2005年11月アーカイブ

11/27放送分 「ローザ・パークス」

今から50年前の12月1日。
アメリカ・アラバマ州モンゴメリーで、百貨店の仕事を終え、帰宅するためにバスに乗った、ひとりの女性がいました。ローザ・パークスさん、当時42歳。当時のアメリカ南部は、バスやレストランなど公共の場所で、人種分離制度が実施されていました。バスの中では、白人席と黒人席、中間の席は白人がいない時は黒人も座っていいことになっていました。パークスさんは、黒人席が一杯だったので、中間席に座りました。そのうち、白人が乗ってきはじめ、運転手が中間席に座っている黒人に立つように求めましたが、パークスさんは、疲れているといって拒否しました。そこで、運転手が警察に通報しパークスさんは、逮捕されました。
この事件をきっかけに、キング牧師らが中心となって黒人差別を撤廃する抗議運動を始めました。黒人たちは、バスを利用せず歩いたり、黒人の車に同乗するなどしてバス・ボイコット運動を381日間展開しました。
そして最高裁が、黒人差別は憲法違反だという判断を下し、パークスさんは「アメリカの公民権運動の母」と言われるようになりました。
パークスさんは、その後も黒人差別をなくす運動に力を注ぎ、1966年には、最も偉大なアメリカ市民に贈られる「大統領自由勲章」を受けました。

パークスさんは、先月10月24日、デトロイトの自宅で92歳の生涯を閉じました。彼女の追悼式に出席した人の中には、現在のアメリカの国務長官・黒人のライス長官がいました。そして、このように追悼の言葉を述べたそうです。「私はバス事件の前の年にアラバマ州で生まれました。パークスさんがいなければ、今日、国務長官として、この場に立てなかったかもしれません。」と・・・。

勇気と希望を持ち、人間としての誇りを大事にした、ローザ・パークスさん。
ひとりの人間の勇気が、アメリカという国家までも変えた話です。

11/20放送分 「いい夫婦の日」

あさって、11月22日は、語呂合わせで「いい夫婦の日」です。
あるアンケートで「いい夫婦」とは、お互いが相手を思いやっているが41%、次いで信頼しあっている、価値観が同じという結果が出ています。

ギネスで認定されている世界一の高齢夫婦は、アメリカの二人合わせて205歳の夫婦ですが、非公式ながら熊本市に二人合わせて207歳のご夫婦がいらっしゃいます。仙場仁三郎さん107歳、八重さん100歳のご夫妻です。仁三郎さんは、若い頃はプロの音楽家で、ピアノ、三味線、クラリネットなどあらゆる楽器を演奏していたそうです。そんな仁三郎さんを八重さんは陰で支えてきました。今は、熊本市の老人福祉施設にいる八重さんを、自宅に住む仁三郎さんが支えています。仁三郎さんも週3回この施設に通っていますが、いつも心待ちにしている八重さんに会って、そしてピアノで「君恋し」などを演奏されるそうです。

実話を元に製作され、今年公開された映画「シンデレラマン」。アメリカが希望を失った時代に、どん底の生活から一夜で栄光をつかんだ伝説のボクサーの話です。勝利や名誉の為ではなく、ただ愛する3人の子供と妻を守るために命をかけて戦った夫。夫は妻に「君の支えなしには勝てない・・」そんな夫に妻は「あなたのことを心から誇らしいと思うわ・・・。」と言葉にしています。

最近は、定年退職後に家にいるご主人が疎ましいという「主人在宅ストレス症候群」という言葉が生まれ、奥さんの尻にひかれている旦那さんのブログ「鬼嫁日記」がうけているとか。何となく夫婦が違う方向を向きかけているような世の中。仙場ご夫妻や、「シンデレラマン」の夫婦愛のように、相手を思いやり、信頼しあい、尊敬しあう夫婦を目指せたらいいですね。

11/13放送分 「不可能を可能に」

福岡市東区、アイランドシティで開かれている、アイランド花どんたくも、残すところあと1週間となりました。
150万本の花と緑の中で注目を集めているのが、「青いバラ」。不可能と言われていた青いバラの開発に、サントリーが14年もの歳月をかけて成功させ、その上品で高貴な存在は多くの人の目を楽しませてくれています。
もともとお酒を扱っているサントリーが何故、花の事業も手がけたかというと、花も酒も「生活に潤いと、心に健康をもたらす」からだそうです。
では、何故、青いバラの開発をはじめたのか・・・。それは、ウィスキーの故郷であるスコットランドの為だとか・・・。スコットランドのシンボルカラーは青。花の女王といわれているバラで、その青色を開発することで恩返しをしようということだったそうです。

一方、先月福岡で開催された「国際宇宙会議福岡大会/宇宙フェア」、その中でひときわ目をひいていたのが、スーパープラネタリウム「メガスター」。
世界最多の500万個の星を投影するプラネタリウムは、大平貴之さんが、全くの個人でつくったもの。子供のころからプラネタリウムをつくるのが夢だった大平さん。20年間ひたすら、ひとりでプラネタリウムの製作に取り組みました。そして、アマチュアには製作不可能といわれたレンズ投影式のプラネタリウムの製作、これまでのプラネタリウムの常識をはるかに越える数の星の投影、天の川でさえ星の集団として再現すること等に成功・・・。成功の理由は「そこに星があったから」だそうです。

不可能を可能にするには、研究や開発に取り組む人の、好奇心とチャレンジ精神、持続力が必要です。「青いバラ」と、「メガスター」。モノそれ自体とそれを開発した人の魂が、私たちの心に潤いをもたらしてくれました。

11/6放送分 「生き方を変えた言葉」

こちらが何気なく口にしたひと言で、相手の人生をいい方向へ導くこともあれば、反対に相手を深く傷つけてしまうこともあるほど、「言葉」は人にとって影響力があるものです。しかし、言葉は、使われる場面や状況、誰が言ったか、受け止める人がどういう状況かなどによって、全く違う感覚で受け止められます。

ある女優が、これまで何となく苦手意識を持っていた男優に、「君とは、人生の節目節目で仕事をしているなぁ。一緒でほっとしたよ。」と言われたそうです。彼女は、自分で勝手に相手に対してバリアをはっていたことに気付き、心がすっと楽になったといいます。それからは、いつもニュートラルな気持ちでいようと想い、人に対して心のバリアをはらないように心掛けているそうです。

私の母は、小さい頃、人と話をするのが苦手で、いつも黙っていたそうです。ある日、話し上手な母の友人がこんなことを言ったそうです。「私は、ラジオを聞くのが大好きなの。たくさんの情報がつまっているから話の材料になるし、いろんな人が話をしているので、話し方も参考になるからよ。」と・・・。
以来、母も進んでラジオを聞くようになったそうです。そして、ラジオを聞く習慣で、人の話にもよく耳を傾けて聴くようになり、相槌をうったり、頷いたりして「聞き上手」になっていったとか・・。さらに、相手から信頼されるようになり、友人も増えていったそうです。そうするうちに、次第に話をすることも、億劫にならなくなったそうです。私から見た母のイメージは「話し上手」。「聞き上手は話し上手」といいますが、「話し上手」になる前に「聞き上手」であることは、欠かせないことだと思いました。

私が今、ラジオで仕事をしているのも、そうした亡き母の話の影響を受けているのかもしれません・・・。

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