匠の蔵~words of meister~の放送

高取焼 味楽窯【高取焼 福岡】 匠:亀井味楽さん
2016年05月14日(土)オンエア
黒田藩の御用窯として発展してきた高取焼の伝統を受け継ぐ『高取焼 味楽窯』の十五代、亀井味楽さん。最大の特徴である七色の釉薬で、古くから茶人の心を捉えてきた高取焼は、その七色の釉薬を重ね塗りしているにも関わらず、『茶入れ』であれば厚みが1.5mmと非常に薄く、陶器でありながら指で弾くとピン!と磁器のような高い音を奏でるから驚かされる。ちなみにそのような薄い陶器を生み出す為には、土を締める難しい技術や、轆轤の高い技術が求められるが故に、全国の陶芸家からは、『高取だけは真似をしたくない』と言われているという。
「高取焼の歴史は古く、17世紀の文禄慶長の役の際に朝鮮から九州に渡ってきた陶工の一人、高取八山が始祖とされています。黒田如水、長政親子に技術を認められた彼は、直方の鷹取山に窯を開くことを許され、その後、飯塚へと窯を移し、古田織部の弟子である小堀遠州の指導を受けて、高取焼を完成させました。その後も高取焼は小石原を経て、18世紀に黒田藩の城に近い現在の場所に窯を移すことになるのですが、このように歴史の中で窯の場所が変わっていく焼物は、全国でも珍しいと思います」。現在は福岡市早良区高取にある『高取焼 味楽窯』だが、その高取という町名は福岡市が政令指定都市に指定された1972年に、ここに高取焼の窯があったことから名付けられたという。
「この場所に移ってからの高取焼は、より洗練されるようになり、茶道具の名品を数多く生み出しています。それは江戸時代に太平の世が訪れ、武功を立てることができなくなった黒田の藩主が、将軍などに献上する美術品の制作に力を入れるようになったからだとも言われているんですよ」。そうして黒田藩の庇護のもと観賞陶器としてのみならず、実用陶器としても茶人に愛されてきた高取焼は、2017年に開窯300年を迎えるという。
「伝統は空想のモノではありません。何百年も高取焼が続いているということは、そこに続いてきたなりの理由というか、何らかの良さという実態が必ずあるんですよ。ですから伝統を受け継ぐ我々は、必ずその伝統をベースに作陶することを忘れてはいけません。その上で今の時代に合ったモノを生み出していくことが大事だろうと。私はお客様が作品を見て、『これは十五代の作品ですね』と言われるようなモノを目指して作陶しているのですが、先人たちも同じように自らの作品と呼ばれるモノを目指して様々なことをやってきているんですよね。『これは誰もやっていないだろう』と自慢気につくってみても、ある時にポロっと『あ〜これ先代がやってるやん』というようなことが多々ありますからね。ですから私は常日頃から『温故知新』と言っているのですが、故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る。やはり古いモノをよく鑑賞し、知り、学び、それを新しいモノに繋げていくことが、伝統を守る上で一番大事なことだと思います」。伝統と伝承は違うと、先人たちに学び、そこに十五代としての新たな感性を加えることで、開窯300年を迎える高取焼の伝統を守り続ける亀井味楽さん。何故なら今の時代に寄り添う感性は、今の時代を生きる陶工だけが込められる唯一の特権だから。
「現在、私は王朝文化の雅な美しさと、茶の世界の侘び寂びをミックスさせた『綺麗さび』と呼ばれる作品を中心に作陶しているのですが、実はこれも小堀遠州が創り上げたモノなんですよ。私はこの『綺麗さび』の中にある造形美を、これからも今の時代に昇華させて追及していこうと思っています」。そんな亀井味楽さんは、これまで数々の工芸展で入賞を果たす他、福岡県優秀技能者として表彰されるなど十五代としての作風を確立。現在は海外でも個展を開催する作家として活躍しているが、そんな窯の名前ではなく個人の名前で作品を発表する作家であっても、陶工たる者、職人であれという。
「轆轤で回す以上、センターという軸が必ずあります。ですから陶工がつくる作品というのは、必ずその軸がぴったりと合っているんですよ。先代もよく言っていましたが、『作家、作家と自分で名乗っている連中は多いけど、何が作家か』と。やはり陶工たる者は、基本的に職人としての轆轤の技術がなければダメで、『職人をバカにしてはいかんぞ』と。『職人の技術を極めた上に作家があるのだから』と。どうしても若い人は最初からオブジェ的な作品に走る傾向にありますが、地味な職人の作業の中には、モノ凄い技が詰まっているんですよ。それは決して素人では真似できない技術なんですよね。ですからまずはキチンとつくる職人としての技術を磨き、そうやってつくったモノを崩していくのが作家となる正しい順序だよと。職人の技を超越してこそ作家であるということを、若い人には伝えたいですね」。どんなにオリジナリティーがあろうとも技術を伴っていなければ、ただの珍しいモノで終わってしまう。卓越した技と感性によって、作品の中に『綺麗さび』と呼ばれる雅な美しさと侘び寂びを同居させた亀井味楽さんの仕事は、まさにそんな大切なことを教えてくれた。
「私が大学を卒業して戻ってきた時には、うちの窯に職人さんが2人いたのですが、その職人さんたちは窯モノと呼ばれる実用陶器としての型モノや定番の商品などをつくっていたんですよね。そんな中、先代も職人と一緒に同じモノをつくっているんですよ。私はそれが不思議だったのですが、先代は『これで勉強しながら作家モノの作品に繋げていくんだ』と。そういう職人の技術を大切にする精神は『味楽窯』に脈々と受け継がれてきたポリシーでもあるようですね」。そうして技術は日々、上を見ながら磨いていかないと落ちてしまうと、今も作家モノの作品だけでなく窯モノの作品もつくり続けているという亀井味楽さん。「そうやって窯モノの作品のクオリティーが上がっていくと、作家モノのクオリティーも当然、上げていかなくてはなりませんので、実はそこが苦しいところなんですけどね。妻からは窯モノの作品も『これだけのクオリティーであれば、もう作家モノで売り出せばイイじゃない』とよく言われます」と笑う亀井味楽さんの座右の銘は、当然『温故知新』という言葉だった。

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