2017年1月アーカイブ

2017年1月29日「農業発展の闘い」

農業の進歩と発展の歴史は、害虫との闘いの歴史でもありますが、明治時代の初めの頃まで、筑後地方では蛾の一種である「螟虫(めいちゅう)」が稲作に多大な被害を与えていました。
しかし当時は有効な対策はなく、迷信や古くからの慣習に頼るばかりでした。

そんな中で、庄屋の益田素平(ますだそへい)は二十歳の頃から螟虫の生態を長年に渡って観察、研究し、蛹が稲を刈り取った後の株、稲株で越冬することを発見。
冬の間に稲株を掘り起こして焼却する駆除方法を考案すると、農民達に熱心に説いて回り、県にも提案したところ正式に認められたのです。

ところが農民達は、県の強制的な指導や、寒い冬の農作業が増えることへの反感から不満を募らせ、ついに明治13年、約3,000人もの農民による暴動が起きるのです。
このとき益田は「農村救済のためなら一身を犠牲にしても本望」と自宅に止まり逃げなかったといわれます。
そして「筑後稲株騒動」と呼ばれるこの大事件をきっかけに、益田の考案した駆除方法は急速に普及し、稲作には欠かせない耕作法として、戦後農薬が普及するまで続けられたのです。

明治の新たな息吹の中で、人々を農業の次なる時代へと導いた益田素平。
農業の発展は、人と人、古きものと新しきものとの闘いの歴史でもありました。

2017年1月22日「巨大ナマズの出現」

きょう1月22日は「飛行船の日」。大正5年のこの日、日本初の国産飛行船が埼玉県所沢・大阪間で実験飛行に成功しています。

この飛行船は全長85メートルの大きな紡錘形のガス袋の下に12人乗りのキャビンが取り付けられたもの。
この時代はすでに飛行機がありましたが、当時の技術では飛行船のほうが大勢の人を乗せて安全に飛行できるので、欧米では大西洋横断航路などで旅客運行されていました。

しかし日本では軍事用として研究や試験飛行されていたため、一般の人の目に触れる機会はほとんどありません。
たまに訓練用の飛行船が風に流された挙げ句、遠くの海岸などに不時着すると、飛行船を知らない人々は「空から海坊主が降りてきた!」と大騒ぎ。
半鐘を鳴らして漁師たちが駆けつけ、魚網で飛行船を取り押さえるといったこともあったようです。
これと似た騒ぎはじつは現代でも起こっています。

昭和47年。この頃から飛行船を広告として使うことが流行るのですが、画家の岡本太郎氏が「飛行船は生き物だ」と言って大きな目玉を描いた飛行船が登場。
町を飛んでいると小学校で「ナマズのお化けが飛んでる!」と大騒ぎになり、110番通報でパトカーが駆けつけたとか。

飛行船を知ってはいても、空にあんな巨大なものがぽっかりと浮かんでいると、思わず腰を抜かしたくなりますね。

2017年1月15日「20年間のありがとう」

成人の日はかつて1月15日でしたが、現在は1月の第2月曜日。
ですが、北海道や東北、山陰などの豪雪地では夏に成人式を行う市町村が数多くあり、春のゴールデンウィークに成人式をする自治体も増えています。
正月休みに成人式を行っているのは沖縄の石垣島。
中でも新成人が毎年10数名という白保ではアットホームな成人式が行われています。

公民館に集うのは新成人とその家族、それに地域の人たち。
新成人たちが一人一人順番に親に向かって直接、感謝のスピーチをするのが伝統です。
これまでなかなか言葉にできなかった感謝の思いを語る新成人のほとんどが涙で言葉を詰まらせ、見守る地域の人たちも貰い泣きしたり、励ましの声をかけたりします。
このスピーチが2人終わる度に、家族や地域の人たちが入り乱れて三線のリズムでカチャーシーを踊って祝福。その繰り返しが延々続くのです。

そして二日目。そう、白保の成人式は2日間にわたります。
二日目は、新成人たちが年末にみっちりと練習した郷土に伝わる舞踊や寸劇を披露。
若者たちの熱演に、カラフルな色紙に包まれたお捻りがステージに投げ込まれ、多いに盛り上がります。

小さな町だからこそできることですが、薄れつつある地域の絆を活かした「日本一感動する成人式」と呼ばれています。

2017年1月8日「丸い土俵に四角の将棋」

お正月の松が取れたきょう1月8日、東京の両国国技館では大相撲初場所が始まりました。
両国国技館が落成したのは昭和60年1月9日、それ以前の大相撲は蔵前国技館で行われていました。

蔵前国技館は戦後間もない昭和24年に建設。
当時は資材がろくになく有り合わせで建設したので、館内にはすきま風が吹き、1月の初場所では観客が寒さに震えながら観戦するような状態でした。
それを追及された当時の理事長は「そこは土俵の熱戦で暖まっていただきたい」と苦しい答弁をするほどでしたが、後に大改修工事をして立派な建物となります。

栃錦・若乃花の栃若時代、大鵬・柏戸の柏鵬時代など、戦後の昭和史に残る名勝負を刻んできた蔵前国技館の土俵ですが、この土俵で一度だけ相撲ではない取り組みが行われたことがあります。
それは将棋。
昭和50年11月17日、中原誠十段と大山康晴名人が土俵上で対局したのです。

将棋盤を挟んで東西に力士ならぬ中原、大山の両棋士が正座して相対。
傍らには記録係と立会人が並び、桟敷席や枡席には8000人の観客が土俵を囲みました。
丸い土俵に四角の将棋盤を置き、相撲と同じく「待ったなし!」で始まった勝負は、40分かけて各々3手が進んだところで大山が封じ手を書いて「水入り」。
その瞬間、観衆から万雷の拍手が巻き起こったそうです。

2017年1月1日「夢の浮き島」

2017年元旦、きょうの初日の出を世界で最初に迎えた国はキリバス。
赤道直下の太平洋に浮かぶ33の島々から成り立つ国です。

太平洋の日付変更線のすぐ西に位置することで「世界で最初に一日が始まる国」なのですが、じつは国家の存亡に関わる問題を抱えています。
キリバスの国土のほとんどは海抜わずか2メートル。
地球温暖化の影響で海面が上昇していて、このまままでは2055年までに国土の8割が海に沈んでしまう恐れがあるのです。

キリバス政府が下した決断は海外移住。
2000キロ離れたフィジーが移住受け入れを表明していますが、キリバスの島々が海に沈んでしまえば、キリバスという国家は消えてしまいます。

そこで、さらに思い切った解決法が検討されています。
それは海に浮かぶ巨大な人工島を建設するアイデア。
取り組んでいるのは日本の大手建設会社です。
この島では再生可能エネルギーで電気を供給し、食料を自給自足できるシステムが備わります。
ただ、これを実現するにはまだ開発されてない技術も必要で、向こう何年かの技術革新を待って、2030年以降に建設が可能になると見られています。
これはちょうどキリバスの国民が移住を迫られる時期。時間との戦いです。

この計画が実現すると、キリバスは世界で最初に一日が始まる国に加えて、世界で唯一海に浮かぶ国となるのです。

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