2005年12月アーカイブ

12/25放送分 「ありがとう」

何度か食事に行くお店で、支払いを済ませて帰ろうとすると、「いつもありがとうございます」と笑顔で言われました。「ありがとうございました」だけでなく、「いつも」という、たった3文字の言葉がつくだけで、私のことを覚えていてくれたんだと、嬉しい気持ちになりました。そして同時に、気恥ずかしさに負けて、「こちらこそ」の5文字が言えず、照れ笑いで返してしまった自分に、少し悔しい思いを抱きました。

10年以上に渡って親しくしている友人にこんな人がいます。
別れ際、「じゃあね」だけでなく、必ず「今日はありがとう」と言う友人。
しょっちゅう会っているのに、特に彼女に対して何かしたわけでもないのに
必ず「ありがとう」という彼女・・・。その一言で、彼女と会っていた時間すべてが「いい時間」になります。

「ありがとう」の語源を調べてみると、形容詞の「有り難し」に由来しています。有ることが難しい、めったにない、珍しくて貴重だということです。又、私たちは、数え切れない先祖のおかげと無数の偶然で生きている・・・・「今生きていることそのものが有り難し」という意味もあるようです。
相田みつをさんはこんな言葉で綴っています。「父と母でふたり、父と母の両親で4人、そのまた両親で8人、こうして数えてゆくと、10代前で1024人、20代前では・・・なんと100万人を超すんです。いのちのバトンを受けついで、いま、ここに 自分の番を生きている・・・」と。命の尊さに感謝して精一杯生きようという考えです。

「ありがとう」という言葉は、いつでもたくさん言うことで、自分も回りも幸せになる気がします。「ありがとう」という言葉をめったに使わない「有り難し」にならないように、来年は出会った人、出会ったもの、今あるものすべてに「ありがとう」の言葉をかけて過ごしたいですね。

12/18放送分 「ディープインパクト」

競馬はしなくても、競馬界を賑わせた記憶に残る馬の名前は知っているという方も多いのではないでしょうか・・。
トウカイテイオー、オグリキャップ、ハルウララ・・・。
でも、今年の競馬界の注目は、何と言ってもディープインパクトです。
10月に行われた菊花賞の優勝で、デビュー戦から7連勝。皐月賞、日本ダービーに続き、無敗での三冠制覇を達成しました。

ディープインパクトは2002年3月25日生まれ、牝馬、3歳。3ヶ月の仔馬の時7000万円で馬主に買われました。馬主は、馬体は小さくても毛色と瞳に衝撃を受け、人々にも強さで衝撃を与える馬になってほしいと、「ディープインパクト」という名前をつけました。最初は北海道の牧場で過ごし、広い場所に放牧すると、集団の中ではいつも先頭を走っていたそうです。生まれつきヒズメが薄いため、血を流しながらもいつまでも走り続けていたといいます。とにかく走ることが楽しくて仕方がない感じだったようです。2歳4ヶ月で滋賀の池江泰郎(いけえやすお)調教師の元へ・・。「アクセルをふかすといつでもいける馬」とディープインパクトの能力をすぐ見抜いたといいます。心肺機能の高さ、華麗なフォーム、体のやわらかさが手伝って、去年12月のデビュー戦では快勝。2戦目も圧勝。3戦目から騎乗した武豊騎手は、「ずっと探していたものがあった。走りが全然違う」と言っています。
菊花賞で勝たせる為には闘争心を抑え騎手の指示に従うことを教えることだったそうです。本番では武騎手が、走りたがるディープインパクトをなだめ、余力を残し、残り400mで一気に疾走。見事三冠を達成しました。

馬主、調教師、騎手たちの才能を見抜く力とその才能を伸ばす力がないと、ここまでの記録を作れなかったかもしれません。
ディープインパクトの次のレースは、来週、12/25(日)中山競馬場で行われる有馬記念です。その華麗なる走りを見るのが楽しみです。

ある年配の男性が30年ぶりに映画館へ足を運びました。映画のタイトルは「ALWAYS 3丁目の夕日」。映画のオープニングで流れてきた曲に反応し、「なつかしいー!」と声をあげ、画面に映し出される品々に想い出を重ねていたようです。映画の場面設定は昭和30年代。戦後の混乱を克服し、人々が夢や希望に向かって明るく元気に生きていた時代です。冷蔵庫やテレビはどこの家にもあるわけではありませんでした。冷蔵庫は電機ではなく、外は木製、中はブリキ。上の段に氷屋から買った大きな氷を入れ、下の段で食品を冷やしていました。テレビは近所の人みんなで見るもの。リモコンはなくチャンネルを変える時はわざわざテレビの前まで行ってガチャガチャとチャンネルを回さなくてはいけませんでした。当時は大変便利なものでしたが、どれも今となっては、手間ひまかかるものばかりです。

今、昭和30年代のくらしが見直され、当時を紹介した展示施設や本、写真集の出版が盛んになってきています。例えば洗濯は、井戸で水を汲み、たらいと洗濯板を使って洗うのが主流でしたが、最初に登場した電機洗濯機は、脱水は手動。2つのローラーの間に洗濯物を挟み、1枚1枚水分を絞り出していました。他にも、かまど、五右衛門風呂など、その言葉を聞いただけでも当時の様子が伺えます。

昔は、「10年一昔」と言っていましたが、今は5年前、3年前でもとても昔に思えるほど、急速に変化している世の中・・・。便利になったからこそ、ひとつのことに集中し専念する時間がなくなっているような気がします。
便利な中でも、「丁寧に時間を積み重ねていく・・。」昭和30年代の人々の暮らしから見習うことが大きいからこそ、今注目されているのかもしれません・・・・。

忘年会シーズンです。
「いただきます」でパチーンと割って「ごちそうさま」で捨てられる割り箸・・・。この時期、使う回数も多くなるのではないでしょうか?
日本人一人あたりの割り箸の年間消費量は、およそ200膳。
日本全体では、およそ250億膳になります。
割り箸は、国内では森林を健全に育成させるために間引きされた間伐材でつくられますが、現在は96%が輸入もの。中国、インドネシア、チリなどで、シラカバ、エゾマツ、竹などを伐採してつくられています。
限りある資源が捨てられるのは、もったいないですね。

そんな中、全国のNPO法人や市町村、企業や小学校などで、「割り箸リサイクル」の動きが出始めています。宮城県仙台市では割り箸回収ボックスを設置し、市民から使用済み割り箸を回収。新潟県長岡市では、NPO法人が中心となり、周辺の飲食店から使用済みの割り箸を回収しています。比較的きれいな割り箸は「紙製品」に、汚れが気になる割り箸は「炭」や、カラーボックスやテーブルなどの家具の材料にリサイクルしています。兵庫県赤穂市の小学校では使用済み割り箸でハガキをつくる運動を進めているところもあります。
割り箸3膳でハガキ1枚、あるいはA4版サイズのコピー用紙1枚。
100膳で週刊誌1冊分の用紙。
2500膳でティッシュペーパー15箱分の紙が再生されます。
250億膳では、延べ床面積40坪の住宅が1万8500戸建てられるそうです。

一方で「My箸運動」に賛同して、自分のお箸を携帯する人も少しずつではありますが、増えています。お気に入りのお箸で食べるのはおいしさが増すとの評判も・・・。もったいない精神で使うお箸・・・・。あなたは、「My箸」派?それとも「割り箸リサイクル」派ですか?

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