2008年3月アーカイブ

3/23 放送分 「椎葉の平家伝説」

およそ800年前の元暦(げんりゃく)2年3月24日、山口県下関市の壇之浦で源平最後の合戦が行われました。
この戦によって、「平家は滅亡した」と歴史に記されています。

ところが、その後、平家の誰それが逃げ延びていったという、いわゆる平家落人伝説が生まれました。
その数は全国各地に120か所ほどもあります。
すべての伝説に共通するのは、平家の残党は落人狩りの影に怯えながら、息を殺すように代々ひっそりと生きていったこと。ひとたび世間にその存在が分かってしまうと、追討の手が迫り自害して果てたという伝説も見られます。
このように、全国の平家落人伝説には、滅びゆく者のあわれさ、無情感が漂います。

ところが、ひとつだけ、色合いが異なる平家伝説が存在するのです。
その舞台は、宮崎県の椎葉村。
ここに落ち延びた平家の残党にも源氏方の武将・那須宗久(なすのむねひさ)の追討の手が迫ります。
しかし、彼らが畑を耕しながら平和に暮らしているのを見て、宗久は追討を取りやめ、彼らといっしょに椎葉に暮らすのです。そして、この地にいた平清盛の孫娘・鶴富姫と知り合い、やがて恋仲になります。
3年後、那須宗久は椎葉を去りますが、彼と鶴富姫との間には可愛い女の子が生まれ、源氏と平家の架け橋として慈しみ育てられたそうです。

戦い、憎しみあってきた源氏と平家の人々・・・。
「椎葉の平家伝説」は、椎葉の村に住む人々によって、「お互いを許し合い、認め合い、思いやる心の伝説」となって、今も伝えられています・・。

明日3月31日は、耳にいい日の語呂合わせで「オーケストラの日」。
各地でさまざまなイベントが開催されると思いますが、今日は、夫婦ふたりのためだけに開かれた心温まる演奏会をご紹介します。

きっかけは今から11年前、神奈川県に住む大学教授が、「自分が退職したら、退職金をすべてはたいてオーケストラを招き、夫婦ふたりで食事会をしたい」と語ったことから始まります。
奥様はそんなご主人を「夢見る夢太郎みたい」と新聞の読者の投稿欄に投書。この記事をたまたま目にした埼玉県の市民オーケストラの団長は「なんて素敵な夢をもった人だろう。何とか叶えてあげたい。」と胸をはずませ、すぐにこのご夫婦に連絡を取ります。
団長のモットーは、「人生をもっと楽しく、味わい深く」。いつも唐突にイベントを計画しては周囲を驚かせていたアイデアマンだったので、その大学教授と意気投合したのかもしれません。
それ以来、毎年秋に開催される定期演奏会にご夫妻を招待していました。

そして去年4月、団長率いるおよそ50人のオーケストラが、ついに、二人の為に1時間の演奏会を開催しました。10年越しの夢が叶ったのです。
リクエスト曲だったヨハン・シュトラウスの『こうもり』やビバルディ『四季』の「春」などが流れると、二人はじっと目を閉じて体を揺らしながら聴き入ります。演奏後に立ち上がって拍手を送ったご夫婦は、「本当に素晴らしい。生きているっていいですね。」と感激を伝えました。
すると、今度は団長がステージから呼びかけました。
「夢見る夢太郎さん。退職後は奥様と"ひととき"を楽しみながら、幸せにお過ごしください」。

オーケストラの団員も、二人の観客も、いつまでもあたたかい余韻にひたっていました・・・・。

3/16 放送分 「変わりゆく校歌」

卒業式の歌といえば、昔は『仰げば尊し』が定番でしたが、最近では旅立ちの日にふさわしい新旧さまざまな曲が歌われています。
ところで、卒業式に歌われるもうひとつの歌は、校歌。これは昔もいまも変わらないと思いがちですが、実はそうでもありません。

福岡県の筑豊地方。明治以降、華やかな石炭産業都市として栄え、小中学校の校歌もその石炭文化を誇る内容が盛り込まれていました。
ところが、時代は石炭から石油へ。昭和60年代には筑豊から炭坑の姿が消えてしまいます。それとともに、石炭産業に従事していた多くの人たちが筑豊を離れていきました。その当時の小中学校では、毎日のように転校していく子どものお別れ会が開かれていたといいます。
そして、石炭産業がなくなり社会情勢に合わなくなったという理由から、筑豊の多くの小中学校で、校歌が新たに作り直されていったのです。
全国に離散していった筑豊の子供たち。今は大人になった彼らが心の奥に刻んでいる故郷(ふるさと)の町の姿は大きく変わっていき、ともに学んだ仲間たちの絆ともいえる校歌までもが消えていったのです。

