平方メートルもある広大な敷地に離れ形式の客室が、わずか10棟あるのみという上質な大人の宿として注目されているが、細元さんのさんの話からは、かつて団体旅行全盛の時代に観光都市として栄えた宮崎が、個人旅行が主体となった現代でも生き残るヒントが散りばめられていた。
 2軒目は、自らの名前を冠したブランド牛「尾崎牛」を生産する「尾崎畜産」の代表・尾崎宗春さんを取材する。「牛を幸せに出来ない人間が、人を幸せに出来るはずはない」と、快適な環境の中、愛情を注がれて育った牛の肉の味は、世界各国のセレブの舌をも唸らせていると言う。「タイガー・ウッズはゴルフで世界制覇をしたが、私は牛肉で世界制覇します」と宣言する尾崎さん。これもで費やしてきた時間と労力、そして牛肉に対する尾崎さんの哲学を聞くと、世界制覇もまんざらで夢ではなさそうだ。
 宮崎取材の最後は、全国に知る人ぞ知る"梅干の母"と呼ばれる「紅梅園」の徳重文子さんを取材する。縄文時代の農業と世間が呆れても昔ながらの梅を追求し、無農薬栽培を貫き梅干を生産する徳重さん。
その背景には、自ら虚弱体質に生まれ、子供の頃から梅の食品に助けられてきた「梅は命の恩人」という想いがある。「人の命を預る百姓は、商売をするな」と言う言葉が印象的だった。
 2日目の鹿児島取材の初日は、幕末の頃に薩摩藩が外貨獲得の為に輸出していた「薩摩ボタン」の絵付け師・室田志保さんを取材する。絵付けが繊細であまりにも手がかかる為、職人が少なくなりいつしか廃れてしまったが、室田さんはそれを現代に甦らせたそうだ。しかし、それは「あくまでも復刻ではなく復活です」。室田さんは伝統をヒントに、「薩摩ボタン」の歴史に新たなページを加えていた。
 2軒目は、これも「薩摩ボタン」と同じく、一時途絶えてしまった鹿児島の伝統工芸品「薩摩琵琶」を現代に甦らせた塩田次郎さんを取材する。約300年前に、薩摩武士の文武奨励の為に生まれた、「薩摩琵琶」は、蒔絵や貝殻の装飾が施された美しい見た目とは裏腹に、奏でるというより叩くに近い演奏法で、質実剛健の薩摩隼人に受け入れられてきたそうだ。侍の魂を受け継ぎ、自ら古武道の宗家としても活躍している塩田さんの「薩摩琵琶」に対する情熱からは、そんな薩摩隼人の心意気が感じられた。
 最後は、蕎麦通が作る県内の蕎麦屋番付で、2004年に西の横綱に選ばれた「そば処つくる」の店主・永田作さんを取材する。かつて「ベートーベン」と呼ばれた音楽教師だった永田さん。妻の祖母が作る蕎麦の味に魅了され、高齢になった祖母の代わりに家で蕎麦を打つようになったが、お裾分けの味が評判を呼び、退職後に店を構える事になったそうだ。「素材にも作業にも絶対に手を抜かない」と言う永田さんの店の看板メニューは、蕎麦の実の芯のみを使う真っ白な「大名蕎麦」。永田さんの仕事への姿勢に裏打ちされた、濁りのない誠実な味がした。
 2008年の最後となった今回の鹿児島・宮崎取材、今年1年、様々な金言をくれた匠たちに感謝。


11月某日長崎

 季節外れの雷が鳴る11月下旬、長崎取材へと向かう。
 1軒目は、長崎名物として知られる長崎天ぷらの名店「天ぷら・割烹 のだ」の大将・野田武一さんを取材する。長崎天ぷらは昔、一般の家庭料理として親しまれてきたもので、衣に卵の他、酒や塩、醤油などを好みで加え、必ず砂糖が入れられている。「小海老などをかき揚げ風にふんわりと揚げる長崎天ぷらは、明治に入った頃から各家庭で作られるようになったようです。衣に味があるので冷めても美味しいと、昔は弁当などにも入っていました」。今ではその味を伝える店も少なくなり、長崎市内でも野田さんの店を含め、3店舗ほどでしか味わえないそうだ。「砂糖は油を傷めますからね、私の店でも1度長崎天ぷらを揚げた油は、全て交換しています」。そんな野田さんの店は、天ぷら屋にも関わらず油の匂いが全くしない。「天ぷら屋が油臭いというのは偏見です。良い油を使っている店は臭くならないんですよ」。これは天ぷら屋を選ぶ時の参考になるかも知れない。何故なら油にこだわる店は、野田さんの店のように、当然、揚げる素材にもこだわっているはずだから。
 2軒目は、大村市松原地区に伝わる「松原手打刃物」を製作する「田中鎌工業」の四代目・田中勝人さんを取材する。「松原手打刃物」は、約500年前に平家の刀鍛冶が松原に逃れて来たのが始まりと言われ、戦前のピーク時には21もの鍛冶場が、その技を競い合っていたそうだ。「今は機械化が進み、簡単に刃物などが作れるようになった為、鍛冶屋を取り巻く環境は厳しくなっています。しかし、私共は効率のみを求めず、重要な部分は必ず手作りで作っています。自分達が使いたいもの、納得出来るものを作る。それが鍛冶屋の誇りですからね」。そんな今も頑固に昔ながらの製作を続ける「田中鎌工業」では、その製作姿勢そのままのイメージの『男の包丁』と名付けられた包丁を売り出し、大人気となっている。「昔は家にいる男性が包丁を研いで、1本の包丁を大事に使っていました。そんな古き良き日本的な光景を、男の人達に思い出して欲しいと願って作ったものなんですよね」。田中さんの言葉しかり、包丁から放たれる光しかり、本物のみが持つその輝きには圧倒された。
 最後は、大村市の標高300メートルの山の上に工場を構え、生花を美しい姿のまま封じ込める「花氷」を製作する「大村製氷」の村山正男さんを取材する。水は凍らせながら絶えずかき混ぜ、気泡や不純物を取り除くと透明度が増す。「花氷」は、そこに生花を入れて作るのだが、強く攪拌すると花びらが壊れ、弱ければ気泡が残ってしまうと、とても繊細な技術が求められる。「氷は1時間に3ミリしか凍らせる事が出来ないので、30センチの厚さだと2日間かかります。花氷作りは、とても手間隙がかかる作業ですが、出来上がりの美しさは言葉では言い表せませんからね」。確かに透き通った氷の中で鮮やかな色合いの花びらが泳ぐ「花氷」は、ため息が出る程美しい。しかし、そんな花は氷の中にある間は何年経っても綺麗なままだが、ひとたび溶けてしまうと直ぐに枯れてしまうそうだ。「感動を与える為には、やはり本物の花でなければ意味がないと思います。花氷はとにかく美しさが命です。そして溶けてしまうと枯れるという、桜の花にも似た儚さが、さらに美しさを際立たせているようにも思えるんですよね」。今、「大村製氷」では、雪ダルマやサンタ人形を入れた氷柱や、イルミネーションやオモチャなどを氷の板に配置した置物など、様々な氷も製作している。「結婚式やパーティーなどで使われると、本当に皆さん喜んでくれるんですよね。それが嬉しくて嬉しくて」。村山さんは、その遊び心を形にして、人を喜ばせる事が出来る一流のエンターテイナーだった。


11月某日大分

 霧雨が降る11月初旬、大分取材へと向かう。
 1軒目は、映画「釣りバカ日誌19」のロケ地となった佐伯市の葛港の傍にある「佐伯海産」の社長・西田善彦さんを取材する。西田さんは、今年6月に開通した東九州自動車道・佐伯インターチェンジの利用客を睨み、およそ2年前、魚貝類から農産物まで佐伯の特産品が一堂に集まる直売所「さいき海の市場○」をオープン。さらに開通後の今年8月、佐伯の食材を生かした食事処「魚料理○海」をオープンさせた。「漁船が泊まるだけの風景を変え、観光客が散策を楽しめる港にしようと2つの店を作ったのですが、まず地元の人に愛される店というコンセプトを掲げてスタートしました。そうする事で、県外からいらした観光客に、地元の人がそれぞれの店を勧めてくれますからね」。そんな直売所は今、開店前から多くの人が並び、食事処は、予約がないと入れないという状況が続いている。「佐伯の海の幸は、全国的に見ても素晴らしいですからね。私は生産者と消費者を繋ぐ場所を提供しただけです」。そう言う西田さんだが、そこには客のみではなく生産者にも目を向けた、人が集まる様々な工夫が散りばめられていた。
 2軒目は、県内で最大規模を誇るホワイトアスパラの生産農家「山田農園」の山田定男さんを取材する。ホワイトアスパラは通常、土から春芽が伸びだす季節に生産され、国内では九州で3月末から収穫が始まり、6月の北海道での収穫で終わりを迎える季節限定の作物だが、山田さんは独自のアイディアで、10月まで安定した出荷が出来る技術を開発したそうだ。「グリーンアスパラは10月まで収穫できるのに、そのグリーンアスパラと同じ品種のホワイトアスパラが、収穫出来ないはずはないと思い取り組みました。しかし、その手間はグリーンアスパラの3倍から4倍はかかりますね」。今では希少性と品質の確かさから、東京の老舗スーパーなどからも注文が入るようになったと言う。「これからの農業は、プラスアルファがなければ難しいと思います。農業で当たり前と思われている価値観を当たり前として考えるのではなく、人と違う事をPR出来るような生産者が増えれば、日本の農業はさらに進化すると思います」。
 最後は、豊後大野市で、露地栽培の無農薬野菜を作る「ナチュラルファーミング」の代表・津高穀さんを取材する。現在、無農薬を謳う農場は数多くあるが、この「ナチュラルファーミング」の特筆すべきところは、その栽培する野菜の種類の多さにある。「お蔭様でウチの無農薬野菜を使っていると宣伝するレストランなども増えてきたのですが、それならば、すべてウチの野菜を使って欲しいとい思い、現在、年間350種類程の野菜を栽培しています。種類を増やさないとそんな事も言えませんからね」。そんな津高さんは、「今後は、全国にいくつかの農場を持ちたい」と言う。「その土地、土地で気候風土が違いますので、さらに多くの種類の野菜が作れると思うんですよね。そうやって、農薬や化学肥料を使わない野菜が、当たり前に食べられる世の中になればと思っています」。


10月某日熊本

 10月中旬、秋色に色付き始めた久住山を望む「やまなみハイウェイ」を走り、熊本取材へと向かう。
 1軒目は、阿蘇山系の産山の麓で、赤牛を飼育する生産農家・井信行さんを取材する。脂のサシの多さで等級が決まる牛肉の世界では、A-5ランクとされる松阪牛などに比べ、A-2ランク程度の赤牛だが、健康的な肉本来の旨さが味わえると見直され、近年では、湯布院の高級旅館や東京の高級料亭などからも注文が入るそうだ。「今の畜産の世界では、サシを増やす為に、牛が本来食べない穀物飼料を与えて太らせています。しかし、赤牛は阿蘇の牧草のみを食べ、ストレスなく育てるので健康的なんです」。そんな井さんは、畜産を育てる事は阿蘇の自然のを守る事にも繋がると言う。「牧草を食べる赤牛の数が増えると、食べた草が堆肥となって循環されるので、阿蘇の草原が守られます。しかし、その為には、まず阿蘇の人たちが、この場所に住んでいる事に自信を持ち、元気に暮らす事です。そうすれば阿蘇が活性化し、畜産も元気になり、自然も守られていくと思います。まずは人が元気になれる環境を作る事です」。現在は畜産振興を柱に様々な活動を行い、有識者とも毎日のように激論を交わしているという井さん。その言葉からは、阿蘇の誰よりも元気に暮らしている姿が伺えた。
 2軒目は、熊本城の本丸御殿で提供されている、当時の熊本城下の食事を再現した料理「本丸御膳」を考案した、老舗料亭「青柳」の料理長・松村健司さんを取材する。「本丸御膳を作るに当たり、現在の資料を参考にするのではなく、やはり原文が読みたいと思い、図書館で昔の文献を詳しく調べ上げました。そうして試行錯誤を重ね、出来るだけ当時の食事を再現しながら、若干、今のお客様の口に合うようにアレンジしています」。そうして「本丸御膳」に取組む事で、松村さんは修行時代の事を思い出したという。「料理を美味しくするという技術は、今も昔も変わらないんですよね。そんな基本の大切さを思い出しました。江戸時代が基礎という訳ではありませんが、そこに立ち寄れたからこそ、今の自分の料理があると思います」。もともと「日本人なら日本料理を極めたいと思い、この道に入りました」と言う松村さん。改めて「温故知新」という言葉を胸に刻んだそうだ。
 最後は、2006年にスタートした全国の居酒屋のチャンピオンを決める「居酒屋甲子園」で、見事初代チャンピオンに輝いた「旬彩酒房 憲晴百」のオーナー、小西俊治さんを取材する。小西さんは、どうしても忘れられなかった「居酒屋」という夢を追い求め、30歳で脱サラし、現在の店をオープンさせたそうだ。「親が安心すると考え、安定したサラリーマンとなりましたが、自分の子供から親の為に仕事を選んだと言われたら悲しいですからね。そんな時、大学時代の同級生の店で働ける事となり、2ヵ月は給料を貰わず、その後、1年半は1日も休まずに働きました」。そうして、今では2店舗を構える居酒屋のオーナーとして、夢を実現させた小西さん。成功の秘訣は、「自分に正直になる事」だと言う。「人生は自分の思った通りにしかならないと思います。うまくいく人は、うまくいく事しか考えません。失敗することばかりを考える人は、失敗してしまうんです。何をするにしても、心のどこかに自信がないと駄目だと思います」。そんな小西さんのようなプラス思考の若者たちが、熊本の街を活気溢れる街へと変えていく。


