2008年4月アーカイブ

4/27 放送分 「うみがめたちの季節」

初夏の足音が近づき、今年もうみがめの産卵の季節がやってきました。

鹿児島県の屋久島では、毎年この時期になると、うみがめが産卵にくるきれいな砂浜を守ろうと、
20年以上も前から清掃活動や生態調査を行っています。
はじめは村の青年団が小さな小屋で活動していたのですが、やがてその活動は口コミで少しずつ広がり、
いまでは「うみがめ館」という共同宿舎で全国からのボランティアを受け入れています。

うみがめが産卵にやってくるのは、5月から7月。一匹ずつ個体を識別できるタグを付けたり、
産んだ卵を安全な場所に移したりと、ボランティアたちは大忙し。
8月から9月にかけては、孵化した子がめの数を調べ、一匹でも多く海に帰れるようにと砂浜の整備を行います。
ボランティアに来る人は小学生からリタイアした年配の方までさまざま。
中には、登校拒否の児童や人生の分岐点で迷っている人たちもいて、
それでも屋久島の自然に囲まれて共同生活をするうちに、彼らは少しずつ自分を取り戻し、やがて笑顔でうみがめ館を去っていくのだそうです。

館長を務める大牟田一美(おおむたかずよし)さんは、「20数年間、初めは清掃活動を中心に行っていましたが、うみがめの生態記録は自然保護の貴重なデータになり、
何よりもさまざまな人たちの人生と出会えることが一番の楽しみです」とおっしゃいます。
ボランティアは、1日体験コースから、近頃では企業が社員研修の一貫として取り入れているケースもあり、どなたでも参加することができます。

たくさんの善意に支えられ、子がめたちは大きな海に向かって、人生の第一歩を歩き始めるのです。

4/20 放送分 「スーパースターの愛犬」

昭和9年4月21日、東京・渋谷駅前に忠犬ハチ公の像が建てられました。
飼い主が亡くなった後もずっとご主人さまを迎えに渋谷駅に通い続ける秋田犬「ハチ」のことが新聞に紹介され、飼い主を慕うその一途な姿が全国に深い感銘を与え、ついには銅像が建てられたのです。

と同時に、秋田犬を飼う人が増えていきました。
秋田犬は古くから東北の一部で狩猟犬として飼われていましたが、
忠犬ハチ公の一件で、勇敢で優しく、飼い主への愛情が深い犬だということが全国に知られていったのです。
もちろん、それ以上に気だてがよく飼いやすい犬もいて、現在は数の上ではそのような西洋の犬のほうが、人気があります。
それでも、日本の純粋な血統種である秋田犬の醸し出す和みは、
日本人の心情に通じるところがあり、それが飼い主の心を癒してくれるそうです。

ところが、日本の愛犬家以上に秋田犬を愛する外国人がいました。
その一人は、ヘレン・ケラー。
昭和12年に来日した彼女は1頭の秋田犬をプレゼントされ、アメリカに連れ帰ります。
やがてその犬が病気で息を引き取ると、その後彼女は別の犬を飼おうとはせず、
2年後に再び秋田犬を贈られ、心から喜んだそうです。
そしてもう一人は、世界的なスーパースターであるスティービー・ワンダー。
彼にもまた子犬のころから慈しんだ秋田犬がいました。
そしてその犬が老衰で死んだとき、再び犬を飼うなら秋田犬だと、
7年前にわざわざ日本の秋田に出向いて子犬を譲り受けています。

ヘレン・ケラーとスティービー・ワンダー。二人とも盲目の宿命を背負った人です。
だからこそ、秋田犬だけがもつ何か目に見えない魅力を、心の目で感じ取っているのかもしれません。

4/13 放送分 「布の絵本の温もり」

福岡市にある県立図書館では、こども図書館の本棚に手作りの布の絵本が並んでいます。
布の絵本は、もともと障害者の方たちが指先を使いながら楽しめるようにと、
ボタンやスナップ、マジックテープなどさまざまな工夫を凝らした絵本がきっかけで誕生したもの。
いまでは、文字の読めない赤ちゃんから老人ホームのご年配の方まで、だれもが楽しめる創作絵本として、
その人気は全国に広がっています。

福岡県立図書館の布の絵本を制作しているのは、ボランティアグループ「ゆずりはの会」。
18年前に発足し、いまでは31名の会員たちが作品を作るだけでなく、
県内各地で制作の指導や講演会など、温もりの輪を広げる活動をしています。

「布の絵本は、同じものが2つとできない手作りの温かさがあります。
フエルトで作ったカエルの目がボタンになっているだけでも、
0歳の赤ちゃんが目をきらきらさせてこちらの呼びかけに応えてくれます。
私たちの活動を通じて、針を持ったことのないお母さんたちや海外の学校などにも、
布の絵本の魅力が少しずつ広がっているのがうれしいですね」と会長の葦津明美(あしづあけみ)さん。
ゆずりはの会がこれまで寄贈した作品は160を超え、こども図書館ではそれをいつでも手に取って遊ぶことができます。
幼稚園や子供会、老人ホームなどの団体には、貸し出しサービスも行っています。

ひとりでも多くの人に、布の温かさにふれてほしい・・・。
発足以来、会員たちが一針ひと針想いを込めて作り続けているのは、
布の絵本だけでなく、そこで語らう人々の優しい時間なのかも知れません。

4/6 放送分 「初めてのオリンピック」

きょう4月6日は、1896年に初めて近代オリンピックが開かれた日です。
1世紀以上前に行われた第1回オリンピック・アテネ大会は、どんな様子だったのでしょう。

参加したのは14か国から241人の選手。実施されたのは8競技43種目という小規模なものでした。
今のように世界中に組織委員会があるわけではなく、参加選手の募集告知は、もっぱら新聞記事や大学の掲示板。そのため、選手の多くはアテネの住民やギリシャアに来ていた旅行者だったりしました。例えば、テニスで2種目に優勝したのは、たまたまアテネに遊びに来て初めてオリンピックのことを聞いたイギリス人。すぐにテニス用具はそろえたものの、シューズだけが調達できず、革靴で試合に臨んだそうです。
競技自体もまだ統一された規定があるわけではなく、水泳はプールではなく、近くの海が会場。海が荒れて中止になった種目もありました。
また、マラソンではまだ給水所などなく、地元ギリシャの選手は、レース途中でレストランに入ってワインを飲んで水分補給しながら、優勝しています。

なかでも興味深いのは、テニスのダブルスで、イギリスとドイツの選手がペアを組んで優勝したこと。現代のオリンピックでは考えられませんが、当時のオリンピックは国別参加ではなく個人参加だったのです。
しかし実は、現在でもこの原則は生きています。
オリンピック憲章には、オリンピックは個人やチームの間で競われるもので、国対抗で競われるものではない、と謳われているのです。
このため、オリンピックには、この夏北京で開かれる大会にも、公式の国別成績表はありません。
オリンピックの究極の目的は、スポーツを通じて国際親善の場を創ることなのです。

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