2018年6月アーカイブ

2018年6月30日「ホタルの瞬き」

昨年7月の九州北部豪雨災害で、ホタルが激減した東峰村では、「残ったホタルは村の希望の明かり」と、今年も恒例の「宝珠山ほたる祭」を開催しました。
そのことを聞いて思い出すのは、36年前の長崎大水害からホタルを復活させ、今も放流を続けている「伊良林小学校ホタルの会」の皆さんです。

昭和57年7月、長崎は記録的な豪雨に見舞われ死者行方不明者は299名に上り、伊良林小学校でも児童3名、保護者7名が犠牲となり深い悲しみに包まれました。
そうしたなか、鉄砲水が発生し、人命を奪った御手水川に、慰霊の思いを込めてホタルを飛ばそうという声が住民たちから上がりました。

以前は家の中にホタルが入ってくるほどであった伊良林。
水害で変わり果てた川にホタルを呼び戻そうと、学校に「ホタルの会」が設立されました。子供達を要に親や住民らが加わり、ホタルの幼虫の飼育から川の清掃などの取り組みが始まります。

それから10年後、数々の困難を乗り越えてついに御手水川にホタルが復活しました。ホタルの会は今も、子供と大人が一緒になって川掃除やホタルの放流を続けています。
復興にかける思い、命を尊ぶ心はホタルの輝きとともに子や孫へ受け継がれているのです。

2018年6月23日「UFOの町」

明日6月24日はUFO記念日。
1947年のこの日、米国ワシントン州で初めてUFOが目撃されたことを記念して設定されました。

空飛ぶ円盤の目撃談が全米で報道されると、同様の目撃証言が相次ぎました。
事態を重視したアメリカ空軍がこれを未確認飛行物体:UFOと名づけ、調査に乗り出しましたが正体は分からず、2年後に「目の錯覚の類い」との報告を出しています。
しかしこれ以降、世界中でUFOを見たという人々が増えていきました。

宇宙から来たUFOが存在するのかどうかはいまだに判明していませんが、実は日本には「UFOの町」と呼ばれる地域があります。
それは石川県羽咋市。
この地には昔からシンバルのような形をした物体が夜な夜な炎を上げながら飛んだり、大きな鍋が空から降ってきて人をさらうといった伝説が数多くあります。
そこに目を付けた市がUFOをテーマにした町起こしを計画。
科学的な資料を展示する宇宙科学博物館をオープンさせ、UFOの国際シンポジウムを開催したのです。

いま羽咋市の街中を歩くと、至るところにUFOや宇宙人のオブジェや看板、飲食店のメニューやグッズもUFO関連で溢れています。
そんな羽咋市民の4人に1人がUFOを目撃したというから驚きです。
そのため、羽咋市には日頃から空を見上げる習慣を身につけた人が多いそうです。
UFOの町・羽咋市は、上を向いて歩く人々の町なのです。

2018年6月16日「焼酎メッセージ」

建物を棟上げする際、その年月日や施主や大工の棟梁の名前などを書いた板を屋根裏に取り付ける「棟札」というものがあります。
最近ではこの風習は減りつつありますが、伝統的な日本建築の神社仏閣ではいまも棟札という風習が守られています。
古い建物の棟札は、地域の歴史や文化、暮らしぶりを伝える重要な資料となることもあります。

鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社。
昭和29年に本殿を解体修理したところ、屋根裏から棟札が発見されました。
そこに書かれていたのは「永正4年再興」の文字。
つまりこの神社は16世紀以前に建てられたことが分かったのです。

さらにもう一つ、棟札ではなく柱に釘打ちされていた木の板を剥がしてみると、その裏にはこの神社を修理した日付けの墨書きがあり、大工の名前も添えられていました。

実はこの墨書きにはまだ続きがありました。
次に書かれていたのはなんと「施主が大変ケチで一度も焼酎を振る舞ってくれなかった。とてもがっかりした」というメッセージだったのです。

奇しくもこの墨書きの発見によって、鹿児島では16世紀にすでに焼酎という酒が庶民の間で飲まれていたことが明らかになり、焼酎という文字が初めて登場した文献となりました。
いまも昔も変わらない、鹿児島の人々の焼酎愛が生んだ歴史的発見でした。

2018年6月9日「車両監視」

明日6月10は「路面電車の日」。
平成7年のこの日、路面電車が走る全国の自治体が集まって路面電車サミットを開催したことから制定されました。

路面電車が走る町、長崎市。
開業は大正4年で、長崎市民の足として100年以上走り続けています。
その歴史の中で大きな天災に見舞われたのが、死者・行方不明者299人を数えた昭和57年7月の長崎大水害です。

帰宅時のラッシュに起こった集中豪雨で市内の河川があっという間に氾濫。
道路が濁流となりました。
このとき電車の電気施設も冠水して停電。運行していた電車30両が立ち往生してしまったのです。
携帯電話もない時代、運転士たちは状況が分からないまま、とにかく乗客の保護と避難誘導に当たります。
子どもやお年寄りを抱きかかえて濁流を横切り、安全な場所に連れていきました。

が、すべての乗客を避難させた後も運転士自身は避難しませんでした。
電車が急流に流されないように停留所や電柱にロープで固定し、そのまま電車内に残り、「車両監視」という業務で翌朝まで電車を見守り続けたのです。
車両監視は水が引いて電車が復旧するまで、担当運転士が交代しながら3昼夜続きました。

人命を第一に考えながら電車を我が子のように愛する運転士たちは、きょうも長崎市民の足として安心と安全を運んでいます。

2018年6月2日「日本が元祖」

1966年のきょう6月2日、米国の無人探査機が月面軟着陸に初成功しました。
同時期、日本の宇宙開発技術は遅れていましたが、15年後にはハレー彗星の探査衛星を打ち上げ、欧米と肩を並べました。

そのころに起きた宇宙開発の国際会議での話。
慣しとして各国の打ち上げ基地のことをアルファベット3文字で表記します。
たとえば米国ケネディ宇宙センターの場合は、
英語の「Kennedy Space Center」の頭文字3文字を取ってKSCと略称されます。

実は当時、KSCはもうひとつありました。
それは内之浦にある鹿児島宇宙空間観察所。
英語にすると「Kagoshima Space Center」となるからです。

国際会議の場ではしばしば混乱を招きました。
「まあ当時の規模や実績において話題の大半を占めるのは米国のKSC。
KSCという言葉が出たら概ねケネディ宇宙センターのことだろう」
と認識されていたためです。

しかし鹿児島宇宙空間観測所はじつはケネディ宇宙センターより前に創設されています。
だからKSCという略称は日本が元祖と言えるでしょう。
そこで国際会議でKSCという名が話題に出たら、日本の出席者はすかさず
「ちょっと待って。それはオリジナルKSCのことか、それともセカンドKSCのことか?」と質問をしたそうです。
元祖のささやかな鬱憤晴らしだったのかもしれません。

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