2006年7月アーカイブ

7/30放送分 「LIVE FOR LIFE」

明日は、本田美奈子さんの誕生日です。1980年代はアイドル歌手、90年代はミュージカル女優、2000年からは、クラシック歌手としても活躍した彼女。東京葛飾区生まれですが、デビューのきっかけになったのは、1984年、長崎歌謡祭でグランプリを受賞したことでした。
生きていれば、明日で39歳。去年(2005年)1月、急性骨髄性白血病が判明し、11月には、かえらぬ人となってしまいました。

そんな彼女が立ち上げた活動は、「LIVE FOR LIFE」。
?生きるために生きる?。その趣旨は・・・・
<人はみんな生きるために生まれてくる。人は様々な困難に直面したとき、人は悲しみにうちのめされ絶望してしまう。しかし、諦めないで欲しい。
希望を見失って立ち止まってもいい。ゆっくりでもいいから、もう一度勇気をだして前を向いて歩き出そう。だって、あなたは、その命を輝かせるためにうまれてきたのだから・・・・>というもの。

今、本田美奈子さんの遺族や生前の友人、仕事で一緒だった人たちが、彼女の意思を受け継いで、「LIVE FOR LIFE」の活動として、白血病をはじめとする難病に苦しむ患者を支援するために、各種イベントや募金活動を行っています。
日本で骨髄移植を必要とする人は、毎年少なくとも2000人はいるそうです。そのうちドナー登録者が見つからない人はおよそ2割。その大切な命を助ける為には、骨髄バンクのドナー登録者が30万人は必要と言われています。現在は25万人の登録者。少なくともあと5万人は必要です。献血ルームや保健所で登録の受付ができます。

生きるために生きる=LIVE FOR LIFE・・。「生きさせるために、助けられることもある」と、彼女の誕生日を前に、改めて感じました。

7/23放送分 「ペンフレンド」

きょう、7月23日は「ふみづきふみの日」。日本郵政公社は、手紙を書くことを奨励しています。とはいえ、現実に皆さんが"文(ふみ)を書く"といえば、この季節の暑中見舞いと年賀状くらいではないでしょうか。
手書きの郵便の温かみは分かってはいるけど、便利で手軽な携帯電話やメールが生活にすっかり根付いた今、改まって手紙を書く機会は少なくなってきたのでは。こんな時代の中、43年間、日本と韓国の間で文通を続けてきた話があります。

1963年。韓国で日本語を学んでいた青年がペンフレンドを呼びかけたところ、宮崎の女子高校生が手紙を出した―これが始まりです。
会ったことがない、しかも国が違う二人の若者同士の文通・・・。しばらくは他愛のない自己紹介のようなやりとりが続きました。やがて、お互いの夢や悩みを手紙にしたためていくようになり、1、2か月に一度のゆっくりしたペースで心の交流を深めていきました。自分の写真を同封したり、時には四季折々の花の種を添えたり・・・・。二人がそれぞれ結婚する前後では、お互いに遠慮して数カ月以上文通が途絶えたこともあります。
青年期から熟年期を経て、手紙の数は1000通を超えました。
内容も仕事や家庭、子育てのことから孫の話題となり、また手紙に託して世の中や自分を見つめ直すことも増えてきました。

去年、この韓国の男性がふいの交通事故で妻を亡くしたとき、宮崎の女性はこのような手紙を送っています。
「毎日、奥さまを想い出して、お話ししてください。奥さまはいつもあなたの心の中に生きています。愛も想い出も消えることはありません」

一度も会ったことのない二人。でも43年にわたる文通は、お互いを目に見えない心の支えにして、それぞれの人生を励まし合ってきたのです。

7/16放送分 「一人のためのソーラン節」

「ヤーレン、ソーラン?♪」ではじまる「ソーラン節」。北海道で鰊(にしん)漁をするときの作業を歌った民謡です。このオリジナルの民謡をアレンジした「新しいソーラン節」が今、全国の学校やお祭りなどで踊られています。1983年、北海道稚内市の稚内南中学校が、荒れていた学校を、踊りを通して活性化させる為に取り組み、日本民謡民舞大賞でグランプリをとったのがきっかけです。民謡歌手が唄うロック調のソーラン節に、ジャンルにとらわれない力強い踊り。踊る人も見る人も不思議と力が湧いてきます。