9月某日福岡

 立秋を過ぎても秋の気配が遠い9月下旬、福岡取材へと向かう。
 1軒目は、釘を使用せずに瓢箪型の木片で部材を繋ぎ合わせる瓢箪継ぎなど、独特の技術と感性で家具を製作する「星野民藝」の竹内主直さんを取材する。代表作は八角の形に「末広がりに家族の幸せが膨らみますように」という願いが込められた火鉢。その重厚でありながら存在感のある洗練されたデザインは、展示場の中でもひと際輝いている。「お客様には末永く2代〜3代と使って頂きたいと製作していますので、デザインは飽きないものを心掛けています。ですから私は作った家具を何万回も見直すようにしています。そして5年経っても飽きなければ商品として世に送り出しています」。そんな竹内さんの家具は、日本のみならずアメリカ・ニューヨークでも高く評価されているそうだ。「木が大好きですから、木が第二の人生で末永く愛されるものを作らないといけないと思っています」。少々値は張るが、2代3代と使える事を考えれば決して高くはない。そう思わせる家具だった。
 2軒目は、天神の繁華街にある居酒屋「博多ラーメン shin−shin」の中牟田信一さんを取材する。博多の名物屋台で腕を磨き、「shin−shin」をオープンさせた中牟田さんは、屋台出身者ならではのリーズナブルかつこだわりの味を提供し、観光客のみならず多くの地元ファンの心を掴んでいる。「この店は屋台をそのまま持ってくるイメージでオープンさせました。ですから対面商売である屋台のように、お客様への気遣いやコミュニケーションを大事にしていますね」。そんな店の基本メニューは、やはりラーメン。「ラーメン居酒屋と言われるように麺から広がるメニューが基本です。そして、昼に食べるラーメンとお酒を飲んだ後に食べるラーメンとでは少し味を変えるなど、その基本となるラーメンにはやはり一番こだわっています」。極細の麺と絡みあうコクと味わいのあるスープは、博多トンコツラーメンの真髄を確かめたい人にオススメ。
 最後は、中州の人形小路にある、知る人ぞ知る隠れ家的な寿司屋「車寿司」の大将・下川忠俊さんを取材する。あの長嶋茂雄・巨人軍名誉監督からも愛され、背番号3番が刻まれた椅子を置く「車寿司」。「自分が美味しいと思っているものをお客様にお出ししているだけです」と、シンプルながらも細かい仕事がされた寿司を提供し、口の肥えた客をも唸らせる。「寿司屋は敷居の高いイメージがありますが、一人前で頼むなど、食べ方を知っていれば、決して高いものではありません。昔は上司が若い人に寿司の食べ方を教えていたものですが、今はそういう事もなくなりましたからね。若い人も勉強して、もっと寿司を楽しんで欲しいですね」。そんな下川さんは、「寿司は形式ばかりを考えて食べても美味しくありません。口に合わなかったら残してもいいし、その前に言って頂ければ別のネタに変える事も出来ます。」と、客にあれやこれやと強制することを嫌う。そのイメージとは裏腹に、背伸びせずとも楽しめるこんな空間なら、大人としてちょっと馴染みになりたいものだ。


8月某日佐賀

 北京オリンピック開幕に向けた熱気が、徐々に高まって来た8月上旬、佐賀取材へと向かう。
 1軒目は、伊万里牛のハンバーグで知られる喫茶店「伊万里ロジエ」のマスター、山口義方さんを取材する。伊万里本町アーケードの2階にある店の中には、伊万里・有田の古陶磁などのアンティークが飾られ、古き良き昭和の時代の喫茶店の風情が残る。伊万里牛のハンバーグは、昨年5月、伊万里の名産を生み出そうと「伊万里の食を豊かに実行委員会」によって考案され、現在18軒の店で提供されているが、それぞれの店に味の特徴がある。「私の店では、伊万里牛の肉に玉葱のみを混ぜ、卵や牛乳、パン粉などのつなぎを入れていません。ですから割れないように焼くのに技術が必要です。それと作り置きをせず、注文を頂いてから丸めて焼くので、少し時間がかかります」。伊万里牛の美味しさを堪能してもらいたいから、作り立ては何でも美味しいからと、シンプルな考えから生み出されるその味は、多少の待ち時間など気にならない素晴らしいものだった。
 2軒目は、環境に優しい建物作りを目指す左官職人・田崎龍司さんを取材する。取材先として指定された日本家屋の建物は、田崎さんの手によって施されたモダンな土壁が家全体を彩っている。「人間が一番安らげる場所であるはずの住む家は、やはり人と地球に優しい素材で作られるべきだと思うんです。私は自分が化学物質過敏症になってしまい、そういう自然素材に目を向けるようになりました。今、新築の良い匂いとされているものは、その殆どが防腐剤などの化学物質の匂いなんですよね。そして、そんな化学物質が使われた家は、壊された時、自然に帰る事が出来ず、ゴミとなってしまうんです。」。新建材を使えば、安くて工期も短く簡単に出来上がるが、出来あがった時が100%で、後は古くなっていくだけである。しかし、土壁の家は出来上がった時が70%位で、後は住む人の力によって100%に近づいていくそうだ。「土壁の家は、予算が高くても長い目でみれば安いものです。土壁の家には住む人の手によって。何十年も人の生活に癒しや安らぎを与え続ける力がありますから」。取材した時は、真夏の太陽が照りつける真昼だった。しかし、クーラーもない扇風機1台だけの空間が、とても心地良く感じた。
 3件目は、有明海を臨む海辺で豚肉の卸業を営み、平成3年からハム・ソーセージなどの加工品の製造をスタートした「田嶋畜産」の田嶋征光さんを取材する。本場ドイツの食肉製品コンテストで、20品目中8品目で金賞を受賞した実績を持つ「田嶋畜産」だが、田嶋さんは、当初コンテストに参加する事に興味がなかったそうだ。「ドイツ人の味覚と日本人の味覚は違います。ですから、コンテストで入賞したからと言って、それが日本人の口にも合うとは限りません。でも、手作りのハム・ソーセージが当たり前となった時代に、本場のドイツのコンテストで入賞した実績を持つ事が当たり前の時代が来ると思い参加しました」。田嶋さんの読み通り、今ではハム・ソーセージの世界も、お菓子の世界のように、海外のコンテストで入賞している事が当たり前となって来たそうだ。「原材料の良し悪しが8割から9割を占めると言われる手作りハム・ソーセージの味は、実際、どこの業者のモノも大差がありません。しかし、賞を貰った事で注目をされるようになりましたし、自分達自身も消費者の期待を裏切れないという気持ちが強くなりましたね」。
 喫茶店、土壁と時代の流れにあえて逆らう匠、そして、時代の流れを読み取って行動する匠。手法は違えど、そのどちらの匠からも仕事への熱い思いが感じられた佐賀取材だった。


6月某日長崎

 梅雨の低い雲が空を覆う6月末日、長崎は大村・佐世保方面へと取材に向かう。
 1軒目は、大村湾を見渡す高台に作業場を構える大工・池上算規さんを取材する。池上さんは、「大工でさえ体を壊してしまうようなモノで、人の住む家を造り続けてよいのだろうか」と、化学物質を含んだ建材に頼らない昔ながらの伝統工法による家造りを行っている。「今の産業廃棄物の殆どが建築資材なんですよ。ですから私は土に帰る素材で家造りをしています。自分達の作ったものが壊された時、ゴミとなって残されたら子供達に申し訳ないですからね」。そんな池上さんのこだわりは、使用する材木の産地にも表れている。「私は県産材しか使いません。やはりその土地の気候風土に合った木ですからね。家の為にも悪いはずがありませんから」。最近よく耳にする"地産地消"は、何も料理の世界だけの話ではない。
 2軒目は、佐世保郊外の畑に囲まれた場所にある花屋「オランダの花やさん」の吉村舞さんを取材する。フラワーアレンジの販売や教室を主な仕事として活動する吉村さんの店の名前は、オランダで学んだ、個性を大事にするという精神に由来する。「オランダでの勉強は、アナタは誰?アナタは何をしたいの?と問われる事から始まりました。そこで私自身がない事に初めて気付いたんですよね。そこから自分自身と向き合うようになり、自分が表現したい事を素直に考えるようになりました。でも、自分自身が何者なのかという答えは、永遠に続くものだと思います」。そんな吉村さんの自由な感覚から生まれる、オランダ流のフラワーアレンジは、これまでの花束のイメージを変えるとまで言われているそうだ。
 最後は、佐世保の名物料理、レモンステーキ発祥の店「れすとらん 門」の店長・森孝之さんを取材する。「日本人の舌に合うステーキは出来ないか」と、およそ40年前に先代が考案したレモンステーキは、甘辛い醤油ベースのソースに大量の生レモンを使用しているのが特徴で、肉を噛んだ瞬間、爽やかな酸味が口一杯に広がる。「ここ佐世保では、レモンステーキと名前を付けた料理が、多くの店で食べられますが、やはり我々は発祥の店として、肉の素材とソースにこだわっています。そうすると他所の店より値段が高くなるんですが、それは仕方がない事だと思っています」。そんな森さんは、今、「れすとらん 門」の新しい名物となる料理を日々研究しているそうだ。「レモンステーキはベースとしてありますから、もちろん全力で守っていきます。後は、そのベースに、どれだけ上積みしていけるかですね」。
 営業時間外の取材という事で、その味は次回のお楽しみとなったが、とりあえず佐世保バーガーだけでも口に頬張り、佐世保を後にした。


6月某日宮崎・鹿児島

 梅雨の合間の晴れ間が広がった6月某日、1泊2日の行程で宮崎・鹿児島取材へと向かう。
 早朝6時出発、アクビは出るが"アクビする間に"とは言い難い、およそ5時間のドライブの先に着いた宮崎取材1軒目は、東国原宮崎県知事の宣伝効果により、今や高級フルーツの代名詞となった完熟マンゴーの生産農家「大久保マンゴー園」。その農園を経営する黒木利男さんは、「栽培の難しいマンゴーだけには手を出すな」という友人の言葉もなんのその、およそ25年前に宮崎県で初めてマンゴーの栽培を始めた人物だ。「マンゴーは土壌が命。そして、その基本は全ての農作物に繋がる」と、何度も何度も失敗を繰り返し、豊かな土壌を作りあげた黒木さん。そこから生まれた完熟マンゴーの味は、唸る以外に適切な言葉が見つからない。ちなみに「大久保マンゴー園」の完熟マンゴーは、「太陽の子」というネーミングで、東国原知事が宮崎県産完熟マンゴーを「太陽の卵」と名付ける以前から販売している。「全国のリピーターがウチのマンゴーの良さを証明していますから、ウチは"太陽の子"という名前のままでいいんです」。その言葉からは誰よりも失敗を経験し、完熟マンゴーの栽培に取組んで来た元祖としての自信が伺えた。
 宮崎取材2軒目は、全国一の規模を誇る照葉樹林で知られる緑豊かな自然の町・綾町にある薬膳茶房「オーガニック ごうだ」。その店を経営する郷田美紀子さんは、薬剤師として働きながら「人の健康を考えた場合、薬よりも毎日の食事が大事」と、薬局の横に食事処をオープンさせ、自らも農業を営みながら「安心・安全を考えた、日本人の正しい食事」を提供している。食や環境への講師や「綾の自然と文化を考える会」の代表としても活躍する郷田さん。その言葉の中には、人と自然との関係を改めて考えさせられる金言が散りばめられていた。
 1日目の宮崎取材はこれにて終了。夜は都城で、ちゃんこ鍋に舌鼓。プレミアム焼酎として名高い「金霧島」の余韻に浸りながらぐっすり安眠となった。
 2日目は鹿児島取材へGO!1軒目は鹿屋市で、高度な技術で雄鶏を去勢し、10ヶ月もの長い間放し飼いで飼育される「シャポーン鹿児島鶏」の養鶏場「龍治農場」の上山龍治さんを取材する。およそ50日間の飼育を経て出荷される「ブロイラー」に比べ、大人の肉とも呼べる「シャポーン鶏」は、その味の美味さから、フランスでは高級食材として珍重されているそうだ。「ウチは、飼育、加工だけでなく、餌も鹿児島の自然素材を使って作っています。鶏は土の中の菌も餌として食べるのですが、やはり鹿児島の餌で育った鶏は、フランスとは違い鹿児島の味として育ちますからね」。食べる物で人間は作られると言うが、それは鶏も同じ。日本人には日本で育った鶏の味が合うのだろう。上山さんの言葉から前日取材した郷田美紀子さんの言葉を思い出した。
 2軒目は、垂水フェリーで錦江湾を横断した先にある「サンロイヤルホテル」内のフレンチ・レストラン「フェニックス」の料理人・寺地貴子さんを取材する。13階にあるレストランからは先程、フェリーから眺めた桜島が一望出来る。この眺めの良さもご馳走の内なんだろう。そんな風光明媚な空間で料理の腕を振るう寺地さんは、今年2月、西洋料理人の登竜門と呼ばれる料理コンテスト「トック・ドールコンテスト」で、九州からは初めて、全国およそ2万人の頂点に輝いたそうだ。「一品一品、今の精一杯を料理につぎ込み、常に完璧な料理を目指しています」と言う寺地さん。現在、「フェニックス」では、その寺地さんがコンクールで優勝した時のメニューが味わえるので是非!
 最後は「日本人は魚」と、魚を看板に営業して27年になる食事処「魚福」の大将・福留正広さんを取材する。「ウチのお客さんは、魚を食べたくて来る」と、魚の目利きに執念を燃やし、その殆どをシンプルに刺身で提供する福留さん。多くの客を魅了するその目利きの良さは、「これまで多くの授業料を払って来ましたからね」と言う経験の中で育ってきたそうだ。「人は失敗を繰り返し成長する」。ここでも前日取材した黒木利男さんの言葉を思い出した。
 1泊2日の宮崎・鹿児島取材。やはり何かを成し遂げた、成し遂げようとしている匠達の言葉には、どこか通じるものがある。本質というのは、どんな職業であっても変わらないものだ。


