2018年10月アーカイブ

2018年10月27日「百世の安堵」

巨大地震と津波の発生が懸念されている南海トラフは、これまでにも度々大きな地震を発生させていますが、1854年11月5日に発生した安政南海地震では、津波に襲われた紀州藩広村、現在の和歌山県広川町に、津波から多くの人を救った「稲むらの火」の逸話が伝えられています。

164年前のこの日、醤油造りを営む濱口家の当主梧陵は、襲来した津波にのまれるも必死に逃れ、夜の闇の中、逃げ遅れた人々のために稲の藁の山に次々に火を放って燃やし、安全な高台への道しるべとして多くの村人を救ったのです。
さらに、莫大な費用が掛かる堤防の築造を藩に申し出ると、私財を投じて取り組みました。
それは津波で家を失い田畑を失った村人達の救済と、再び襲来するであろう津波から村を守るためのものでした。

「住民百世の安堵を図る」という言葉を残した濱口梧陵。
広村の堤防が昭和南海地震の津波から人々を守ったのは昭和21年。
安政南海地震から92年後のことでした。

広川町の人々は、梧陵の思いと堤防を今も大切に守り伝えようと、毎年11月には津浪祭を行っています。
また11月5日は「津波防災の日」さらには国連によって「世界津波の日」に制定され、「百世安堵」の梧陵の志は世界へと広がっています。

2018年10月20日「座る金次郎」

薪を背負って本を読みながら歩く、勤労・勤勉の象徴といえば二宮金次郎です。
若くして苦労しながら一度は衰退した家を再興。
その手腕を買われて藩の役人に取り立てられ、名を尊徳と改めて、災害や飢饉にあった各地の村を復興しました。

金次郎の像はかつて全国の小学校に設置されていました。
しかしいまその像を見かけることはあまりありません。
学校の建て直しに伴って撤去されていったのですが、その背景には「子どもの教育方針にそぐわない」という理由があるようです。
「本を読みながら歩くのは危険。スマホ歩きを助長している」「子どもに働かせながら勉強させるのは児童虐待」という苦情まであります。

数年前、栃木県の二宮金次郎ゆかりの町に、新しく金次郎の像が設置されました。薪を置いて丸太に腰掛けて本を読んでいる姿です。
すると今度は「休憩しているだけ。こんな像は意味がない」「世論を気にするばかりの事なかれ主義だ」といった批判が出ました。

そんな賛否両論が渦巻く中、二宮金次郎の7代目子孫の方からこんな意見がありました。
「金次郎の像がダメとなれば、別の人物の像にするのが普通なのに、金次郎を座らせてまで残そうとする人たちの心に感謝している」

大切なのは形ではなく心。
大勢の人々に尽くし抜いた金次郎の精神が、子どもたちに受け継がれることを願ってやみません。

2018年10月13日「ノーベル平和賞」

ノーベル賞を創設したのはアルフレッド・ノーベル。
ダイナマイトを発明した19世紀の科学者・実業家です。

彼がなぜ遺産のほとんどをノーベル賞創設に費やしたのか?
それは、晩年のノーベルが新聞で自分のことを「ダイナマイトという戦争の武器を発明して巨万の富を得た死の商人」と書かれたことにショックを受け、自分の死後の評判を気にしたためだ、といわれています。

確かにダイナマイトは戦争の武器にもなりましたが、ノーベル自身はじつは平和主義者でした。

ダイナマイトは鉄鉱石など地下資源の採掘やトンネル、運河など世界のインフラ建設に貢献しましたが、戦争の武器と想定するとその破壊力から逆に戦争の抑止力になる、と考えていたようです。

40代の頃、ノーベルはベルタ・フォン・ズットナーという名の10歳年下の女性を秘書として雇っていました。
ベルタは結婚を機にノーベルの元を去りますが、二人の友情はノーベルが死ぬまで続きます。
二人の手紙のやり取りからうかがえるのは、ノーベルがベルタの平和活動を支援していたこと。

こうしてベルタは国際的な平和運動家となり、ノーベルの死から9年後の1905年、女性初のノーベル平和賞を受賞したのでした。

2018年10月6日「すぐやる課」

昭和44年のきょう10月6日、千葉県松戸市の市役所にちょっとユニークな名前の窓口が誕生しました。

その当時、市民が暮らしの中の困りごとを市役所に相談しに行くと、長時間待たされたり担当部署をたらい回しにされることが蔓延していました。
そこで市政改革に取り組んだ市長が、部署にとらわれず困っている市民をすぐに助ける窓口を立ち上げたのです。

その窓口の名前は「すぐやる課」。
当初は「息子に嫁を紹介して」「庭の掃除をして」など、すぐやる課を「なんでもやる課」と勘違いした要望もありました。
そういう個人的な依頼は丁寧に断りますが、「側溝に鍵を落とした。蓋が重くて上がらず捜せない」という通報には、道具を持って現場に駆けつけます。

すぐやる課は全国的に評判となり、300以上の自治体に同じような部署が生まれましたが、行政の合理化や市町村合併でほとんど廃止されました。

でも元祖の松戸市すぐやる課はいまも健在。
市民からのSOSで職員が急行するスタイルも49年間変わりません。
「歩道に水たまりがあって歩けない」と通報があればスコップやツルハシを車に積んで補修に駆けつけたり、「スズメバチの巣がある」と通報があれば防御服を着て駆除に駆けつけたり。

「すぐやる課」は市民を大切にする松戸市政のシンボルなのです。

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