2016年8月アーカイブ

2016年8月28日「シンシアとともに」

9月はいよいよパラリンピック。
応援はもちろん、障害者への理解を深める大切な機会でもありますが、かつて一頭の介助犬とともに「身体障害者補助犬法」の成立に奮闘したのが木村佳友(よしとも)さんです。

交通事故で首の骨を損傷し手足が動かせなくなった木村さんは懸命のリハビリで車いすで生活するまでになり、飼っていたラブラドール レトリバーの子犬 シンシアを介助犬訓練所に預けます。
やんちゃだったシンシアは訓練を経て立派な介助犬となり、木村さんの行動範囲は一気に広がりました。
ところが介助犬はペットとして扱われ、至るところで同伴を拒否されたのです。

「介助犬のことを、まずは知ってもらうことが大切」
木村さんの奮闘が始まり、マスコミに取り上げられたり、講演の依頼があればシンシアと出かけて、その数9年間で364回に上ったといいます。
そして木村さんはシンシアを伴って国会を傍聴し、国会議員に法整備の必要性を訴えたのです。
これがきっかけで、ついに平成14年、盲導犬、介助犬、聴導犬を身体障害者の生活を支える補助犬とする法律が成立したのでした。

しかし世界から多くの障害者が訪れる東京パラリンピックが迫る中、補助犬への理解はまだまだ浸透せず、木村さんは三代目の介助犬デイジーとともに今も講演活動を続けています。

2016年8月21日「噴水かプールか」

きょう8月21日は「噴水の日」。明治10年のこの日、東京・上野公園に日本初の西洋式噴水が作られたことに由来する記念日です。
このときの噴水は池の水をポンプを使って高さ1.5メートルまで噴き上げるシンプルなもの。
それから一世紀以上の時を経て、噴水は格段に進歩しました。

茨城県水戸市の水戸芸術館に噴水があります。
水戸という地名に因んで水の要素を芸術的に表現したもので、27トンの岩を6本のワイヤーロープで吊るし、この岩に向かって左右からジェット噴水が吹き出す様は、緊張感ある造形と激しい水流という躍動的な光景を生み出しています。

この噴水は水戸芸術館の屋外装飾、もしくは屋外アート作品になるのですが、数年前から夏になるとこの噴水の下に勝手に入って水遊びする人が出てきました。
そこで水戸芸術館では噴水の中を立ち入り禁止に・・・と思いきや、噴水に入る人たちの衛生を考えて水を塩素消毒するようにしたのです。
すると、水遊びをする人はますます増え、いまではきっちり水着に着替えた子どもたちがわんさか。
ついには夏が近づくと水戸芸術館に「プール開きはいつですか」と問い合わせが寄せられるようになりました。

これは噴水なのかプールなのか―
水戸芸術館では頑に噴水と言い張りますが、水戸の人々は密かに「水戸芸術館噴水市民プール」と呼んでいるそうです。

2016年8月14日「エリセーエフの伝説」

明治時代から日本を研究し、日本文化を海外へ紹介することに尽くしたのが、日本学の始祖と呼ばれるセルゲイ・エリセーエフです。
ロシアの貴族の生まれで、11歳のときにパリ万博で日本館を見てジャポニスムに魅了。明治41年に日本に留学し、東京大学を卒業した初のヨーロッパ人となります。

日本史を隅から隅まで学び、古事記から夏目漱石まで日本文学の深い知識を得たエリセーエフは日本で12年暮らしましたが、母国でロシア革命が勃発。
家族でフィンランドへ亡命し、その後フランス、さらに米国へと渡る亡命生活が続きます。
しかしその間にも、ソルボンヌ大学やハーバード大学で日本文化の教鞭を執り、後に駐日大使を務めたライシャワーやドナルド・キーンを育てています。

そんなエリセーエフに対して語り継がれているひとつの伝説があります。
それは第二次世界大戦中、米軍の上層部に日本の京都を爆撃しないように進言したというものです。
実際に京都は空襲を受けなかったのは事実。
果たしてそれがエリセーエフの進言によるものなのか。

晩年、彼の娘がその真偽を尋ねましたが、エリセーエフはそれに答える代わりにこう呟いたそうです。
「京都は確かに爆撃を免れたが、その分だけ他の町が焼き払われ、大量の死者が出たのだよ」

8月15日―明日は終戦記念日です。

2016年8月7日「被爆ピアノ」

広島在住の矢川光則さんはピアノの調律師ですが、その仕事の傍らに続けているのが、ピアノのリサイクル活動。
使われなくなったピアノを譲り受け、これを修理してピアノのない学校や福祉施設に寄付する活動です。

11年前のある日、古いピアノを譲り受けに行った矢川さんは、ピアノの持ち主から話を聞いているうちに、そのピアノが昭和20年8月6日の原爆で、当時の持ち主だった少女とともに被爆したピアノであることを知ったのです。

爆風で傷だらけになったピアノ。
そのピアノを見ているうちに矢川さんの心にひとつの思いが浮かびました。
彼自身も被爆2世です。
「このピアノは被爆して、いまも生き続けて音を奏でている。
この音を皆に聞いてもらえば、平和を考えるきっかけになるのでは」。
彼は被爆ピアノを修理し、これをコンサートやライヴに無料で貸し出す活動を始めました。

現在、残存が確認されている広島と長崎の被爆ピアノは11台。
そのうち6台が矢川さんの手元で余生を過ごしています。
そして被爆ピアノ平和コンサートの輪は全国に広がり、プロ、アマチュアの音楽家によって各地で奏でられています。

その演奏会を聴いた人の一人は「被爆ピアノの調べは、原爆で亡くなった私の家族が語りかけているような気がする」と語っていました。

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