2008年1月アーカイブ

1/27 放送分 「南風崎駅物語」

長崎県の佐世保と諫早を結ぶJR大村線。大勢の観光客で賑わうきらびやかなハウステンボス駅のひとつ隣に、「南の風の崎」と」書いて南風崎(はえのさき)という駅があります。

小さな町の小さな無人駅で、ふだんの乗降客は一日平均数十人。地元の人の通勤通学以外にはほとんど利用する人はいません。
ところが、時折、見慣れない旅行者がこの駅を訪れることがあります。
それも70代か80代くらいのお年寄りがほとんど。感慨深げに駅舎を眺めたり、暫くホームに佇んだりした後、列車に乗って、或いは待たせていたタクシーに乗り込んで去っていきます。
この不思議な人たちは、じつは思い出を求めてこの駅を訪ね来るのです……。

戦争が終わった昭和20年から25年にかけて、佐世保は、博多、舞鶴に並ぶ海外引揚者の上陸の地でした。
敗戦とともにすべてを失い、迫害や略奪、肉親との離別に耐えて奇跡的に佐世保の港から祖国の土を踏んだ人々。南風崎駅は、佐世保に着いた彼らがそれぞれのふるさとへ帰るための始発駅だったのです。
座席も通路もぎゅうぎゅう詰めの引揚者専用列車が、毎日この駅から関西へ、関東へ、東北へと向かいました。
記録によると、昭和25年までに231万人の引揚者が南風崎駅から全国各地に運ばれています。
その231万人の方が、それぞれのふるさとから再出発をして、一生懸命に新たな暮らしを築いていったことでしょう。

そして半世紀。その中のだれかが、戦後の人生の始発駅ともいえる南風崎駅をもう一度見ておきたい、と訪れているのです。

1/20 放送分 「希望という名のパン」

「希望という名のパン」・・・・。これは、去年11月に創刊された福岡の福祉情報マガジン「アリヤ」の特集タイトルです。
「共同作業所で作られた商品を雑誌で紹介しよう」という企画を立ち上げたのは、編集歴20年のキャリアを持つ福岡市の藤野幸子(ふじのさちこ)さん。創刊号はパンの特集で、施設の中のパン工房で作られたおいしそうなパンがたくさん紹介されています。

藤野さんの編集方針は「すべてシンプルに。
情報があふれている世の中だからこそ読み物も無添加に」という思いで作り上げた紙面からは、パンを焼く人々のいきいきとした表情や、いまにも湯気が出そうなパンの温もりがそのまま伝わってきます。
取材を進める中で驚いたのは、どこの工房でも「障害者だからこれぐらいでいい」という甘えが一切ない、ということでした。
彼らは職人と同じ真剣なまなざしで、本当によい素材を使って、どこにも負けない商品を作ろうとしています。
だからこそ、消費者にとってよいものを紹介することができる、と藤野さんは確信しています。

出来上がった雑誌を共同作業所に届けると、みんなとても喜び、「もっとおいしいパンを届けたい」とさらなる意欲を語ってくれるそうです。
「アリヤ」で紹介されたパンが売上げにつながれば、共同作業所で働く人々の給料になり、また雑誌の売上げの一部は福祉基金にもなり、新たな他の商品の施設をつくることも可能です。

障害者の自立支援サイクルを一日も早く確立したいという藤野さんの思い。将来的には、オリジナル商品の開発や、海外の施設の紹介など、さまざまな企画によって生まれる新しい交流をめざしています。

1/13 放送分 「南極犬物語その後」

昭和34年1月14日。南極観測隊のヘリコプターが2頭の犬を発見しました。
前の年に、やむを得ない事情で昭和基地に置き去りにした15頭のカラフト犬のうち、タロとジロの兄弟犬2頭が零下40度という厳しい世界で1年間もの間、元気に生き抜いていたのです。
このニュースは日本中の感動を呼び、映画にもなりましたが、生還した2頭は、その後どうなったのでしょうか。

タロとジロは、そのまま南極に留まり、観測隊の仕事を手伝います。
しかし、その越冬中に、残念ながら弟のほうのジロが病気のために昭和基地で死んでしまいました。
一方、タロは、昭和36年に帰国。4年半ぶりに日本の土を踏んだのです。
その後、タロは北海道大学付属動物園に引き取られ、職員たちの愛情をいっぱい受けながら老後を過ごし、昭和45年、静かに息を引き取りました。

南極観測犬としての功績を後世に伝えるために、タロとジロは剥製にされて、それぞれ北海道大学の博物館と東京の国立科学博物館に展示されています。
ところが、「力を合わせて生き抜いたタロとジロの兄弟が離ればなれになっているのはかわいそう」という声が、2頭の生まれ故郷・北海道の稚内から起こりました。
その思いは、「2頭をふるさとへ」という運動となって広がっていきます。
南極で病死したジロの剥製は痛みが激しく、国立科学博物館側はジロを動かすことを拒否しました。
でも、稚内の人々の熱心な働きかけは全国に広がっていきます。

そしてようやく平成9年、稚内で「タロ・ジロ里帰り特別展」が開催されることになりました。
南極で離ればなれになって28年後、2頭の兄弟は、期間限定ながら、懐かしのふるさとで再会することができたのです。

1/6 放送分 「だいちゃん大根の生命力」

せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ。
これは、1月7日に食べるとよいといわれる春の七草です。
すずしろとは大根のことですが、アスファルトの隙間から生えてきた生命力で話題になったことがありますね。

「ど根性大根」が兵庫県相生(あいおい)市で発見されたのは、2005年の年末。あの大根は、その後どんな運命をたどったのでしょう。
一度は無残に引きちぎられ、ほとんどしおれてしまった大根を引き取ったのは、相生市役所。職員たちは大根を「だいちゃん」と名付け、懸命に天然水を与えるなどして看病しました。
その甲斐あって、だいちゃんは、一枚、また一枚と新しい葉っぱをつけていきます。
その様子は相生市のホームページでも紹介され、2006年のお正月、市役所のロビーに展示されたときには、全国から600人以上の訪問客があり、だいちゃんの根性にあやかろうと受験生も数多くいたそうです。

その後、住化(すみか)テクノサービスという研究所で、生き残った芽を組織培養技術で再生する大手術が行われます。
生まれ変わった「だいちゃん2世」は土に植え替えられ、10センチほどに成長した4株が相生市に返還されました。
さらに、成長した株は植物の種や苗を扱う会社で、約5万粒の種子を取ることに成功。全国の注目を集め、多くの人の愛情と最新の技術でよみがえった「だいちゃん大根」は、市の特産物として、去年の秋から全国販売されています。

七草粥は、冬の終わりに新芽の滋養を食べることで無病息災を祈願するものですが、すずしろ・・・・大根の生命力には子孫繁栄も期待できそうです。

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