5月某日大分

 南九州が例年より早く梅雨入りした5月末、大分取材へと向かう。
 1軒目は湯布院の名宿「草庵秋桜」の料理長・新江(しんえ)憲一さんを取材する。湯布院映画祭初日の為か、平日にもかかわらず金鱗湖の傍にある宿の周りは、観光客と思しき人通りが多い。新江さんは、この映画祭などを企画し、今や湯布院を全国有数の人気温泉地として仕立てた「亀の井別荘」の中谷健太郎氏を師と仰ぎ、料理人と農家双方にメリットのある流通を確立、さらに湯布院料理研究会を発足させるなど、湯布院料理界の第一人者としても知られている。「勇気を持って進む場合は、自惚れないと進めない」と、自らの半生を自信たっぷりと語る新江さん。以前、大好きなイタリアで3年間料理店を経営するなど、その自惚れを裏付ける行動力と、そこから生まれる哲学には圧倒されっぱなしだった。取材後、成瀬に「また遊びに来なさい。でも恋人と一緒にだったら勘弁。親孝行でだったら最高のもてなしで迎えます」と言った言葉に、新江さんの料理の本質を見た気がした。
 2軒目は、同じく湯布院で、地元の素材を使ったお椀やお皿など、クラフト商品を製作している「アトリエときデザイン研究所」を主宰する時松辰夫さんを取材する。「木と人間は地球の成り立ちを考えると木と人間は親類のようなものです。その仲間を決して粗末には出来ません」と言う時松さん。普通は捨てられるであろう端材も、時松さんの手にかかれば見事なクラフト製品へと様変わりする。「技術は必要だが腕自慢の技術ではありません」。木に対し畏敬の念を持って接する時松さんの作品は、手にとると、時松さんの木への気持ちにも似た、優しい温もりが伝わってくる。
 最後は、日出町で「おおいた鳥骨鶏」のブランド化を目指す飼育家・工藤健次さんを取材する。真っ黒な皮膚が純白の羽毛で覆われている鳥骨鶏。その卵は一般の卵より小ぶりではあるが、白身が少なく黄身が多いという特徴を持ち、味、栄養価が共に高い。「平成13年に県の農業試験場から100羽の鳥骨鶏を預けられ飼育していますが、大変だと思った事はありません」と言う工藤さん。それでも「月に4個5個しか卵を産まないと言われる鳥骨鶏の飼育は大変でしょう」と水を向けると、「見て下さい、この鳥骨鶏の愛らしさ。ペットとは違いますが、親子のような感じで楽しいんですよね」と笑う。そんな工藤さんの愛情一杯に育てられた「おおいた鳥骨鶏」の卵は、現在、大分空港など数ヶ所で買えるそうだ。お土産に頂いた卵を割らないように、そっと取材の帰路についた。


5月某日熊本

新緑の眩しい5月中旬、熊本取材へと向かう。
 1軒目は荒尾市の小岱山の麓にある「小代焼」の窯元「ふもと窯」の陶工・井上泰秋さんを取材する。「小代焼窯元の会」の会長でもある井上さんの工房には、ガス窯が主流となった現在、滅多にお目にかかることが出来ない五段もある見事なのぼり窯がドンと鎮座している。「小代焼は露地栽培の野菜と一緒です。自然の恵み、自然の力を借りて制作する為、ガス窯からは生まれない奥深い味わいがあります」。確かにその作品は一つとして同じものがなく、それぞれの作品にそれぞれの表情がある。ゆっくりと時間をかけて自分だけのお気に入りを探してみたくなった。そんな小代焼は400年の長い歴史を持つのだが、国内ではまだまだ名前を知らない人が多い。しかし、今年2月に外国人観光客が見た「魅力ある日本のお土産コンテスト」で入賞を果たし注目されるようになって来たそうだ。日本画しかり浮世絵しかり、外国を経由して価値が認められるケースが少なくない日本の伝統文化だが、やはり日本人として日本の文化をもっと勉強するではなく、感じる感性を磨く必要があると思った。
 2軒目は、山鹿市の飲食店経営者の有志が、フードコーディネーターの指導を仰いで考案したという、馬カレーを提供する店「居酒屋 とくしげ」の渡辺重徳さんを取材する。山鹿の町興しとして考案されたこの馬カレーだが、馬肉が普通に食べられてきた熊本において、今まで商品化されていなかった事が驚きだが、「馬の骨で出汁を取り、馬のスジ肉を使っています」と言うそのカレーは、よく煮込まれた馬肉の旨味と野菜の甘味が相まって、とても洗練されたものだった。日本料理の板前だった経験を生かして、少しずつ手を加えて今の味になりました。山鹿には馬カレーを出す店が4店舗あるので、それぞれの店の味の違いを確かめて下さい」。加藤清正の時代から薬膳としても食べられてきた馬肉。1日で4店舗を回っても「ヘルシーだからいいや」って気持ちになってしまいそう。
 最後は、熊本で評判のチョコレート店「アンジェミチコ」のショコラティエ・岡田美智子さんを取材する。内装を手作りで行ったという雰囲気のある店内に足を踏み入れると、チョコレートの原料であるカカオの良い香りが鼻をくすぐる。「まず、これを食べてから話を聞いて下さい」。
そう言われて差し出されたチョコレートは、ブレンドされていない世界最高品種のカカオ豆のみで作られたものので、鮮烈な香りの粒一つ一つが際立っていた。「私はお客様の味覚を確かめてから、その人にあったチョコレートをお勧めしているんです。味覚の変化も楽しみながら長い時間をかけてお客様とお付き合いしています」。フランス映画「ショコラ」で、ジュリエット・ビノシュ演じる主人公マヤは、チョコレートの不思議な魅力を通じて多くの人に幸せを運んでいたが、岡田さんは、そのマヤを現実の世界で体現しているような人物だった。


4月某日福岡

 満開に咲き誇った桜も葉桜へと移り変ろうとしている4月中旬、福岡取材へと向かう。
 1軒目は博多曲物の老舗工房「博多曲物玉樹」の18代目・柴田玉樹さんを取材する。
博多曲物とは、薄く伸ばしたスギやヒノキの木を曲げて作る博多の伝統工芸品で、代表作は七五三のお祝いに使われるお膳だが、茶道具、蒸篭、お櫃、折箱といった生活用品もあり、昔から博多の庶民に愛されている。そんな博多曲物の無形文化財に指定される程の名人だった父の跡を継ぎ、18代目・玉樹を襲名した柴田さんは、400年以上続く工房の歴史の中で、唯一の女性職人として博多曲物の技を守り続けている。「私は女と思って仕事をしていません。男とか女ではなく、一人の職人として仕事をしています。商品を見て、ものば言うて下さい」と気風良く語る柴田さん。しかし、しなやかな曲線と繊細な木目が美しい柴田さんの博多曲物からは、女性ならではの優しさを感じた気がした。
 2軒目は、明太子で知られる食品会社「椒房庵」がオープンさせた自然食の店「茅乃舎」の料理長・岡部健二さんを取材する。市内から車で40分程の山間の美しい渓流の脇に、見事な茅葺屋根の店を構える「茅乃舎」。6月から7月かけては、大量の蛍の大群が店の周囲を幻想的な空間へと演出してくれるそうだ。そんな豊かな自然に囲まれた環境で、料理の腕を振るう岡部さんは、「親は子供に、体に害があるかも知れないものを食べさせませんよね。ですから私の料理は家庭料理の延長なんです」と、地産地消を実践し、安心・安全で体が喜ぶ料理を提供している。「良い素材に料理人は勝てません。そこで料理人のエゴが出してしまうと調味料の味になってしまいます」。そんな足し算の料理ではなく、引き算の調理法から生まれた出汁パック「茅乃屋だし」が、今、通信販売やネットショップで大人気となっている。インスタントの出汁と同じ位の手間で、本格的な料理店の味を家庭で再現出来るので、お試しあれ。
 最後は、福岡市内の飲食店、洋品店、美容室など様々な空間をプロデュースする「パイロットプランニング」の空間プロデューサー・緒方和宏さんを取材する。「お客さんの想いを空間にちりばめる」と言う緒方さんは、いくら予算的にゆとりがあっても、想いが届かなければ断る事もあるそうだ。「ですからお客さんとは徹底的に話し合います。朝まで飲み明かして語り合う事もありますよ。お店には命が宿るものだと信じていますので、その人の人間くささが分からないとアイディアが沸いてこないんですよね」。そんな緒方さんは、有名飲食店の運営を任されていた経験を持ち、お店が出来上がってからも様々な形でバックアップしているそうだ。「僕らの仕事は、お店が出来上がったら終わりではないんです。一緒に成長して行くものだと考えています。出来上がってハイ終わりでしたら、僕じゃなくてもいいと思うんですよね」。
今回の福岡取材、熱いハートを持った匠の話に圧倒されっぱなしだった・・・。


3月某日長崎

 桜の開花予想が発表され、長かった今年の冬がようやく終わろうとしている3月上旬、長崎取材へと向かう。
 1軒目は長崎で、新たなブランド魚「ごんあじ」を生み出した「長崎県新三重漁業協同組合 柏木水産」の柏木哲さんを取材する。日本一の海岸線の長さと正比例するように、日本一のアジの漁獲高を誇る長崎。取材先に向かうまでの美しくも雄々しい曲がりくねった海岸線が、その事実を納得させる。「"ごんあじ"は、五島灘に生息する瀬付きのマアジで、腹部が黄金色に輝いている事から名付けました。250g以上のものを"ごんあじ"と呼び、短期間活かし込む事で身が引き締まるんですよね。そんな"ごんあじ"は、その身付きの良さから開きにした場合、細長くならずに真丸になるんです」。今や大分のブランド魚「関アジ」にも負けず劣らずの味と知名度を獲得した「ごんあじ」。しかし、「関アジ」同様に、年々漁獲高が減少しているという現実もあった。お昼は、その貴重な「ごんあじ」を頂いたのだが、適度な歯応えと脂の旨みは、小泉首相ばりに"感動した"。
 2軒目は、稲佐山の中腹に建つ「長崎ホテル 清風」の総料理長・前川敬一さんを取材する。長崎県日本調理師技能士会会長、長崎県調理師協会常務理事などを務める長崎料理会の重鎮とも呼べる前川さん。先日、長き年月に渡り、長崎の食文化に貢献した事が認められ、「黄綬褒章」を受章されたそうだ。「私の子供の頃は貧しい時代でしたので、食べられるという理由だけで、料理人になりました。それから4年後に地元・長崎の料亭に入り長崎の食文化の豊かさを知り、本格的に料理人として目覚めたんですよ」。そんな長崎は食材が豊富で、特に魚の種類の幅が広いという特徴を持つが、前川さんは、「その数多くの食材の中から厳選した食材を集め、メニューを決めた瞬間に料理の7割が出来上がったのと同じ」と言う。長崎市内を一望出来る最上階のレストランで頂く、最高の食材が使われた長崎料理…想像するだけでも7割くらい贅沢な気持ちになれそう。
 最後は、軍艦島を右手に見ながら長崎市内を南下した野母崎の突端にある「ごまどうふの観月」の主人・吉田啓穂さんを取材する。厳選された素材のみを使用した観月名物の胡麻豆腐。従来の胡麻豆腐にはない甘さと胡麻の風味から、「ごまプリン」とも呼ばれているそうだ。その味を支える、独特のモチモチ感と、わらび餅のような食感は、確かにデザートとして味わっても申し分ない。「代々続いて来た商売を転換し、胡麻豆腐作りを始めた当初は、1日30丁程度しか売れませんでした。でも10年間、手間暇を惜しまず胡麻豆腐を作り続けた結果、今ではインターネットの注文販売なども増え、1日1000丁程販売しています」と苦労の上に今を築いた吉田さん。しかし、「自分の生まれ育ったこの場所以外で店を大きくする事は考えていません。ある歌にもあったように、ナンバーワンではなくオンリーワンでやって行くのが私の信条です」と言う。歌同様に吉田さんの言葉からは、自分の背中を押してくれるような勇気を貰った気がした。


