2010年11月アーカイブ

11/28「坂本龍馬の妻」

坂本龍馬が命を絶たれたのは慶応3年11月15日。
新たな国づくりを目指し奮闘していた人生は、明治を目前に突然ピリオドが打たれました。
そして一人残された妻、お龍(りょう)のその後の人生が始まります。

龍馬の死後、経済的に困窮したお龍は龍馬との縁を頼りに
様々な人々の間を転々とするなど恵まれない生活を送りますが、
そんなお龍を妻として迎えたのが西村松兵衛(にしむら・まつべえ)でした。
このときお龍は入籍して西村ツルとなっています。
龍からツルへ。
そこには新たな人生への期待と覚悟が込められていたのでしょうか。
しかし、横須賀で商売を営む松兵衛との暮らしは貧しく平凡でした。

晩年のお龍は、酒に酔っては「私は龍馬の妻だ」と言うのが口癖となっていました。
松兵衛はそれをどんな思いで聞いたことでしょう。
66歳でお龍が亡くなったとき、松兵衛の妻としての生活は30年に及んでいました。
ところが数年後に多くの人々の援助で墓が建てられると、
墓石には「坂本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれたのです。
さらに松兵衛はお龍の骨を分骨して京都の龍馬の墓にそっと埋めたといわれます。

わずか3年の龍馬との日々が忘れられなかったお龍。
その思いを叶えて、松兵衛は半年後に70歳で亡くなっています。
歴史に名を残さず、語られることもない一人の男の、それは愛という名の闘いだったのかもしれません。

11/21「少女が遺した家族へのメモ」

アメリカのシカゴに住む5歳の女の子・エレナちゃんが「びまん性グリオーマ」と診断されたのはいまから4年前。
これは、アメリカで年間200〜300人の子どもに発症する悪性の脳腫瘍で、
言葉が話せなくなる、歩行が困難になるなどの症状が出ます。

エレナちゃんの余命は4カ月半。
両親は本人に病状を一切伝えず、残された時間を妹のグレイシーちゃんと家族4人で大切に過ごす決心をしました。
それからおよそ10カ月後、エレナちゃんはわずか6歳で短い生涯を閉じます。
悲しみに暮れていた両親ですが、思いもよらないところから、エレナちゃんのメッセージを受け取ります。

それは、引き出しから出てきた一枚のメモでした。
言葉が話せなくなっていたエレナちゃんは、その紙に両親と妹の絵を描いて、「パパ、ママ、グレイシー大好き」と自分の想いを綴っていたのです。
しかも驚くことにメモは一枚だけではなく、本のすき間や衣装ケース、ドレッサー、クリスマスグッズの箱の中など、家中のあちこちから発見され、なかには、おじいちゃんやおばあちゃん、おばさんが飼っていた犬に宛てたものまでありました。

誰にも内緒で隠し続けたメモは数百枚にものぼり、いまでも時々、家のどこかから見つかることがあるそうです。
父親のキースさんは、「最後の一枚を見つけるのが辛いから、一つだけは開封せずに大切にしまってある」と語ります。

まるで自分の運命を知っていたかのように、自分の愛する人たちに感謝のメッセージを記したエレナちゃん。
彼女のメモは両親の闘病日記とともに出版され、本の売上げはすべてアメリカの小児がん基金に寄付されるそうです。

11/14「動物ガイドことはじめ」

昭和61年。
北海道の旭川動物園は、来園者の数が減っていることから、
何か新しい試みで人気を回復できないものかと考えていました。
「動物のことを一番勉強しているのは飼育係。
その知識をお客さんに提供すれば、動物たちにもっと親しんでもらえるのでは」
こう考えた当時の園長は、飼育係が動物たちについて
入園者の前で解説をするワンポイントガイドを始めようと提案しました。

ところが、スタッフたちは猛反対。
「動物の世話をするのが俺たちの仕事。人間を相手に話をするなんてとんでもない」
それでも園長は半年かけて一人一人を説得。
ようやく全国でも初めての、飼育担当者がガイド役をつとめて入園者に直接話しかけるサービスがスタートしたのです。

とはいえ、飼育係はみんな職人気質で、しゃべるのが苦手。
喋る内容を予め掌に書いたり、ボードに絵を描いて紙芝居風にしたりして悪戦苦闘していました。
どうしても人前で喋る自信がないヘビ担当の飼育員が、
代わりに入園者の前でヘビを身体に巻き付けて見せたら子どもが泣き出したこともあります。
入園者もそんなサービスに最初は馴染めず、途中で帰ってしまう人もいました。
そこで、ガイドを聞いてくれる客が少ないときは、
他の飼育係が周りを囲んで途中で逃げられないようにしていたそうです。

いま振り返れば随分乱暴なサービスですが、当時はガイドを聞いてくれる人は貴重。
最後まで聞いてもらいたい一心での連携プレイだったのです。
一生懸命動物ガイドに取り組む飼育員の姿は、やがて来園者の共感を呼び、
人間相手に話すことが苦手だった飼育員たちも、
自分が担当する動物のことを人に伝えることの楽しさを実感するようになっていったのです。

このようにして24年前に旭川動物園で始まった飼育係による動物ガイド。
いまでは、全国の動物園に広がっています。

11/7「思い出の五輪旗」

去年、オーストラリアで起こった事件です。
71歳のおばあちゃんが住む家に強盗が押し入ってきたのですが、
そのおばあちゃんが強盗を押さえつけて警察に突き出したというのです。
そのおばあちゃん、じつは元金メダリスト。
1956年のメルボルンからローマ、東京までのオリンピックで
水泳女子100m自由形3連覇を成し遂げたドーン・フレーザーさんです。
「年は取ってもさすが金メダリストは強い!」と警察から表彰されたフレーザーさんですが、
じつは現役時代の彼女は、警察に追っかけられたことがあるのです。

それは1964年の東京オリンピックでのことでした。
競技を終えた彼女は、閉会式の前夜、パーティに出席し、すっかり酔っ払ってしまいました。
その帰り道。
皇居前にずらりと並ぶ万国旗を見て、その中の五輪の旗が欲しくなり、
酔った勢いでポールによじ登ったのです。そこへ巡回中の警官がやって来ますが、
彼女はその警官の自転車を奪って逃げ回ります。
やがて知らせで応援に駆けつけた大勢の警官に追いつめられ、彼女は逮捕されてしまいました。
連行された警察署で身元が明らかになり、厳重注意されて釈放となりましたが、
その翌日、閉会式も終わった選手村にいるフレーザーさんを警察署長が訪ねてきたのです。

「また尋問されるのか」と怯える彼女に、署長はにこやかな顔で包みを差し出します。
そこには「警察署一同から」というメッセージとともに、あの五輪の旗が入っていたのです。

後に彼女は自伝の中で「自分が3連覇した東京大会で、この思い出は涙が出るほど嬉しかった」と語っています。
強盗の逮捕劇は、フレーザーさんの、半世紀を経た、警察への恩返しだったのかもしれません。

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