2013年7月アーカイブ

7/28「田んぼを泳いだイルカ」

宮城県仙台市。
東日本大震災では甚大な被害を受けましたが、実はあのとき、仙台の方々が懸命に守った小さな命があります。

震災から10日余りが過ぎた3月22日。
被災したペットの保護に取り組んでいた男性のもとへ電話が入ります。
それは「田んぼにイルカがいる!」という耳を疑うものでした。
海岸から2キロも入った一帯が押し寄せた津波によって水没していたのですが、そこに、なんとイルカが取り残されていたのです。
通りかかった人が気づき、避難所に貼ってあったペット保護の連絡先に電話。男性が仲間とともに駆けつけてみると、イルカの一種、スナメリの子供が田んぼに溜まった海水の中で苦しそうに身をくねらせていました。

しかし、県内の水族館も被災して電話がつながりません。
男性達は何とかしなければと田んぼに入り、苦労の末、ようやくスナメリを抱きかかえると、がれきの間を縫ってワゴン車を走らせ、砂浜では足を取られながら、ようやく海に戻したのです。

多くの命が一瞬にして津波にのみ込まれた混乱の中で、それでもイルカを見捨ててはおけなかった心温かき仙台の方々。
「イルカも自分達と同じ津波の被害者」
そんな思いがひとつになって救った小さな命は、波間を沖に向かって元気に泳いで行きました。

7/21「ある高官の謝罪」

昭和30年代のこと。
重い身体障害をもつ子どもたちの世話をする施設がありました。
入園希望者は多いのに、施設の運営は火の車。
思いあまった園長が国から補助金を得ようと陳情に行きました。

面談した若い担当官は園長の話を熱心に聞いてくれましたが、結論は
「国民から預かった大切な税金を、治る見込みのない人たちのために使うわけにはいかない」
という厳しい言い方でした。
その言葉に園長は深く失望しましたが、施設はその後、民間からの寄付や自治体からの支援でなんとか存続していきました。

月日は流れて昭和60年代。
その施設に政府の高官が視察に来ました。
園長が出迎えたのは、数名の部下を引き連れた事務次官。
その事務次官が園長に深く頭を下げてこう言ったのです。
「私は昔、あなたの陳情をすげなく断った者です。
あれからずっと自分の言い分の軽さが胸につかえていました。
あの時の非礼をどうしてもお詫びしたくて参りました。どうかお許し下さい」

丁寧な詫びの言葉を笑顔で受け止めた園長と固い握手をした事務次官は、後ろに並ぶ部下の若い官僚たちを振り返ってこう言いました。

「君たちは絶対に私の轍を踏まないように、きょうのことを心に焼き付けてくれ」

7/14「クマの兵士」

第二次世界大戦中、1頭のクマが兵隊として従軍した記録があります。
ポーランド軍の部隊がイランに遠征した折、母親を亡くした子グマに出会い、部隊のペットとして連れていったのです。

「ヴォイテク」と名づけられた子グマは兵士たちと寝食を共にしながらすくすくと成長。
皆に良く懐き、彼らと戯れたり、誰かが歌えばそれに合わせて踊ったりして、部隊のマスコットになりました。
またヴォイテクは、輸送トラックの運転席に座って荷物番をしたり、当番兵といっしょに深夜の見張りに立ったりして部隊の手伝いもこなしたことから、軍はヴォイテクに兵士としての階級を認定します。

やがてポーランド軍は、連合国の一員としてドイツ軍と激しい戦いをしますが、その時ヴォイテクは、前線の激しい砲火の音の中で仲間のポーランド兵たちと一緒に重い弾薬の箱を運び続けました。

戦争という苛酷な世界にぽっかりと咲いた童話の主人公のようなクマのヴォイテク。
元兵士の一人は
「今となってはとても不思議な話だが、あの頃の私たちにとってヴォイテクはペットではなく、苦楽を共にする戦友だった」
と話しています。

終戦後、ヴォイテクはイギリスの動物園に引き取られ、そこで穏やかな余生を送りました。

7/7「南の島の星祭り」

12年前、国立天文台が「七夕祭りは梅雨時の7月7日ではなく8月の旧暦の七夕に、1時間だけ街の灯を消して星空を眺めよう」 と全国に呼びかけました。
しかし、街中を1時間も暗闇にするなど簡単にできることではなく、それを実現した町はまったくありません。

唯一の例外が沖縄県の石垣島。
亜熱帯の石垣島では四季の変化がはっきりしないため、月や星の動きで季節を知る暮らしをしてきました。
星にまつわる民話や島唄も多く、島人にとって星はとても身近な存在。
当時4万5000人の市民が1時間の消灯に協力しました。
病院など照明が必要な施設は、雨戸や窓のカーテンを閉めて光が漏れないように配慮し、消灯の1時間は車での移動を極力控えるように申し合わせました。

平成14年8月15日の夜8時。
消防署のサイレンを合図に街の灯が次々に消えていき、やがて島中が暗闇になったその瞬間。
満天に輝く無数の星から光のシャワーが降り注ぎ、集まった人たちから溜息と歓声が沸き起こりました。

それから毎年、旧暦の七夕に街の灯を1時間消す石垣島では次のような星空宣言を掲げています。

見上げよう満天の星を。 伝えよう星の文化を。
大切にしよう美しい星空を。 未来へ残そう豊かな自然を。

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