2月某日佐賀

 4年に一度訪れる2月末日、「私は4年に一度しか歳をとらない」と言い張る、この日が誕生日の知人の事を思い浮かべながら佐賀取材へと向かう。
 1軒目は嬉野市塩田町にある「塩田職人組合」の代表で、建築設計士の峰松哲也さんを取材する。国の伝統的建造物郡群保存地区に認定され、昔からの職人が多く住む塩田町。峰松さんは、そんな塩田に残る職人技を子供達に見せる事で、郷土愛や誇りを育てる活動を行う他、自らも建築士として、美しい町屋の保存に取り組んでいる。「職人の町と言っても、昔はどこにでもありました。ただ塩田には、今も昔ながらの街並みと職人が残っているので、それを大事にしているだけなんです。その町に住む大人の責任として、子供達のために魅力ある故郷を守るという活動は、何も特別な事ではありません」。そんな峰松さん達は、以前、塩田町のPRビデオを制作したそうだが、「我々の活動は普段の生活の中にある」と、華やかに見せる事を一切排除したそうだ。我々が訪れた日、小雨に映える塩田の街並みは、華やかに見せるまでもなく日本情緒に溢れていた。
 2軒目は、佐賀市の中心に店を構える甘味処「しるこ 一平」の二代目・高島良邦さんを取材する。
活動写真の弁士だった先代が、廃業を機に昭和6年に創業し、二代目も店を継ぐ前はトランペット奏者、娘は現在も「レ・ミゼラブル」などのミュージカルで活躍する女優という、一家の人間それぞれが芸能と深い縁を持つ。そんな「しるこ 一平」の「あわぜん(粟ぜんざい)」は、あの黒柳徹子さんも大ファンなのだそう。「甘さには色々な甘さがあるんですが、質の良し悪しは後味に表れます。良い甘さは、甘味が舌の上を流れるように、後味がサラっとしているんですよ」。そんなお店には、「あわぜん」の他にも「みつ豆」「宇治金時」などなど、数多くのメニューが飾られてある。「看板メニューは、やっぱり"あわぜん"なんですか?」。そんな質問に「ウチはオススメなモノしか置いていない」との答え。そりゃそうだ。季節によって様々な旬の甘味を楽しむのが正解なのだろう。ちなみに、店の前を通る「長崎街道」は、江戸時代に長崎・出島から江戸に向かって砂糖が運ばれた事から、別名「シュガーロード」と呼ばれているのだが、それも、「しるこ 一平」のような甘味処が、この街道沿いに数多く栄えている事の理由に挙げられている。
 最後は、神埼素麺で知られる「井上製麺所」の直営店「神埼そうめん工房 百年庵」の五代目・井上義博さんを取材する。神埼素麺は、全国的にも一早く機械化した歴史を持つのだが、機械化する事により椿油を使わなくて済む為、麺が酸化せず、麺の味がダイレクトに伝わるという特徴があるそうだ。
「ですから神埼素麺は、粉に凄くこだわります。味を誤魔化す事が出来ないんですよね」。我々も温麺を頂いたのだが、細いながらもコシがあり、上質のうどんを味わっているような小麦そのものの味が堪能出来た。そんな素麺は、井上さん曰く、茹でるのが一番難しいそうだ。「素麺は茹で時間が10秒違うと全く味が変わります。よく袋売りの商品などで、茹で時間を細かく教えて下さいと言われるんですが、季節、天気、湿度、製造日からの日数、それぞれで変わります。ですから本当は、厳密に茹で時間を指定出来ないんですよね」。製造者として、やはり最良のコンディションで麺を味わって貰いたいというのは心情だろう。それならばとオープンさせた店が、この「神埼そうめん工房 百年庵」という訳である。本当の素麺の実力を知りたいのなら、是非足を運んで貰いたい。


1月某日宮崎

 寒冷前線が日本列島を下ってきた1月下旬。その寒冷前線から逃れるように1泊2日の南国・宮崎取材へと向かう。
 初日の1軒目は神々の里・高千穂で、山とのどかな田園風景に囲まれた平屋建ての民宿「御宿 春芽」を営む藤高今朝徳さんを取材する。藤高さんは、フランス料理と和食の料理長をそれぞれ5年間務めた経験を持つスペシャリストで、全国的な料理コンテストで3位入賞した実績を持っている。「食べる為にお泊り下さい」そんな気持ちで作られる絶品料理に魅せられ、リピーターが後を絶たないそうだ。
 2軒目は、海の町・北浦町に根ざした伝統工芸品である、大漁旗を作り続けて70年の歴史を持つ、「吉田旗店」の三代目・吉田儀男さんを取材する。漁の帰りを港まで出迎える家族に、大漁を知らせる旗として生まれ、主に富士山、鶴、亀など縁起が良いとされる柄が描かれている大漁旗。厳しい漁の無事を願い、大漁を祈願する家族の想いが込められているんだな〜と思うと、色鮮やかな大漁旗が、より輝いて見えた。ちなみに、今は娘のみどりさんが四代目として修行をしている。女性が大漁旗を作る事は珍しいそうだが、女性的な感性で新しい大漁旗の文化が花開く事だろう。
 その後、北浦町から都城市まで移動。宮崎県を縦断する行程に、この日の取材はこれにて終了。夜は極上の都城牛に舌鼓を打ち、翌日の取材へ向けて英気をたっぷりと養った。
 2日目の1軒目は、"地元でとれた旬のものを、その土地に伝わる料理法で調理し、食する"というこだわりを持つ、昭和45年創業の宮崎の老舗料理店「ふるさと料理 杉の子」の森松平さんを取材する。宮崎の郷土料理に関する書籍を多数執筆し、宮崎料理界のドンとも呼べる森さん。「当たり前の事を当たり前にやる事」で、今の実績を作り上げたそうだ。ちなみに宮崎を代表する郷土料理である冷汁は、森さん曰く「元々鹿児島の郷土料理で、麦飯を美味しく食べる為に作られたんだけど、白米が普通に食べられるようになって、鹿児島では忘れられてしまった」そうだ。
 宮崎取材の最後は、小林市で植物を交配、選抜し、新しい品種を作り出す育種業を営む「星花園」の松永一さんを取材する。「ひとつの花を完成させるのに30年はかかりますよ」と、80歳を間近にしながらも、新しい品種作りに情熱的に取り組んでいる松永さん。難しい交配の理論を把握する頭脳は勿論、「どのような花ですか」という我々の質問に「インタ−ネットを開けば、直ぐ見られますよ」と返す柔軟な言葉に、自分自身奮い立たされた。
 知事の活躍により何かと注目される宮崎。やはり勢いがある。


12月某日熊本

クリスマス直前の12月下旬、ロマンティックの欠片も感じぬ男3人で、熊本取材へと向かう。
 1軒目は八代で、手焼き煎餅の店として知られる「ねぼけ堂」の社長・持丸富士男さんを取材する。朝が早い煎餅店だからこそ、「寝過ごしてしまわないように、寝ぼけた仕事をしないように」と言う想いを込めて「ねぼけ堂」と名付けられたそうだ。「ウチの煎餅は機械を使わずに手焼きですから堅いんですよ。でも堅い煎餅の方が頭が良くなりますからね」と笑う持丸さん。もちろん手焼きにこだわる本当の理由は、「機械では出来ない微妙な火加減が、煎餅の美味さにつながる」からだそうだ。持丸さんの先代は、米が手に入らなかった戦後10年位、「米以外の偽物の煎餅は焼けん」と遊んでいたそうだが、煎餅同様、その頑固さは持丸さんにも受け継がれていた。
 2軒目は九州駅弁大会で、2年連続1位を獲得した八代駅の駅弁「鮎屋三代」で知られる鮎問屋「より藤」の三代目・頼藤浩さんを取材する。創業110年の歴史を持ち、清流・球磨川で捕れた鮎を加工し販売する頼藤さんは、「鮎屋三代」を作った理由を「九州新幹線が開通した事がきっかけでした。丸1年かけて、10人食えば10人とも美味いと言う弁当を作ろうと思い、試行錯誤を重ねて作ったんです」と教えてくれた。元々は板前として活躍してきたと言う頼藤さんだが、10人食えば10人とも美味いと言わしめる「鮎屋三代」の実力は、その実績が証明している。ちなみに、九州新幹線が全線開通したら、博多駅にも置く予定だそうなので、福岡の方はお楽しみを。
 最後は、宇土市にある県内で唯一の手作り硯の工房「龍神工房」の硯師・小野寺友吉さんを取材する。切り出した原石の風合いを生かした模様が、龍の昇る姿に見える事から「龍神硯」と名付けた小野寺さん。「龍神硯は、自然の石を相手にしているので、作ってみないと分からないんです。でもそこが一番、面白いんですよね。」と言う。そんな小野寺さんは定年退職後、この硯師としての仕事を本格的に始めたそうだが、今ではモノ作りの楽しさを子供達に伝える活動も行っている。「7年間で、200人位には教えてきました。モノ作りの楽しさを教える事は、何事にも一生懸命取り組む事の素晴らしさを教える事につながると思うんですよね」。
 最後までロマンティックとは無縁の旅だったが、匠たちの話はクリスマス・イルミネーションに負けず劣らず、キラキラと輝いていた。


11月某日大分

山が色づき始めた11月中旬、大分取材へと向かう。山間部を抜ける大分自動車道から見える、赤や黄色に染まった山が、長時間の運転の疲れを癒してくれる。
 1軒目は、大分銘菓「ざびえる」を製造する「ざびえる本舗」の社長・太田清利さんを取材する。大分にゆかりのある宣教師、フランシスコ・ザビエルの名を冠し、植毛の豪華な箱に入れられた「ざびえる」は、長く大分土産の定番として親しまれてきたが、その昔、製造元が倒産してしまい、無くなってしまった事がある。しかし、太田さんを筆頭に元社員達が、「ざびえる」の復活を望む多くの声に後押しされて、新たに「ざびえる本舗」という会社を設立して復活させたそうだ。「昔となんら変わらぬ製法で、変わらぬ美味しさを提供しています」と言う太田さん。しかし、今、その焼き方に更なる工夫を加える事を検討中だそうだ。更に美味くなる「ざびえる」に期待が高まる。
 2軒目は、穴子専門店「あな太郎」の主人・宮良洋成さんを取材する。老舗鮨店で働きながら、生の穴子の美味さを知り、およそ20年前に「穴子専門店」をオープンさせた宮良さん。「生の穴子料理がある事を知らない人に宣伝するのは大変でした。最初は店名を見た人から、いかがわしい店だと勘違いされた事もありますよ」と笑う。何事もパイオニアとして名を成す為には、まず知って貰うと言う普通より多くの苦労が待ち構えている。しかし、その淡白でありながら、奥深いコクのある穴子の生を一度でも味わうと、宮良さんが穴子に魅了された理由も分かる。「穴子は骨の処理が難しいので、生で提供出来る職人が少ないんですよね。穴子は大きすぎても駄目だし、小さ過ぎても駄目なんです。ですから、その日に生で提供出来る量も限られています」。どうしても味わいたいのなら、ランチをやっている昼をオススメする。
 最後は、全国的に有名な佐賀関のブランド魚、関アジ・関サバを提供する「関の漁場」の店長・坂本浩二さんを取材する。「ここ数年は漁獲量が激減した事と、その殆どが大量消費地の東京や大阪などに出荷される為、地元でも滅多に食べる事が出来なくなったんです」と言う坂本さん。だからこそ、佐賀関漁港から直接買い付け、本物の味を低価格で提供している店は貴重だ。「地元に来たお客さんが食べられないという事態になるのは間違っています。これからは天然だけにこだわるのではなく、養殖にも目を向けていった方が良いと思います。天然でも養殖でも、お客さんは美味しい魚を求めて来るのですから」と言う坂本さん。その希少価値から、偽物まで出回るようになった関アジ・関サバは、今、存続の岐路に立たされているのかも知れない。ちなみに、坂本さんからお土産に頂いたクロメという海藻。細かく刻んで、ご飯に混ぜても味噌汁に入れても美味い。佐賀関の冬の味覚なので、訪れた際は関アジ・関サバと一緒に是非!


11月某日福岡

やっと本格的な秋の風が吹き始めた11月初旬、福岡取材へと向かう。
今回は、福岡市内中心部という近場の取材の為、いつもより遅めのスタートとなった。
 1軒目は、「博多人形」「博多織」などと並ぶ、博多を代表する伝統工芸品「博多鋏」の工房「高柳商店」の4代目・高柳晴一さんを取材する。およそ700年前、南宋の帰化人である謝国明が博多に持ち帰った唐鋏が原型と言われ、鍛冶に刀剣づくりの技術を用いる事から、その切れ味に定評のある「博多鋏」。現在は、その寸分の狂いも許されないという製造技術の難しさから、高柳さんが唯一の製造元として、その火を守り続けている。「伝統工芸品って言うけど、鋏は使ってナンボの物でしょう。だから良い鋏程、一杯使われて、小さくなって残っていないんです」。確かにその通り、使ってナンボの物は、やはり使ってあげなくては、その物が可哀相だ…でも勿体無い。
 2軒目は、ほうじ茶を練りこんだ生地と上品な甘さの餡子の饅頭「お茶々万十」で知られる和菓子店「お茶々万十 富貴」の松本弘樹さんを取材する。「和菓子作りにおいて大切な技術は沢山あるが、最も大切なのは考える力だと思う」と言う松本さん。「今は定番の和菓子も、作られた当時は、その時代の最先端を行くものだったはず。それが現代では当たり前にある伝統的なモノとして定着しただけ」と、新しい定番を生み出そうと様々な努力を続け、様々な所で広がりを見せている。そんな松本さんが素晴らしいと思った商品は、今や定番となった「苺大福」だそうだ。納得…。
 最後は、福岡で人気のパン屋と言えば必ず名前の挙がる「セ・トレボン」のチーフ・大西かおりさんを取材する。練乳とフレッシュバターを香ばしいバケットに挟んだ"プチミルクバケット"を始め、本場フランス仕込みのパンで多くの人を魅了している大西さんは、今でも毎年フランスに渡り、本場の味と技術を確認しているそうだ。「私、前世はフランス人じゃないかな〜と思うんです」。そう笑う大西さんだが、そのパンを味わうと、大西さんが日本人として生まれて来てくれた事に感謝したい気持ちになった。
 今回の福岡取材では、仕事に対して徹底的に妥協しない匠達の話が聞けた。その迫力ある言葉には圧倒されっぱなしだった。ちなみにお昼は、以前取材させて頂いた「そば勢」で蕎麦を頂いたのだが、主人の長尾茂穂さんは、その妥協しない仕事の姿勢が評価され、黄綬褒章を授与されていた。心よりおめでとうございます。


10月某日鹿児島(奄美大島)

秋風漂う10月中旬、一泊二日で、まだ夏が終わらぬ鹿児島は奄美大島取材へと向かう。
 
16世紀後半は琉球王国による支配、江戸時代は薩摩藩の直轄地、終戦後は1953年の返還まで、アメリカの統治下に置かれるという歴史に翻弄された奄美大島。そこには、沖縄と鹿児島の狭間で育まれた独自の文化があった。
 