ある大阪の中学校での話です。
全校生徒が集まった1学期の終業式。みんなの前で、夏休みに転校する生徒の紹介がありました。その時は、男子学生一人。彼は生まれ育った大阪を離れ、山口に転校することになっていました。
すると、体育館に並んでいた数人の学生たちが一斉に舞台に上がりました。同じ部活動の部員たちです。そして、彼らに続いて学年全員が舞台に上がり始めました。同級生たちは、法被をすばやく身に着け、頭には、はちまき!そして、聞こえてきたのは、「ソーラン節」の音楽!転校する彼ひとりのためにソーラン節を踊ってくれたのです。
全員が一生懸命体を動かして踊る「ソーラン節」。ひとつになった彼への熱い応援の気持ちを感じとり、転校する彼は感動で涙が溢れてきたそうです。
さらに、踊り終わった舞台の上の同級生たちも、達成感と別れの寂しさか、涙を流したそうです。
後で聞くと、ある友人が彼の為に発案し、先生たちにも了解をとって企画していたとのこと。山口に向かう彼は、大きな「思い出のプレゼント」を胸に大阪を離れたそうです。「この時のことは一生忘れない」と言っています。

人を思ったり、何かを願ったりする気持ちを、歌と踊りで精一杯表現する・・。現代の「ソーラン節」には人の心を開く不思議な力があるような気がします。

7/9放送分 「まちがいペンギン」

スポーツが大好きな中学生の少女がいました。ところが、ある日突然足を痛めて入院・・・・。精密検査をしたところ骨肉腫だと診断されました。
健康な少女に突然襲った病魔。その治療は、足を切断するという過酷なものでした。幸い、命は取り留めたものの、2年間の科学治療とリハビリが終わって退院した彼女に、以前の輝きはありませんでした。・・・・理屈では分かっているのです・・・・・。世の中には、私なんかより重い障害を抱えた人が、元気に社会で活躍している・・・。でも、毎日楽しく走り回っていた自分の足が失われた現実は、理屈だけで受け入れられるものではありませんでした。「がんばれ!」という周囲の温かい励ましも、彼女の心には空しく響くだけ。こんな私に何をがんばれって言うの?・・・・・・・。

そんなある日、親戚の叔父さんから、お見舞いの品が届きました。
それは、1冊の絵本。主人公はペンギン。
何気なく目を通していた彼女は、ある頁にふと目が止まりました。
空を飛ぶカモメを恨めしそうに見上げるペンギンの絵です。ペンギンは飛べないといわれています。でも、次の頁には、ペンギンが大空を飛んでいるのです。
ただ、その絵をよく見ると、空の片隅に、魚の姿・・・・・・。そう、ペンギンは海の中を飛んでいたのです。彼女はその絵に釘付けになりました。
片足を失って走れなくなった私。でも、発想を変えれば、何かに向かって走ることができる!!
彼女は、自分の治療に献身的に当たってくれた人たちへの感謝の気持ちから、自分も医療の道に進もうと、その時決心したそうです。

15年後・・・。いま彼女は横浜の病院で、看護士として働いています。
年に一度の楽しみは、九州に帰省して、長崎ペンギン水族館に行くこと。
空を飛べなくても海で飛べることを教えてくれたペンギンに逢うためです・・・・・。

7月7日は七夕。織姫と彦星が年に1度の逢瀬を楽しむ日と言われています。
織姫は、こと座のベガ。彦星は、わし座のアルタイル。今年は夜9時ごろから東の空に姿を現し、天の川をはさんで織姫と彦星が出会います。その織姫と彦星を探し、私たちに「2つの星の出会い」の感動を与えてくれる人がいます。日本でも有数の星がきれいに見える町=福岡県八女郡星野村。その星野村の標高400 メートルにある「星の文化館」館長=坂本雅彦さん(37歳)です。

坂本さんは、文化館を訪れた人に星の素晴らしさを伝えようと、殆んど毎日1晩中、満天に輝く星空へ、福岡県で最大の口径65cmの反射望遠鏡を向け、星の観測をされています。宿泊施設に泊まっているお客様には、星がきれいに見えるタイミングに起こしてあげているとのこと。寝るのは、昼間3時間程度の仮眠だけの時も少なくないそうです。
星野村で生まれ育った坂本さんは、高校生の時から星に興味をもつようになり、肉眼で夜空をよく眺めていたそうです。その後、独学で星の勉強をし、星の文化館がオープンした15年前から、文化館に勤務。5年前から、館長として、訪れたお客様に喜んで頂けるように、星との出会いをコーディネートしています。
坂本さんはこのようにおっしゃっています。「・・・・1日として、同じ空はない・・・。一番の喜びは、その日、その時の空と、星との出会いの瞬間・・。そしてその星たちを見て喜ばれたお客様との出会いです・・・・・。」

七夕の日は、星の文化館のミッドナイト七夕観望会で、たくさんの方に、織姫と彦星の美しい出会いを眺めさせてくれます。
銀河にまたたく星のラブストーリー。
遥かなる思いに、あなたも心をときめかせてみませんか?

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