匠の蔵~words of meister~の放送

博多名代 吉塚うなぎ屋【鰻専門店 福岡】 匠:徳安憲一さん
2016年07月02日(土)オンエア
明治6年創業の博多を代表する鰻専門店『博多名代 吉塚うなぎ屋』の五代目で、現在は会長を務める徳安憲一さん。
厳選した鰻のみを使用し、焼きの段階で揉み、叩く、“こなし”と呼ばれる独自の技術を加え、外はカリっと中はフワリとした創業以来の変わらぬ味を提供する。
「ここ『吉塚うなぎ屋』は、初代の徳安新助が明治6年に福岡市吉塚で創業しました。大正時代には中洲にも支店を出して2つの店で営業していましたが、福岡大空襲を経て、戦後に中洲支店のみを再開させたそうです」。そんな『吉塚うなぎ屋』の代名詞といえば“こなし”の技術。初代の新助氏が考案したという独自の技法だが、その由来は徳安さんも詳しくは知らないという。
「関東では焼きの段階で“蒸し”の工程を入れるのが主流ですが、初代はその“蒸し”に代わるモノとして“こなし”の技術を考案したのでしょうね。“こなし”を行うことで鰻の余分な脂が落ちますので、にじみ出たその脂で表面がムラなく焼き上がり、さらに鰻そのモノもふっくらと仕上がります。しかし、この“こなし”の技術を極めるのが本当に難しい。何故、“蒸し”ではダメだったのか?初代に聞いてみたいですよね」。そう笑う徳安さんだが、“蒸し”ではなく、“こなし”の技術があったからこそ、『吉塚うなぎ屋』の鰻の蒲焼は、博多の人々から支持されてきたという。
「鰻屋にとってタレは、その店の顔ですよね。俗に言う“秘伝のタレ”というヤツです。しかし、タレは誰でも研究をすれば真似ができるんですよ。ですから守ろうと思っても守りようがありません。事実、私の店のタレと似たような味に仕上げている鰻屋さんも何軒かありますからね。しかしそれは仕方がないと思っています。ですから私は『タレは顔、焼きは心』という言葉を大事にしています。これは『顔はメイクアップで如何様にもできるが、心は真似できない』という意味なんですよ。その誰も真似できない焼きの技術を一番大事にしていこうという想いを、この言葉に込めて、職人たちにも伝えています」。真似できるモノはすればイイ。しかし、『吉塚うなぎ屋』には決して真似できない焼きの技術があると、その“こなし”と呼ばれる独自の技術を“心”と表現する徳安さん。そんな徳安さんのポリシーは、何よりも鰻が雄弁に語っていた。
「私は鰻と共に歩む人生しか送ってきませんでしたので、要は鰻バカですよね。そんな中で『タレは顔、焼きは心』。それが50年になる私の鰻人生から生まれた想いでしょうね」。そんな焼きの心を大事に老舗の暖簾を守ってきた徳安さんだが、鰻屋の仕事で一番難しいのも、やはりその焼きの工程だという。
「鰻屋の仕事には裂いたり、串打ちをしたりと、様々な工程がありますが、一番難しいのは火を使う工程なんですよ。火は待ってくれませんからね。鰻の蒲焼のベストな瞬間というのは、焦げる寸前、焦げ始める寸前なんですよ。そこで火を止めると一番キレイに鰻が仕上がるんですよね。それは5秒もないシビアな時間です。私の店では今は六代目たちが3人で鰻を焼いて、それを私が最後に盛り付けているのですが、時々、焼きが少し足りない状態や、逆に少し焦げた状態で職人たちが鰻を持ってくることがあります。どちらも叱るのですが、より叱るのは焼きが足りない方ですよね。要するに焦がした方はギリギリを狙っての失敗ですから、後に繋がるんです。焼きが足りない方は後に繋がらない。上手になりませんからね」。鰻の世界では『串打3年、裂き8年、焼は一生』という言葉がある程、難しいとされる焼きの技術。そんな焼きの技術の確かさはもちろん、失敗を恐れずに、常にギリギリのタイミングを狙う妥協なき姿勢こそが、『吉塚うなぎ屋』の伝統の本質であり、その味が『博多を代表する』と称賛される所以でもあった。
「私も若い頃はいい加減でしたよ。焼いている最中に半分眠りかぶってね、ハッと気が付いたら鰻を真っ黒にしているようなこともありました。今は歳をとりましたからね。そんなこともありませんが」。そう昔を懐かしむ徳安さんだが、意外にも老舗の伝統を守る上でプレッシャーは感じたことがないという。
「私が『吉塚うなぎ屋』で鰻の仕事に携わって半世紀ですが、それは明治から続く店の歴史の3分の1にしか過ぎません。どんな老舗でも1年目があって100年がある訳ですから、その1年、1年を大事に過ごしていけば、おのずと伝統は守られ、築かれていくと思います」。そんな想いで1年、1年を大事に、『吉塚うなぎ屋』を支持してくれる博多の人々と共に歩み、2年前に六代目に代を受け渡したという徳安さん。そんな自らの鰻人生を顧みて、最後まで10割バッターにはなれなかったという。
「どんなに頑張っても鰻を極めるのは無理でした。そもそも、どこまでいけば極めたことになるのか、そのゴールが分かりませんからね。もちろん目指していたのは10割の確率で完璧な鰻を仕上げることですが、3割も満足できたかどうか。ただ鰻を裂いて、串打ちをして、焼くだけの単純な作業なのに、本当に腹が立ちますよね」。そうやってどんなに人々から称賛されようとも不満足を貫き、さらに美味い鰻を提供することで、博多の人々に恩返しをしたいという徳安さん。その座右の銘は、前述した『タレは顔、焼きは心』という言葉と、鰻と共に歩んできた自らの人生を表現した『鰻バカ』という、何とも微笑ましい言葉だった。

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