初日の1軒目は、奄美大島の伝統的な織物・大島紬の約30工程の一つ"泥染め"を専門に行う「金井工芸」の金井一人さんを取材する。15年程前に「イッセイ・ミヤケ」の作品を染めたのを皮切りに、今はジーンズを染めるなど、その仕事の幅を広げている金井さん。「今は着物の時代ではないですからね。大島紬だけでは厳しいのが現状です」と言う言葉に、大島紬を取り巻く環境の厳しさが伺えた。
 
2軒目は、大島紬の機織職人から、奄美大島の郷土料理「鶏飯」の専門店に転職したと言う、「けいはん ひさ倉」の久倉茂勝さんを取材する。今や観光コースに組み込まれ、地元の人からも推薦される「鶏飯」専門店に育て上げた久倉さん。機織職人時代には、今までにない柄のパターンを生み出した事もあるなどマルチな才能を持った人物だった。ちなみに「鶏飯」とは、ご飯の上に鶏のささ身、錦糸玉子、海苔、椎茸などを乗せ、濃厚な鶏のスープをかけて食べる郷土料理だが、メインの食事として楽しむのも良し、飲んだ後のシメにするのも良し、まさにマルチな食べ物だった。
 
初日最後は、奄美大島の伝統民謡、島唄の第一人者として知られ、郷土料理店も営む「郷土料理かずみ」の西和美さんを取材する。「過酷なサトウキビ栽培を課せられた薩摩藩時代に、せめて唄を歌って楽しもうと自然発生的に生まれた」という島唄。黒人音楽のルーツにも似た、まさにソウルミュージックだった。その夜は西さんの店で郷土料理と酒、そして島唄を堪能。いつの間にか集まって来た地元の人と一体となって、奄美大島のソウルに触れる事が出来た。
 
2日目の1軒目は、大島紬の機織職人で、伝統工芸士の平俊一さんを取材する。細い糸を何千本も紡ぎ合わせて生まれる美しい生地からは、「体中の神経が一つになる位、集中しないと出来ない」という平さんの言葉に嘘偽りの無い事が分かる。そんな平さんは、「問屋に卸す価格は市場価格の一割程度で、最終的に大島紬は超高価なものとして売られる。しかし、安いとお客さんが本物と思わないから仕方がない」と大島紬の現状を教えてくれた。本物を見る目が消費者にも求められている。
 
2軒目は、平成10年にエコツーリズムを実践する会社として設立された「奄美ネイチャーセンター・ANaC」のチーフ・ガイド、高美喜男さんを取材する。「人は自然の素晴らしさに触れると、自分の身近な足下にある自然を考えるようになる」とエコツアーなどの活動を行う高さん。ガジュマルの樹やマングローブの森などに代表される豊かな自然を誇る奄美大島は、今、高さん達の活動が実を結び、世界自然遺産を目指しているそうだ。
 
奄美大島取材の最後は、前日取材した西和美さんの島唄の師匠で、奄美大島伝統船大工として活躍している「坪山船大工店」の坪山豊さんを取材する。ルーツは沖縄だと言われている、伝統的な木船を作る技術を持つのは、需要の低下と共に、今、坪山さんだけになってしまったそうだ。「50年も木と付き合うと、木と仲間になる。奄美大島の自然が好きだから、お金儲けの為にプラスチックなど自然の素材以外で船を作ろうとは思いません」。
 
今回取材した奄美大島には、物質的な豊かさはない。でも、そこに住む人たちの人間的な豊かさに触れる事が出来た取材だった。


8月某日長崎(平戸)

子供達の夏休みも終わる8月末、長崎(平戸)取材へと向かう。

車で3時間程の長旅を終え、1軒目は生月大橋の袂にギャラリー「Luna llena(ルナ・イエナ)」を構えるネオン・アーティスト、川辺雅彦さんを取材する。建築資材置き場だった物件を改装して作られたそのギャラリーからは、生月大橋、そして、その先に広がる海や島などが一望でき、気持ちよい潮風の通り道となっていた。「ネオンと文学と音楽を愛し、世界中を放浪し、故郷である平戸の生月という場所に帰り着いた」と言う川辺さん。ネオンだけに止まらない、その波乱万丈な人生から生まれてきた言葉達は、とても興味深いものばかりだった。
 2軒目は、平戸焼の窯元「平戸茂右ヱ門窯」の辻田正美さんを取材する。精密で繊細な透かし彫りの技法を駆使した平戸焼を制作する辻田さんは、工房で体験教室を開き、平戸焼の普及活動にも務めている。そんな辻田さんは、「作品の価値を付けるのはお客様」と、自分の作品に値段を付けないそうだ。
「先日、10万円程だと思う作品を依頼者に送ったら、その10倍の値段を送って来た人がいたんです。もちろん、そんな作品じゃありませんよと、残りの金額はお返ししました」。う〜ん…自分ならお返ししたのだろうか?しかし、その逆に「依頼された作品を送っても、お金を送ってこない方もいる」と言う。しかし、辻田さんは、「作品が送り返されてきたらショックだけど、そうじゃないって事は、自分の作品が生かされているって事ですからね」と意に介さない。つくづく我々を悩ます煩悩とは無縁の匠だった。
 
最後は、平戸の銘菓「カスドース」で知られる老舗の菓子屋「湖月堂」の店主・佐野屋勇さんを取材する。かつては松浦藩の御用菓子で、今では皇室に献上されている「湖月堂」の「カスドース」。その店内の壁には、宮内庁などからの感謝状が飾られ、歴史と伝統を感じる事が出来る。ちなみに「カスドース」とは、マッチ箱大のカステラを卵黄にくぐらせた後、さらに糖蜜にくぐらせ、その上にグラニュー糖をかけた南蛮菓子である。とても甘そうなイメージのお菓子だが、カステラの甘さが抑えられている為、見た目程の甘さはない。抹茶と合わせて食べるのが正統な食べ方だそうなので、お試しあれ。


7月某日熊本

夏の陽射しが容赦なく照りつける7月某日、熊本取材へと向かう。
 
1軒目は、UD(ユニバーサルデザイン)を取り入れた陶器を制作する工房、「三池焼」の主人・中村秀昭さんを取材する。
 
UDとは、誰にでも使いやすい工夫を凝らしたモノやサービスの事だが、中村さんは、スプーンですくいやすいようにふちが内側に傾いた皿、片手で楽に注げる急須、滑り止めの付いたカップなどを制作している。「焼物屋は頑固ですからね。三池焼は、こうだって言っても、世の中変わっていってるんだから、器も変わって良いと思っています」と言う中村さん。UDという名前で呼ぶと、専門の何かのように聞こえるが、それは、ただ"用の美"を究極にまで追求した結果の形であって、他の陶器と何ら変わらぬモノのような気がした。
 
2軒目は、明治39年創業の老舗の味噌・醤油蔵である、
「ホシサン株式会社」の社長・古庄完ニさんを取材する。
 
かつては熊本の総鎮守といわれる藤崎八幡宮の参道そばに、蔵元を構えていた「ホシサン株式会社」は、現在、清流・白川の辺に工場を構え、ミネラルウォーターとしても人気の高い阿蘇の伏流水、天草の天然塩など自然そのものを材料に味噌・醤油を製造していた。

3軒目は、阿蘇を代表する食材「あか牛」の飼育農家が経営する
「農家レストラン 田子山」のオーナー・小野聖子さんを取材する。
 
平日の昼の忙しい時間を過ぎているにも関わらず、店内には数名のお客さんが「あか牛」の味を堪能している。その味は赤身の旨みが素晴らしく、数多くのリピーターも獲得しているそうだ。ちなみに、阿蘇の美しい草原は、あか牛が草を食べる事によって保たれているのだが、小野さんは、「この草原を守るためにも、今後もあか牛を飼育していきます」と言う。ここでは自然の循環が、人間に大きな恵を与えてくれていた。


6月某日佐賀

梅雨本番の6月末日、佐賀取材へと向かう。
 佐賀市内のみの取材と言う事もあり、久々に電車での旅となったが、
博多駅〜佐賀駅間が特急電車で約45分あまり…。「世の中便利になったもんだ」と思う。
しかし、駅弁をゆっくりと頬張る事さえままならないその便利さが、少し寂しい気もした。
 
1軒目は閑静な住宅街に工房を構える「ガラス工房 ダンダン」の彫刻師、川浪政人さんを取材する。県内では、ガラス彫刻の草分け的存在として知られる川浪さんだが、
「ガラス彫刻に、ややこしいロジック(理論)はいらない。
見た人が楽しくなる作品じゃないと、それは僕の作品じゃない」と、
自由奔放ながらも細部にまで仕事がされた彫刻をガラスに施していた。
 
2軒目は佐賀の伝統工芸品でもある織物、佐賀錦の技術を継承する人物として、
平成13年度に、「佐賀マイスター」に認定された池田幸子さんを取材する。
「伝統あるものでも時代のニーズに答えられなければ意味がない」と、
池田さんは年齢を感じさせない柔軟な発想で、佐賀錦の伝統を守り続けている。
その発想は佐賀錦で携帯電話ストラップを作るなど、時代の先端をいくツールで表現されていた。
 
最後は全国でも数少ない万年筆専門店「江島万年筆店」の江島満さんを取材する。
「ペン屋の仕事は人に合うペンを選ぶ事」という想いから、
これまで数多くの"人"と"ペン"との仲人をしてきた江島さん。
実際に花村勇作が書く字のクセを見て、江島さんがペン先を磨いた後は、
花村勇作にとって、驚くほど書き易いペンへと変身していた。
「ペンと良い出会いをして欲しいから、自分の手で確かめて選んで欲しい」と言う江島さん。
だから、いくらネット社会がさらに発達しても、インターネット取引は行わないそうだ。
そして、「ホームページを作らないのか」と聞かれると、
「私はアナログを売っているんですよ」と答えると言う言葉に、ある種の痛快さを覚えた。


6月某日大分・宮崎

梅雨の気配を感じる6月某日、推定走行距離800キロの大分/宮崎取材へと向かう。
 早起きして出発した良い子の我々は、"予定通り"に時間を余らせ、前回の取材では、
その味を堪能する事が出来なかった別府市にある鰻の名店「いま勢」で早めの昼食を頂く。
 その秘伝のタレの味、鰻の焼き具合、もはや芸術品とも呼べる、これぞ匠の味に唸る。
ちなみに、取材したのは成瀬薫で、食べたのは花村勇作…まあ人生そんなもんかな。
もちろん花村より、食前、食後の写真付きメールを成瀬に送らせて頂きました。
 ミヒマルGTの「気分上々↑↑」を心の中で奏でながら、
1軒目の取材先、臼杵市で江戸時代から続く老舗の和菓子店「さかいや」に到着。
 「さかいや」の和菓子は、その日に売れる量しか作られていない為、
昼過ぎには「売り切れ」の木札がかかる事もあるそうだ。
 「何故、日持ちする和菓子を作らないのか」との問いに、六代目の岡田幸太郎さんは、
「日持ちさせる為に添加物を入れると、不味くなるでしょう」と、シンプルな答え。
そこには、小難しい理屈などなく、ただ美味いものを作りたいという想いだけがあった。
 2軒目は、大分の県南、佐伯市の蒲江まで足を伸ばし、ブリの養殖から加工、
さらには販売まで手掛ける「かまえ直送活き粋船団」の村松一也さんを取材する。
 「かまえ直送活き粋船団」とは、蒲江の若手漁師10人が共同出資をして創った団体で、
その日の朝に獲れた、活きた魚の加工品を消費者に提供している。
 「魚を獲って、売るのは人任せではなく、自分達が直接、お客様の下へ商品を届けたい」。
そんな想いから創設したそうだが、村松さん曰く「まだまだ、前途多難」な道程を歩いているそうだ。
しかし、村松さんは、「焼酎を飲みながら仲間と夢を語るのが面白い」言う。
パワフルでバイタリティー溢れる村松さんなら、その夢が実現する日はそう遠くないと感じた。
 3軒目は、宮崎県北部の北浦漁港近くに建つ「旅館さざれ石高島」の女将、工藤盟子さんを取材する。
 32年間続いた旅館を新築し、「一人一人に目を向けた接客を」と、
1日4組限定の宿として営業を再スタートした工藤さん。
身も心も癒される、心地よい空間を演出する工藤さんだが、その穏やかな雰囲気は、
周りの空気まで、ゆっくりと流れているように感じた。リピーターが多いというのも頷ける。
 ちなみに、「旅館さざれ石高島」の料理は、「折角、遠くまで足を運んでくれたのだから」と、
海の幸、山の幸がこれでもかと提供される、豪華絢爛なものだそうだ。
 取材後、工藤さんは、その料理の一部で、我々をもてなしてくれたのだが、
その味は、決して豪華食材を使っているだけではない、ひと仕事もふた仕事されたものだった。
そんな心もお腹も「気分上々↑↑」な大分/宮崎取材の帰り、
宮崎から大分へ抜ける川沿いで、大量の蛍を鑑賞する事が出来た。
こんな蛍を見たのは、小学生の時以来だろうか…やはり匠の取材はやめられない。


4月某日福岡

春の陽気が心地良い4月のある週末、福岡取材へと向かう。
 
1軒目は、緑に囲まれた福岡の郊外で、主にクラシックギターを製作している、ギター製作家、中村通さんを取材する。
 
そのキメ細かな模様まで、すべて手作りでギターを製作している中村さんは、「ギター製作は料理と同じ説く、その心は…どちらも素材が大事です」とは言わなかったが、まさに一流の料理人と同じく、素材と材料にこだわり抜いたギターを製作していた。
中村さんは、「妥協はしません。それが僕の生き方です」と少し照れながら笑った。
 