ただ、その代わりにできた新しい校歌の多くが、その当時、筑豊からバラバラになって出ていった子どもたちに向けて「離れていても心は一つ」だという惜別の思いが、秘かに込められています。

また、最近では筑豊の石炭産業の遺跡が、滅んでいった負の遺産としてではなく、未来に向けた地域の誇るべき産業遺跡として見直されています。
それと同時に、昔の校歌もまた次世代に伝えるべき大切な心の遺産として、第二の校歌という形で復活させようという動きもあるようです。

3/9 放送分 「菜の花でふれあう心」

福岡県志摩町、芥屋の海岸沿いは、今年から始まった新たな取り組みによって、これまでの荒涼としていた景色が、菜の花畑に生まれ変わっています。

実はこの菜の花、「芥屋地域づくり推進協議会」の菜の花プロジェクトのみなさんが、約1ヘクタールの遊休地をトラクターで整備し、肥料をまいて1本1本苗を植えたものです。
菜の花プロジェクトの推進協議会は、町の景観を美しくしようと立ち上がった地域住民や子供会、そしてどなたでも参加できるメンバーによって構成されています。
去年12月の苗植えの時には、地域住民をはじめ福岡市内や近郊地から40名近く集まり、参加者を支援したいと地元のログハウスのオーナーからは温かいコーヒーの差し入れも。お昼は全員で芥屋の特産品でもあるカキを囲んでバーベキューを楽しみました。

苗はすくすくと成長し、今月は花芽の摘み取り。花芽は料理にも使用できますし、これから5月から9月にかけては、刈り取り、脱穀、油しぼりや廃油による石けんづくりなど、菜の花の特性を生かしたさまざまなイベントが予定されています。イベントには会費制で参加でき、2回以上の参加者は4合ビン入りの菜種油がもらえる特典付きです。

推進協議会の佐田会長は、「芥屋町の景観はみんなのものです。会費を払ってまで遠方から参加していただけるのも、子供から年配の方まで幅広い世代の交流が楽しめるからでしょうね」と顔をほころばせます。
菜の花を利用したリサイクルで資源循環型社会をめざし、ふれあいの輪が広がる「菜の花プロジェクト」。
春の青空に向かって真っ直ぐに伸びる黄色い菜の花は、間もなく満開の時期を迎えます。

3/2 放送分 「然別湖の氷上温泉」

日ごとに春の陽気が強まる3月になりましたが、北海道・大雪山(だいせつざん)の中に広がる然別湖(しかりべつこ)は今も冬本番です。
朝の冷え込みは氷点下20度から30度。湖は完全に凍り付いたままですが、この氷の湖の上に、なんと、温泉があるのです。

脱衣所は、雪と氷で造った大きなカマクラです。氷の上に大きな浴槽を運び入れ、湖のほとりのホテルの源泉からパイプでお湯を引いた、冬限定・湖に浮かぶ露天風呂。これがなかなか風流だと人気を呼んでいますが、湯船は一つなので、時間帯によって男女の利用を区分けしています。

ある日、この温泉に男性数人の観光客が入っていたときのこと。脱衣所のほうから突然若い女性たちが顔をのぞかせ、声をかけました。
「あのう、いっしょに入ってもいいですか」
男性が入っている温泉に若い女性が混浴をしたいと申し出るなんて、普段ではありえないこと。驚いて訳を聞くと、彼女たちは大雪山の麓・旭川の女子大生で、この温泉に入るのを楽しみに日帰りで遊びにやってきたのです。しかし、女性利用の時間まで待っていると旭川に帰る最終バスに間に合わない。そこで男性利用時間と承知の上で、もし迷惑でなければ入浴させてほしいとのことでした。
乙女たちの無垢な訴えに、迷惑なことなどありません。
雪と氷の温泉に男女合わせて10数人ほどの混浴が始まりました。
初めは同じ湯船にいる見ず知らずの男性たちを意識して硬い表情をしていた女性たちも身体があたたまるにつれ、ほころぶような笑顔になっていきます。
やがて湯煙とともに笑い声が上がり、和気あいあい。男も女もなく、皆が童心に帰ったような清々しささえ感じるひとときだったのです。

なんともおおらかな温泉のふれあいを呼び起こした然別湖の氷が溶け始めるのは、5月中旬。そのときが春の始まりです。

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