2017年5月アーカイブ

2017年5月27日「二人の父」

柳川藩初代藩主、立花宗茂は豊臣秀吉から「その忠義も武勇も九州随一」と讃えられ、徳川家康からも賞賛された名将でしたが、その宗茂を育てたのが二人の父、高橋紹運(じょううん)と立花道雪でした。

群雄が割拠した戦国時代の九州で、二人はともに戦った盟友で、息子のいなかった道雪が、紹運の嫡男であった宗茂を娘婿に迎え跡継ぎにしたいと熱望したのです。
もちろん紹運は断りますが、道雪の熱意に打たれ、ついに高橋家の大切な嫡男を立花家の婿養子として送り出します。
このとき紹運は一振りの刀を与え「この後は道雪を実の父と慕い、高橋と立花が戦さとなったときは我を討ち取れ」と戦国武将の覚悟を教え諭したと言われます。
また道雪も14歳で立花家に迎えた宗茂を厳しく養育しました。

猛将の誉れ高かった二人の父から忠義の心と武勇を受け継いだ宗茂は、関ヶ原の戦いで豊臣への忠義を貫き所領の柳川を失いますが、その後、宗茂に一目を置く家康に取り立てられ、二代将軍秀忠のときに再び柳川藩主となって、関ヶ原の戦いで改易されながら旧領に復帰を果たした唯一の大名となったのです。
戦国の世を戦い抜いて散っていった二人の父も、さぞ喜んだことでしょう。

柳川藩主立花家は明治まで続き、父と息子の絆を語り継ぎました。

2017年5月20日「メートル法騒動記」

1875年のきょう5月20日、フランスのパリに17カ国の代表が集まってメートル条約を締結。長さの単位をメートル、重さの単位をキログラムとすることが国際標準になりました。
日本も明治になってメートル条約を批准しますが、日本にはいわゆる尺貫法という伝統的な単位が生活に根付いていたので、メートルやキログラムという新たな単位はすぐには広がりませんでした。

メートル法が完全実施されたのは昭和34年の計量法改正。
公文書に尺貫法を使うことが禁止され、尺貫法による物差しや秤を製造・販売することも禁止。違反すれば刑罰が課されることになったのです。

この法律に一人異を唱えたのが、去年亡くなった永六輔さんです。
昭和51年、知り合いの指物師が曲尺で仕事をして警察に呼び出された話を聞いた彼は「古くから親しまれている道具で商売をする人たちをないがしろにするな」と、自分のラジオ番組で尺貫法の復権を提唱して全国の職人たちに決起を呼びかけます。
さらには街頭で自ら曲尺や鯨尺を販売し、その足で警察に行って「私は尺貫法の物差しを密売しました」と自首するなどのパフォーマンスを展開しています。

こうした彼の活動が話題を呼び、やがて計量法の罰則規定は廃止。
大工職人は安心して曲尺を使い、着物の仕立て職員は安心して鯨尺を使えるようになったのです。

2017年5月13日「天文学的ユーモア」

太陽系の火星にはダイモス、フォボスという2つの衛星があります。
1877年、発見したのは米国の天文学者、アサフ・ホール。
星の軌道計算の専門家として活躍し、火星の衛星を発見したことで「天文学のノーベル賞」と呼ばれる王立天文学会のゴールドメダルを授与されています。

ホールがまだ天文台の助手をしていた若い頃、レストランでランチを食べていました。
食事を終えたホールは店の女将を呼び、こう切り出します。
「とても美味しい料理をありがとう。そのお礼に天文学の面白い話をちょっとお聞かせしましょう」
そこでホールが語った話とは、世の中の物事はすべて2500万年を一周期として起こる。つまり2500万年毎に元の状態に還ってくる。だから今から2500万年経つと、今と同じようにこの店で同じ食事をするはずだ・・・。
そこまで語ったホールは一息ついてこう続けました。
「そのことを証明するために、この食事の勘定を2500万年後までツケにしておいてくれませんか」

この提案に目を輝かせた女将が「それはすばらしいアイデア。いいですとも」と答えます。
が、一息入れてこう言ったのです。
「そういえばちょうど今から2500万年前にもホールさんは同じことをおっしゃってましたね。そのときのツケをいま頂きます」

天文学者らしい壮大なユーモアでしたが、女将のほうが一枚上手でした。

2017年5月6日「スカラ座伝説」

イタリアのミラノに建つスカラ座は、宮廷劇場以来の伝統を持つイタリアオペラ界の最高峰とされる劇場です。
音楽家にとってスカラ座に出演することは、超一流の音楽家だと認定されることで、出演料をもらわなくても出たいと思うほどの憧れの舞台です。

そのスカラ座で当時、世界的なマエストロと呼ばれていたトスカニーニが首席指揮者を務めていた頃のこと。
マスカーニという新進気鋭の作曲家にスカラ座から自作のオペラを客演して指揮してほしいという依頼がありました。
「喜んでやります」とマスカーニは答えます。
しかし続けて「ただし、出演料はトスカニーニより1リラだけ高い額を頂きたい」と申し出ました。
彼はトスカニーニに対して強いライバル心を抱いていたのです。

マスカーニの指揮はスカラ座で大成功を収めますが、スカラ座から受け取った小切手の数字はたったの1リラ。
腹を立てたマスカーニがスカラ座の支配人を訪ねて「私の出演料が1リラとはどういうことだ!」と詰め寄ると、支配人はこう答えたそうです。
「あなたの申し出どおり、トスカニーニさんより1リラ高い額にしました。
なにしろトスカニーニさんがスカラ座で指揮をしてくださるときは、けっして報酬を受け取りになりませんから」

スカラ座に語り継がれる伝説のエピソードです。

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