2軒目は、福岡に夏の訪れを告げる、「博多祇園山笠」の山大工、「名越工務店」の名越正志さんを取材する。
 
「山笠は、心の支えであり、人生のすべてです」と語る名越さん。
その山笠の魅力とは、山笠を生で見れば必ず伝わると力強く話してくれた。
 
3軒目は、昨年行われた「第55回 新作博多人形展」で、内閣総理大臣賞を受賞した、博多人形師の武吉国明さんを取材する。
人形で1番大事なのは、「品」「色気」「リアル性」の3つだと語る武吉さんの作品は、その吸い込まれてしまいそうな程の美しさで、見る者を魅了する。
「博多人形は生活必需品ではない。だからこそ心を込めなければ魅力はない」と語る武吉さん。将来の夢は、等身大の博多人形を作り、福岡の顔として、駅や空港など福岡の名所に飾る事だそうだ。
 そんな武吉さんの博多人形が、福岡の顔として、福岡を訪れる人達を迎える日も近いかも知れない。

3月某日長崎

春風と共に花粉も舞う2月の週末、異国情緒の街、長崎取材へと向かう。
 1軒目は、長崎を代表する長崎を代表する秋の祭り「長崎くんち」の傘鉾や衣装に多く見られる「長崎刺繍」の技術を受け継ぐ唯一の匠、「長崎刺繍工房」の嘉勢照太さんを取材する。「浦上天主堂」からほど近い場所にある「長崎刺繍工房」。荘厳な雰囲気の教会内に光を映す「浦上天主堂」のステンドグラスも美しいが、「長崎刺繍」のその繊細な仕事ぶりもまた美しい。
 シルクロードから伝わり、江戸時代に唯一の貿易港だった長崎で生まれた「長崎刺繍」、200年以上も続くその伝統は、嘉勢さん一人の力だけで守られている訳ではなかった。
2軒目は、長崎の名産「あごだし」を使ったラーメンの店「あご屋」を取材する。
取材前に一杯、一杯と言っても、もちろん「あごだし」を使ったラーメンを一杯だが…。
 その味は、薄味ながらも、「あごだし」の風味がしっかりと主張している。
トンコツのガツンとくるラーメンとは別次元にある、和食を頂いているような感覚だ。
今、世の中では、"食育"という言葉が氾濫しているが、「あご屋」のラーメンの味の秘密は、店主、山崎哲雄さんの"食育"への答えでもあった。
 最後は、長崎の伝統的な手作り凧の店「小川凧店」を取材する。ちなみに、長崎では、"凧"の事を"はた"と呼ぶのだが、長崎の伝統的な凧のデザインの旗印に由来するなど諸説があるそうだ。
 そんな長崎の凧は、ケンカ凧とも呼ばれ、凧糸にガラスの粉をまぶし切れやすくしている。
そして凧糸をからませ相手の凧糸を切った方が、その凧を奪う事が出来るそうだ。
長崎の街が見下ろせる丘の上にある「小川凧店」の小川暁博さんは、その丘の上で、実際に凧揚げを体験させてくれたのだが、凧糸を握る手の感覚が何だか懐かしい。
 
丘の上から見た長崎の夕景と共に、その凧揚げの高揚感は、取材の旅の疲れを癒してくれた。

2月某日熊本

2月の寒い週末、熊本取材に向かう。
1軒目は、熊本市川尻町で6軒の和菓子屋が集まり、新しい銘菓を作ろうと結成された
「開懐世利六菓匠」の一人で、「菓舗 梅園」の店主、片岡圭助さんを取材する。
 
「私、下ネタなら得意ですが…」。「いえいえ我々も嫌いじゃないですが、今日のところは穏便に…」。
そんな会話から始まった、陽気な匠への取材だったが、「十話すより、まず、この腕を見てくれ」と、おもむろに和菓子を作り始めた。
 
我々にジョークを飛ばしながらも、鶴にウサギ、はてはドラえもんまで…、匠の指先からは、様々な形をした芸術的な和菓子が次々と生まれる。
ラジオでパーソナリティーも務めているほど弁の立つ匠だが、やはり本職、驚嘆の声が漏れた。
 
2軒目は、日奈久温泉にある明治43年創業の老舗旅館「金波楼」の3代目当主、松本寛三さんを取材する。
 
今ではなかなか見る事が出来ない日本式三層建築や桃山形式の庭園など、懐かしい創業時の温もりを残し、近代的なホテルにはないくつろぎの空間を提供している松本さん。「古いから磨かなければオバケ屋敷になってしまう」と、徹底的に磨かれた廊下は、まるでガラスでも敷き詰めたような輝きを放っていた。
 
温泉も最高だろうが、この廊下を歩くだけでも価値があるかも…?
ちなみにピカピカだけどツルツル滑らないのでご安心を。
最後は山鹿市の「八千代座」の近くにある、「灯篭なかしま」の灯篭師、中島清さんを取材する。
木や金具を使わずに、和紙と少量の糊だけで作られる以前取材した山鹿灯篭。
毎年8月15日から17日の未明にかけて行われる「山鹿灯篭まつり」の「千人踊り」で、浴衣姿の女性たちが頭に乗せている「金灯篭」が有名だが、神殿造りやお城造りなどの建築物もあった。
これがまさしく細工と言うのか、本当に細かい畳の線まで再現された建築物などには驚かされる。しかし匠は、「キチっとしてると何でも面白くない」と、菊の花びらなど、微妙にふぞろいな形で
再現しているそうだ。
 
最後に「金灯篭」を成瀬が被らせて頂いたのだが、う〜ん、やっぱり浴衣じゃないとね…。


1月某日佐賀

2007年、最初の取材は佐賀からスタートした。
 
冬の凍てつくような小雨が降る中、1軒目の取材先、唐津の「清流工房」へ向かう。
 
この「清流工房」を営む画家の福本哲夫さんは、唐津くんちに魅せられ、「曳き山」を描き続けていた。
黒い下地に白ペンの点描で描かれた「曳き山」は、Tシャツとしても販売されているのだが、光と影の描写が見事に描かれ、ファッションに和を取り入れたい人、ロックな人は要チェック!
 
「全てがイメージ出来るカラーではなく、見る人の想像に委ねることが出来るモノクロに
こだわりたい」と言う福本さん。その理由を尋ねたところ、「何となくイイと思うから」だそうだ。
 
芸術はそれでいい、理屈なんていらない…。
ギャグを解説することくらいナンセンスな事が作品を見れば分かる。
 
2軒目は、有田焼の町で、有田の代表的な色である赤の絵の具作りを継承する、「辻絵の具店」の八代目、辻昇楽さんを取材する。
 
「先代を越える、越えないじゃなく、お客様に満足してもらえるものを作るだけ」と語る辻さん。
将来的には、「絵の具作りだけでなく、自分の作ったボディーに、自分の作った色を使いたい」という夢を持っていた。
その作品は、使う人の事を第一に考えられた"用の美"が追求されたモノになることだろう。
 
最後は、特殊な木工加工を請け負う会社「ウッディ プロダクツ」を経営する岸庸夫さんを取材する。
 
水車や能舞台など、建築会社が受けきれない特殊な木工加工を請け負い、図面が無いものでも、長年培った経験と智恵で勝負している岸さんは、「職人は自分の能力を低く見ている。難しいという先入観を捨ててモノを見ると、以外に簡単だったりするんですよ」と語る。
 
今年最初の匠の取材では、佐賀人気質でもあるのだろうか、"こだわらない事がこだわり"に近い、おおらかな気持ちの大切さを学んだ。

12月某日宮崎・鹿児島

年の瀬も押し迫った12月中旬、2日間にわたり宮崎・鹿児島取材に向かう。
 
初日は宮崎、そして1軒目の取材先は、都城で獣医の仕事をしながら、鹿児島に「アベル黒豚牧場」という鹿児島黒豚の牧場を持つ松浦栄治さん。
鹿児島黒豚の中でも、最高の味と肉質を誇ると評判の「アベル黒豚」だが、残念ながらその殆どは、九州以外の場所に出荷され、ここ九州では、福岡にあるイタリア料理店だけでしか味わえないそうだ。
 
2軒目は、カラーピーマンという新種の栽培に成功した、西都市のピーマン生産者、堀田厚さんを取材する。
堀田さんが生産する、そのカラーピーマンの味は、全国のピーマン嫌いの子供達を全員集合させたいほど、瑞々しく甘い香りがした。
 
その夜は、都城の名物、おでんと焼酎を存分に堪能した我々だったが、頂いたカラーピーマンに軽くドレッシングをかけただけのサラダが、宴をさらに盛り上げた。
 
2日目は鹿児島までドライブ。
 
1軒目は天然黒酢の産地、福山町にある「坂元醸造」の工場長、蔵元忠明さんを取材する。
車から降り立っただけで酢の香りが漂ってくる。「もう慣れました」と語る蔵元さんだが、この場所に居るだけで何だか体が柔らかくなりそうだ。
そんな「坂元醸造」では、畑と呼ばれる庭先に、およそ5万個の壷が並べられ、黒酢が作られている。
併設された「つぼ畑」と言う名の情報館では、天然黒酢作りの工程を見ることが出来るのだが、黒酢の商品を購入する事も出来るので、酢の香りに誘われて…?足を伸ばしてみるのもオススメ。
 
2軒目は、鹿児島を代表する和菓子「かるかん」の老舗「明石屋」の取締役統括、岩田英明さんを取材する。天然の自然薯と米粉と砂糖のみで作られた、「かるかん」。
江戸時代に島津斉彬公のお声がかりで生まれたその味を、140年以上も守り続けている「明石屋」の岩田さんの話は、伝統に裏打ちされた自信と誇り、さらには重みがあった。
 
そして、宮崎・鹿児島取材の締め括りは、知覧町にある「薩摩英国館」の田中京子さんに話を伺う。
歴史的にも薩摩と関係が深いイギリスの文化を紹介する施設として、15年前に、この「英国館」を創設した田中さんは、これまで研究機関以外では栽培される事がなかった幻の国産紅茶「べにふうき」の栽培に成功した事でも知られている。アフタヌーンティーで優雅な午後を過ごしたい方には、
是非、訪れて欲しい場所だ。
 
今回の宮崎・鹿児島取材では、歴史ある伝統を守り続ける人、新たな何かを生み出した人、それぞれの人から、それぞれのこだわりを聞く事ができた。
しかし、その根底に流れている情熱や愛情…そして気持ちは、皆同じなんだという事を気付かされた旅でもあった。

11月某日熊本

山が色づき、秋が「絶好調!」と中畑ばりに叫んでいるような11月中旬、熊本取材に向かう。
1軒目の取材先は、今や熊本の名産となった晩白柚の生みの親「古田果樹園」の古田直一さん。
 
ザボンと同じ種類の柑橘類ながら、味、色、大きさ…、2回言うけど特に大きさ!
それら全てでザボンを凌ぐと言われている晩白柚を生み出した古田さんは、御年72歳ながら、今でも上質な晩白柚の生産に精を出している"肥後もっこす"だった。
 
たった一人で全国を歩き回り、晩白柚の魅力を広めていったと言う古田さん。
その話は、努力と苦労を重ねてきた人間だけが語れる迫力があった。
 
2軒目は、阿蘇の名産である高菜を使った、高菜めしの元祖の店「あそ路」の店主、井芹和徳さんを取材する。昼の繁忙時を避けて店に到着したのだが、平日にもかかわらず客が店内に溢れている。
昼飯を我慢して辿り着いた我々の心拍数が、ドキドキ…最高潮に上がる。
その高菜めしは、"高菜ピラフ"…?そんな洋風で上品な名前じゃあ物足りない、やはり、これは日本人が愛する、"高菜めし"だと妙に納得させられる味とボリュームだった。
 
もともと阿蘇の家庭料理だったという高菜めし。昭和43年に家族4人で店を始めた当時、井芹さんは、「高菜めしを出すなんて家庭料理だから恥ずかしい」と叔父から言われたそうだ。
いえいえ、こんな素敵な家庭料理は、世のため人のため…もっともっと広めるべきです。
 
最後は、「阿蘇お猿の里 猿回し劇場」で、お猿さんの勘平とコンビを組み、アメリカ公演なども成功させている人気調教師、村崎新八さんを取材する。
 
「この世界に入って19年」と言う村崎さん。
その声、その台詞回し、まるで噺家のような独特の雰囲気を持っていた。
 
そんな村崎さんは、「お猿さんに芸を教えながらも、お猿さんからも多くの事を教わった」と言う。そして観客には、「猿回しの舞台を見ることで、元気をもらって欲しい」と言う。
 
最後に村崎さんと勘平は、我々にその芸をちょっとだけ披露してくれたのだが、それを見ている我々は、全員ニコニコ笑っている。大爆笑ではなくニコニコだ。ニコニコと笑い、少し元気をもらった我々は、心地よい疲労感の中、熊本取材からの帰路に着いた。

9月某日大分

9月のある週末、大分取材に向かう。秋の装いを始めた久住山を望みながら、およそ3時間のドライブの後、1軒目の取材先「エコファーム21」に到着。
 台風の多い竹田市萩町で、1ヘクタールもの巨大ガラスハウスを建設し、トマトを栽培する「エコファーム21」の太田修道さん。
 
ハウス栽培の先進国、オランダから取り寄せたという、全面ガラス張りの巨大ハウスは、まるで、トム・クルーズ主演の映画「マイノリティ・リポート」に登場しそうな近未来的な趣があり、まさに21世紀の農業経営の姿を象徴しているようだった。
 
ちなみに、ハリソン・フォード主演の映画「ブレードランナー」に登場しそうと言うと、若いスタッフから"古い"と言われたので、「マイノリティ・リポート」にしてみた。
 
「未来世紀ブラジル」もダメ?とにかく、カッコイイ…。
 
太田さんは「農業の高齢化が叫ばれる中、自然災害ですぐ駄目になる農業では、若者が夢を持てない。安定した収穫を実現し、若い人にも出来る農業経営が出来れば、産地も守ることが出来る」と、現在のハウス栽培を始めたそうだ。
 
2軒目は、今が旬の大分の名産品カボスを栽培する「竹田かぼすや」の森庄治さんを取材する。鍋にも焼き魚にも、どんな料理にも合う万能なカボスだが、中でも森さんは、種無しカボス"の栽培にこだわり、東京や京都の有名な料亭でも重宝されているそうだ。
 
取材後、森さんは「カボスを持って帰って」と言う。我々がトラックに山積みされたカボスを頂こうとすると「それじゃないよ」と山に連れられ、ナント、カボス狩りを体験させて貰った。秋の気配が漂う陽気の中、とても貴重な体験をさせて頂いた森さんに感謝。
 
その後、段ボール一杯に持ち帰った"種無しカボス"は、「ご自由にどうぞ」と放送局で配ったのだが、アッという間に無くなってしまった。最短記録の更新です。
 
最後は、別府市にある、昭和2年創業の老舗の鰻専門店「いま勢」を取材する。
 
残念ながら営業時間終了後の取材だった為、初代から受け継がれる自慢のタレと、確かな職人技で焼かれる鰻の味を堪能することは出来なかったが、主人の諫武久和さんと女将の味のある話を聞く事が出来た。
 
しかし、旨そうな鰻の匂いが移った帰りの車内では、何故かため息が漏れた。

9月某日長崎(壱岐)

9月に入ったばかりの週末、1泊2日で初めての長崎・壱岐取材に向かう。
早朝の福岡は雨がパラついていたが、およそ1時間の船旅の後、壱岐に到着すると空は晴れ上がり、すでに秋の気配が漂っていた。風が気持ち良い…。1軒目は壱岐で真珠を養殖する「上村真珠」の上村陽さんを取材する。
入り江の奥深くに位置する「上村真珠」の前に広がる穏やかな海には、沢山の真珠貝養殖の棚が浮かべられ、眩しいほど壮観な景色を演出していた。
しかし、「台風の時は大変ですよ。自然相手ですからどうしようもないんですよね」と笑う上村さん。こんなに穏やかだったたり、荒れ狂ったり、自然とは本当に忙しい、そして相手をする人間は大変だ。
2軒目は、海と繋がっている入り江を利用し、自然のままの形でイルカを飼育する「壱岐 イルカパーク」の調教師、梅嶋朋世さんを取材する。
ここでは年老いたイルカが多い為、派手なショーなどを行わず、自然のままのイルカと触れ合える事が出来るそうだ。
当然、イルカも年を取る事は知っているし、いずれ人間と同じく死んでゆく事も知っている。
しかし、ショーなどで元気なイルカしか見慣れていない我々には、当たり前の現実を見せられただけなのに、何故か考えさせられる話だった。
取材1日目の最後は、今やブランド牛となった壱岐牛を肥育する「野元牧場」の野元勝博さんを取材する。
「外国の牛肉はパンに合うけど、やっぱり、和牛はご飯にあうんですよ」と語る野元さん。
この日の昼食で、その言葉を身をもって体験したばかりの我々は、ただただ頷くだけだった。
2日目は、様々な料亭や食事処で重宝されている「島のたまご屋さん」の山本義一さんを取材する。
「生き物は大変です。生き物を相手に仕事をする事に、喜びを感じながらやらないと、続きませんよね」という山本さんは、農業を経済の起爆剤にしたいと頑張っている若い匠だった。
豊かな自然に囲まれ、自然と戦い、自然に守られ、自然と共存しながら生活する壱岐の匠たち。もちろん夜は壱岐の自然の恵みを胃袋でたっぷり体験し、少しは自然との距離が近づいた気がした。気のせいか…。
ちなみに、壱岐は麦焼酎発祥の地だそうで、今回の取材の合間には、麦焼酎の蔵元を何件か見学させてもらった。
試飲の誘惑に負けず、取材が終わるまで焼酎に口をつけなかった「自分を褒めてあげたい」。
その分、夜はたらふく壱岐の焼酎を堪能し、ダイエット中だった花村勇作は、2キロ増のオマケがついた旅だった。

6月某日佐賀

6月上旬、汗ばむような梅雨入り前の週末…佐賀取材に向かう。
1軒目は、佐賀市内で看板制作を50年続け、昔は映画の宣伝用の看板も描いていたという「アサヒ工芸社」の柿原弘資さんを取材する。
「今はパソコンでチョチョイと看板の絵や文字が出来てしまいますからね。看板屋がいなくなり、みんな印刷屋になってしまった。」と、柿原さんは看板制作業界の時代の移り変わりを教えてくれた。
しかし、柿原さんは、「今でもパソコンでは作ることの出来ない文字や絵がある」と言う。
俗に言う「アジがある」文字や絵というヤツだ。今は息子さんが後を継いだ「アサヒ工芸社」だが、そんな注文が入った時は、柿原さんの登場となるそうだ。 2軒目は、鍋島藩の御用達や注文品として用いられたという格調高い伝統を持つ、鍋島更紗の工房「鈴田工房」の鈴田滋人さんを取材する。ちなみに鍋島更紗は、「なべしまさらさ」と読む。
鈴田さんは、「型を組み合わせて、着物に模様を描く鍋島更紗は、機械を入れてプリントしたら
早くて正確な模様が出来る。でも、必ずしも正確な模様が美しい訳ではない。アジがあると言うか、その微妙であり絶妙でもある感覚は、機械で出来るものではない。」という話をしてくれた。
最後は、伝統的でありながら、現代の生活に合わせた幟を制作する工房「城島旗染工」の城島守洋さんを取材する。
現場では、1枚1枚、人の手によって丁寧に幟に絵が描かれていた。
そして、その絵には、やはり見る者の心に訴えかける迫力があった。
決して、何もかもが手作業の方が良いという訳では無い。
しかし、手作業でしか生まれない「アジがある」感動や美しさもある。
今回の佐賀取材は、この言葉では説明出来ない「アジがある」という感覚を考えさせられる旅だった。


5月某日大分

5月下旬、前日から降り続く激しい五月雨の中、大分取材に向かう。
2年以上続く匠の取材で、これまで奇跡的にも本格的な雨に降られることがなかったのだが、これも風情と、ゆっくりと大分に向かう。しかし、車のワイパーだけが忙しそうに働いていた。
1軒目は、湯布院で唯一の自給自足の宿として知られる「山荘 紗羅木」の石井良秀さんを取材する。湯布院の街から車で10分程の「山荘 紗羅木」は、5000坪もの畑に囲まれた山林の中にある。
宿に向かう途中の細い坂道の入り口には、「この先に必ず宿がある」との看板があった。
石井さん曰く、「この先に本当に宿があるのか不安になる人が多い」そうだが…納得した。
農薬で父を亡くし、自身も体を壊してしまったという過去を持つ石井さんは、野菜の旬にこだわり、完全無農薬の湯布院野菜を提供している人物だ。「湯布院には湯布院の旬があるんです。その土地、その土地の旬が分かるようになれば、有機農法は難しいものではない」と、石井さんは言った。 現代社会では、いかに自然の摂理を無視して作られたものが多いのだろうかと考えさせられた。 2軒目は、湯布院の名旅館「亀の井別荘」「玉の湯」「草庵秋桜」などの台所を支える、「江藤農園」の江藤雄三さんを取材する。 現在では、24〜25軒の湯布院の旅館に提供されている「江藤農園」の野菜は、江藤さんが直接旅館に届ける為に、その日に掘り出した野菜が、その日の内に食卓に並ぶという。 湯布院の旅館で旨い野菜に出会えたなら、「鮮度が違うからね」と、したり顔で話してしまいそうだ 最後は、湯布院から別府まで足を伸ばし、国の伝統工芸士にも認証された名工で、その道60年の竹職人「渡邉勝竹斎」さんを取材する。 アメリカのギャラリーや美術館でも絶賛されている、渡邉さんが編み上げた竹篭や小物には、何気なく見ていると見過ごしそうになるが、よく見ると恐ろしい程、精巧な仕事がしてある。 その素晴らしさに、取材中、思わず「ほ〜」と感嘆の声が上がった。
取材帰りの道中、大分自動車道が濃霧の為、通行止めとなり、遠回りをしたのだが、その分、いつもより、ゆっくりと匠たちの言葉を噛みしめることが出来た。
しかし、相変わらず、車のワイパーだけが忙しそうに働いていた。

3月某日長崎

3月中旬、春うららかな週末…長崎取材に向かう。
ちなみに、「うららか」を漢字では、「麗か」と書くことを知る。
1軒目は、次々と昔ながらの風情を残す旅館が消えていく中、長崎市内では唯一の本格旅館として明治27年から営業を続けている「坂本屋」の、おかっつぁま(長崎では女将の事をこう呼ぶ)を取材した。
格式ばった接客ではなく自然体での接客を心掛けていると言う女将は、「伝統は、守り伝えるだけではなく、革新の積み重ねだと思う」と言った。
2軒目は、芝居小屋のような風情がある、江戸時代末期創業の老舗料理屋「吉宗」を取材する。大きな器に盛られた茶碗蒸が看板料理の「吉宗」は、「よしむね」でなく、「よっそう」と読む。
料理人歴50年の人生の大先輩が話を聞かせてくれたが、「いまだ料理の道は遠い」と、新しい事に対するチャレンジ精神を失っていなかった。
最後は、現代では数少なくなった畳職人の匠を取材する。
昔ながらの畳作りを愛し、量より質にこだわる匠は、「古いモノは良い仕事をしている」と言った。「温故知新」。そんな言葉を噛みしめた長崎取材だった。


2月某日 熊本

2月の下旬、花村班、成瀬版に分かれ熊本取材を行う。
花村班は、小国を中心に、成瀬班は熊本市内を中心に取材に向かう。
花村班の1軒目は黒川温泉の老舗「新明館」。1時間も早く現地に着いてしまい朝風呂を堪能…。
情緒豊かな露天風呂で暖められた体には、冷たい外の空気が心地良い。鼻歌でも口ずさみたくなる。
「オオハラ・ショウスケさん〜♪」。いかん、身上を潰す前に取材だ。
「新明館」の建物は、黒を基調とした、とにかく古き良き雰囲気を大切にしている。
そして、その建物に対する哲学は、3軒目に取材した「岡本豆腐店」にも受け継がれていた。
この「岡本豆腐店」は、豆腐屋ながら旅館も運営しており、ここにも温泉が…今度にしようっと。
成瀬班の1軒目は、民家や蔵などの古い建物を新たなスタイルで現代に再生させる「サンワ工務店」を取材する。店舗設計者でリフォームの匠である山野さんは、某リフォーム番組風に名付けると、人呼んで「風流の伝導師」と言ったところか。
山野さんの手掛けた建物は、和のモノから洋のモノまで、風流であり粋でもある。
その建物は、熊本市内はもちろん福岡にもあるので、興味のある方は探してみて欲しい。
ちなみに熊本の夜は、花村・成瀬班が合流し、この山野さんが手掛けたお店で1杯。
これで温泉があれば最高なのだが…。

1月某日 福岡

2006年1月の下旬、今年初めての取材を福岡で行う。
1件目の取材は、昨年、大宰府天満宮の隣にオープンした九州国立博物館内で行われた。
オープン当時は記録的な人数が訪れていた、この九州国立博物館だったが、現在では、幾分の落ち着きを取り戻し、国のお宝たちにゆっくりと触れることが出来た。
そして、この九州国立博物館で取材させて頂いたのは、国定指定文化財の保存・修復を行う修理技術者集団の国宝装こう師連盟に所属する、九州国立博物館の技術長・鈴木裕さん。
国のお宝を新たに現代に甦らせるという仕事の内容、そして、「日本人の文化に対する意識の高まりが、この九州国立博物館の誕生を促した」と語る鈴木さんの話は、とても興味深く時間を忘れてしまった。
しかし、1時間をゆうに越えた取材の最後に、「本当に5分番組ですか?」と、鈴木さんに尋ねられてしまう…。もちろん、この取材の成果は番組に反映させて頂きます。
ちなみに、4月2日まで、この九州国立博物館では、開館記念特別展第2弾「中国 美の十字路」が開催されているので、興味のある方は是非!
2件目は、中州の「出会い橋」のすぐ横に店を構える、玄界灘で獲れたオコゼの天然物を扱う名店「六三亭」の主人、三原英一さんに話を伺う。
グロテスクな容姿からは想像も出来ない程、上品な味のオコゼ…。「オコゼって味は抜群なんですけど、ブスでしょう。ちょっと可哀想ですよね」と語る三原さんの話に、物事の本質を見る目を持たねばと、改めて考えさせられた。
そして、最後は、ジャパンベッカーマイスター協会が認定するAクラスのパン職人、渡辺裕之さんを取材する。渡辺さんの店「タンドルマン」は、福岡の中心部から少し離れた住宅街にあるのだが、渡辺さんはこの場所に店を開いた理由を「お客様の生活の中にあるパン屋になりたいからですね」と言っていた。
なる程、取材中も数多くの家族連れが、今夜の晩御飯に…、おやつに…、明日の朝ご飯にと、この「タンドルマン」でパンを買い求めていた。この「タンドルマン」のパンの中には、常連の子供のアイディアから生まれた人気商品もあるそうだ。
今回の福岡取材は、それぞれ畑の違う匠を取材したが、それぞれの世界の匠たちのこだわりが垣間見る事が出来た旅だった。
12月某日 鹿児島・宮崎 

 12月の初旬、1泊2日で鹿児島〜宮崎取材を行う。今回の取材では、一日目の鹿児島で、夜、黒豚を囲む会が開かれるということで、スタッフ一同、笑顔の絶えない旅となった。
  まずはフェリーで桜島へ向かう。あいにくの雨模様で、桜島の雄姿を望むことは出来なかったが、桜島の溶岩の作り出した猛々しい自然に圧倒される。道すがらにある避難壕に少しビビってしまう。

  しか〜し!勇気を振り絞り、1件目の取材先「桜岳陶芸」に到着。
ここでは、火山灰を土に混ぜる為、叩くと甲高い音がする独特な力強い陶器を制作していた。
かなり男性的な雰囲気の陶器なのに、スタッフは全員女性。
干支をモチーフにした小物など、随所に女性らしさが感じられる陶器も制作していた。
  2件目は、蒲生町のひっそりとした山間の工房で、蒲生和紙作りを唯一受け継ぐ、若き匠を取材する。
  その作業効率から、日本全国で少なくなっている和紙作りだが、必要としている人達がいる。そこに喜びを感じ、若い匠は1人で寡黙に和紙作りを行っていた。そして、そこには決してパルプでは生み出す事が出来ない和紙があった。 
  鹿児島取材のラストは、九州新幹線のCMにも登場している「味のとんかつ 丸一」を取材する。黒木瞳でなくても「食べた〜い」と叫んでしまいたくなる、こだわりの味とこだわりの話が聞けた。鹿児島は「食材の供給地だが、その味を味わう為には、東京に行かなくてはならない時代があった。」そんな鹿児島で、本物の味を追求した主人の武さんの苦労には本当に頭が下がる。そして涎は垂れる。
  2日目は宮崎へ。
  1件目は、城下町飫肥で300年以上続く秘伝の厚焼き玉子を作る「間瀬田厚焼き本家」の十代目を取材する。「おいおい十代目って…」。その歴史の古さに気後れしながら暖簾をくぐる。
  そんな匠が作る厚焼き玉子のプリンのような味わいは、厚焼き玉子という固定観念を崩すものだった。甘くて…滑らかで…。是非一度お試しあれ。ちなみに壁には数多くの有名人のサインが飾られていた。
「まいう〜」で有名な、あの人のモノもあった。もちろんその味は「まいう〜」だった。
  今回の取材の最後は、綾町で手紬染色工房の匠を取材する。
  綾町で育てた蚕の繭から糸を紡ぐ事から、染色・織りまで、全てを手作業で行う匠は、
伝統工芸品としての織物のあり方を丁寧に語ってくれた。何故人は織物を染色するのか?
匠はその答えを教えてくれた。
  今回の鹿児島〜宮崎取材では、それぞれの匠の、それぞれのこだわりを知ることが出来た。
そして、それは私達現代人が忘れそうになっている事が多かった。匠たちの言葉にハッと気付かされる…。そんな旅だった。
  ハッ!そう言えば、鹿児島ナイトで舌鼓を打った、黒豚の味は…、いやいや黒豚しゃぶしゃぶの味は…、いやいや豆乳鍋の黒豚しゃぶしゃぶの味は…、嫌味のようだが、もちろん美味しかったに決まっている。最後の雑炊もね、むふふふ…。

10月某日 大分 

 11月も間近に迫った10月某日…大分取材に向かう。今回は、取材先の都合もあり、福岡から湯布院〜日田〜別府という、少し不思議な順番で、3件の取材を行うことになった。
 1件目は、湯布院で最も歴史のある老舗旅館「亀の井別荘」。
門をくぐると都会の喧騒からかけ離れた、落ち着いた雰囲気の社があった。
その雰囲気に圧倒されながら、見上げた先にある由布岳は、少しずつ紅葉を始めている。この「亀の井別荘」は、金鱗湖畔に建つ。そして、この金鱗湖は、湖底から温泉が湧き出しており、そこから生まれる霧が「朝霧の里 湯布院」を演出している。プライベートで、この場所に泊まり、金鱗湖から昇る朝霧をゆっくりと眺めてみたいと思った。
 それにしても、こんなに自然と調和した雰囲気を醸し出している湯布院だが、その昔、ダム化計画があったそうだ。行政と戦った湯布院の人々の努力に感謝…。
 2件目の取材先「相澤漆芸工房」のある日田・豆田町は、昔からの街並みが大切に残された場所だった。木材の産地である日田では、明治の終わり頃から何か産業を生み出そうという事で、漆器の製造が盛んになったそうだが、時代と共に衰退し、現在では、この「相澤漆芸工房」が、唯一の漆器工房となってしまったそうだ。
 最後は、別府で、自らの船「みなみ丸」で釣り上げた「関アジ・関サバ」を食べさせてくれる海鮮料理の店「みなみ丸 合歓」を取材する。実際に高級魚「関サバ」を食べさせて貰ったが、その美味さと歯ごたえに驚いた。「サバなのに初めてアジわうアジだ」。な〜んて、つまらない冗談を言ってしまう位、取り乱してしまった。更に「関サバ」は、「煮付けにすると食べられなくなる程固くなる」という話にも驚かされた。
 今回の大分取材は、合計400キロの車での旅となったが、その場所に住む人だからこその話がたくさん聞けた。湯布院の魅力を伝える人、日田の自然から生まれた産業を受け継ぐ唯一の人物、そして、自分で獲って来た大分の名産を提供する人物。それぞれの人がそれぞれの場所に根を生やし、生きている。匠たちの取材の醍醐味を、改めて味わった旅だった。

9月某日 鹿児島(屋久島) 

 秋の気配が忍び寄ってきた9月も終わりに近い某日…屋久島空港に降り立った瞬間、時間を逆行したかのような、夏真っ盛りの世界へ放り出された。ふう暑い…。そうして見上げた空にびっくり!山が近い!近すぎる!しかも海沿いにある空港は晴れているのに、山はどんよりと鉛色をした雲が覆っている。
さすが、海抜0メートルから標高1936メートルの九州最高峰の宮之浦岳までに、日本全土の植物が垂直分布しているという程、豊かな自然を誇り、平成5年に世界遺産に登録された屋久島だ。
ちなみに屋久島は、車だと2〜3時間程度で1周する事が出来るのだが、そんな小さな島に、九州の第1位から第7位までの高さを誇る山があるそうだ。
屋久島では、行く先々で、ちょっと寄り道をすると、壮大な滝や美しい海岸などに 触れることが出来た。ありのままの自然が、その辺に無造作に転がっていた。
 今回、1泊2日で行った屋久島取材の初日は、屋久島焼の窯元、吉利博行さん、 屋久杉の流木でオブジェを製作する、金澤尚さんにお話を聞いた。
金澤さんの作るオブジェは、まさに宮崎駿の世界だった。夜になったら動き出しそう…。
 そして2日目は、この屋久島の自然を伝える、二人のネイチャーガイドの方にお話しを聞いたのだが、生まれも育ちも屋久島という岩川俊朗さんとは、屋久島の海の幸と旨い焼酎を味わいながら親交を深めた。
酒がススムと岩川さんの口も饒舌になる。「ガイドをするのは、やはり女性の方が多いですね。
ネイチャーガイドじゃなくて、ネエチャンガイドって感じですかね。ははははは〜」そんな感じ…。
そんな岩川さんだが、ガイドの前日にはお酒を飲まないそうなのでご安心を…。

 そして岩川さんには急遽、大岩や清流の渓谷、苔むした森が織り成す自然美が楽しめる、白谷雲水峡をガイドしてもらった。しかし、TシャツにGパンにスニーカー、そんな山を舐めた格好では、屋久島の山を登ってはいけません。本当にいけません…反省します。
 それにしても今回の屋久島取材で感じたことは、圧倒的な自然に向き合い、生きている人たちの言葉には重みがあったということだ。
<そして、白谷雲水峡を訪ね、雨と汗で濡れたGパンとTシャツも重かった。
 久島取材の帰路は、白谷雲水峡での疲れから、ひたすら爆睡…瞼も重くなっていた。

8月某日 佐賀

 8月某日…今回は、花村と成瀬の2班に別れて佐賀取材を行う。
  花村班は、有田〜多久市〜佐賀市というルート。鯉のあらいを提供する店に、手作り家具の工房、そして、佐賀牛を使ったローストビーフが評判の店。最後に訪れた「くらおか亭」では、食べきれない程のローストビーフに加え、鯨の刺身まで頂いて、とてもお腹一杯の旅となった。モチロン貴重なお話にも大満足…。
 そして、成瀬班は、唐津〜伊万里というルート。隠れ家的な存在の寿司屋に、鍋島焼の工房。最初に訪れた「鮨処つく田」は、小さなお店ながら、全国の食通に絶大なる支持を得ている名店だ。休みの日は、ちょっと唐津まで寿司を食べに行くか!そんな感じの常連になりたくなる雰囲気があった。
  そして、今回の佐賀取材では、花村班と成瀬班が合流した、打上げの席で、クライマックスとも呼びたくなるような素敵な出会いがあった。佐賀市の繁華街にあるライブ・バーで、元CCB(ココナッツボーイズ)のリュウさんが、ナント、生演奏をしていたのである。曲はモチロン、CCBの往年のヒット曲たち。
キター!甘いキッスの途中で♪FU!FU!…大熱唱の中で佐賀取材の幕は下りた。

7月某日 糸島

 夏真っ盛りの7月某日…リゾート気分な自分を戒めながら、福岡の糸島半島を中心とした取材を行う。平日の午前という事も有り、糸島の「福の浦海岸」は、人もまばらな状態だ。プライベートビーチ状態か!そんな気持ち良さげな海へと誘惑する、駐車場の呼び込みのお兄さん・お姉さんの攻撃にかろうじて勝利し、1件目の取材先、「海辺の手作り石鹸工房 暇楽」を目指す。そして辿り付いた先には、海に面した場所に桃源郷のごとく輝く、スローライフ・プレイスが存在した。
 ここ糸島に移り住んでからは、スローライフを実践し「まあ、いいか」が口癖になってしまったと言う、「暇楽」の前田まさ代さんの言葉に頷きながら、次の取材先「ろうそく工房 クレアーレ」へ。道中、「あれ、こっちの道から行った方が近くない?」「そう?まあ、いいか」という会話が、当然のように繰り広げられる。うん、この「まあ、いいか」という言葉、糸島という場所では、いろんなシュチエーションでマッチする…。本当?まあ、いいか…。
 「クレアーレ」には、いろんなロウソクがあった。自分の無知さに怒りを覚えながら、「クレアーレ」の副島史絵さんに、おそるおそる「ロウって何から出来ているのか」質問する。「櫨の実です」。パリス・ヒルトンが主演した映画「蝋人形の館」を見て勉強しよう。
 最後は、まさに糸島半島の突端の海辺にある、塩を作る工房「工房 とったん」へ。台風の時は大変だろうな〜なんて考えながら話を聞くと「とったん」の平川秀一さんは、「自然に対して対抗してはダメ、なすがままですよ」と笑いながら話してくれた。
 う〜ん。恵まれた自然の中で生活すると、人はこうもおおらかになれるものなのか。今回の糸島取材では、糸島で生活する人々の、人間力とも言うべく不思議な力に癒された。

7月某日 天草市

 エメラルドグリーンに輝く天草の海。福岡から車で約3時間半もかかるが、この綺麗な海を目の前にするとその疲れも吹き飛ぶ。
 16世紀半ばにキリスト教がこの地に伝わり、その影響が色濃い天草の文化。今でこそ飛行場ができ、福岡から30分程度で行ける近さになったが、ここに暮らす人々の根底には「わざわざ天草まで来てもらったから、もてなしたい」という気持ちがある。そのため、どの取材先の方も笑顔で迎えてくれた。「五足のくつ」の山崎博文オーナーと「苓北真珠」の阿倍正直さんは一度天草から離れて戻り、「天草ドルフィンワールド」の田島瞳さんは兵庫から天草にやってきた。しかし、この3人には「訪れた人を楽しませたり、驚かしたりしたい」という、もてなしの心が溢れていたように感じた。

6月某日 長崎市〜五島市

 坂の町・長崎市と、四方を美しい海に囲まれた島・五島市を巡った2日間。ずいぶん昔に「長崎は今日も雨だった」なんて歌があったが、幸いにも好天に恵まれた。
 今回の取材で印象的だったのは、お話を伺った6人の匠をはじめとして、会う人すべたから「長崎への愛着」がにじみ出ていたことだ。人力車・俥屋の岡田さんは「ナンバーワンの観光地ですよ」と衒い無く言い切っていたし、あるいは乗車したタクシーの運転手にしても「皿うどんが美味い店」の情報を熱く熱く語ってくれた。まるで「長崎の代弁者」であるかのように。それも、ごく自然体で。
 自身に置き換えてみると、郷土にきちんと向き合う機会はあまりにも少ない。胸を張って地元の魅力を語れることは、なんて素晴らしいのだろうと教えられた2日間だった。

5月某日 豊後高田市

 夏を感じさせる晴天の5月某日。今回我々取材班は、昭和の町として全国的に注目を集める豊後高田市に行った。中心部の商店街は看板や街灯など、いろんな部分で昭和の雰囲気を醸し出している。
 はじめに「駄菓子屋の夢博物館」に向かった取材班だが、道に迷ってしまった。そこで町の方に道を訪ねると「私が車で案内しますから、ついて来てください」とのこと。車で5分程度の道のりとはいえ、まさか案内までしてくれるとは…(ありがとうございました)。町並だけでなく、昭和の良き人情も残す豊後高田の一面に触れた出来事だった。通信技術が発達し、徐々に人とのふれあいが少なくなっている今の社会。豊後高田の町は、人とふれあう温かさも教えてくれるような気がした。

2005年3月

海上自衛隊佐世保資料館・セイルタワーへ。
歴史をひもといた後に見ると、
佐世保の海もまた一味違って見えました。
 

Copyright(C) 2004 KIRISHIMA. All Rights Reserved. Mail:takumi@kirishima.co.jp