2019年1月アーカイブ

2019年1月26日「雪の結晶 奇跡の美」

自然が織りなす神秘に、古今東西、人々は幾度となく魅了されてきました。
「The Snowflake man」と呼ばれたウィルソン・ベントレーもその一人。
雪の結晶の美しさに心を奪われ、その写真撮影に生涯を捧げました。

今から150年余り前の1865年、彼はアメリカ・バーモント州の豪雪地帯の農家に生まれました。少年時代、顕微鏡で雪の結晶を観察した時です。
ベントレーは後に語っています。
「奇跡のような美しさでした。この美しさが人の目に触れないことは残念だと思った」と。
その価値を認める人の少ない時代、両親は当時大変高価であった顕微鏡付きのカメラを贈り応援したのです。

瞬く間に溶ける雪の結晶を写真に納めるのは容易ではありませんでしたが、厳寒の中、懸命の努力と工夫を重ね、20歳の時ついに成功します。
以来、農業の傍ら、ひたすら撮り続けた写真は5381枚に上り「雪の結晶に同じものは存在しない」ことを発見しました。
そしてアメリカ気象学会の援助により写真集が出版。ベントレーはその年、66歳で生涯の幕を閉じたのでした。

ベントレーの写真集は世界の科学者に多大な影響を与えました。
一度味わった感動は一生消えない。いつまでも人の心に残るのだ。
ベントレーの人生が、そう語りかけてくるようです。

2019年1月19日「登山家の遠足」

いま中高年女性の間で1000m級2000m級の山に登山する人が増えていますが、そんな女性クライマーに大きな影響を与えたのが、登山家の田部井淳子さんです。

昭和50年、世界最高峰のエベレストに女性として世界初の登頂に成功。
その後はモンブラン、キリマンジャロ、マッキンリーなどを次々と制覇し、平成4年にはコーカサス山脈のエルブルスの登頂をもって、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となったのです。
このとき田部井さんは53歳。その後62歳まで世界各地の7000m級の山を登り続けました。

さらに77歳の時には、東日本大震災の被災者支援のために東北の高校生たちと富士山に登山。
これが最期の登山となり、その年の平成28年、田部井さんは癌で生涯の幕を閉じました。

亡くなる2年前の春、彼女の姿が福岡県八女市の山里にありました。
この日、彼女は八女の広々とした茶畑や農村のあぜ道、竹林の森などを巡る遠足を楽しんでいたのです。

世界的な登山家に「遠足」はいまひとつイメージが湧きません。
そう言われると、田部井さんはにこやかに こう答えました。

「登山はひたすら頂点をめざして歩くけど、遠足は自然の風景を楽しむために歩く。
 目的は違いますが、自然の中を歩いていくと新鮮な驚きや発見があるという楽しさは同じ。
 私にとってはエベレストが山なら日本の山里も山、森も山ということです。」

2019年1月12日「宇宙一のほらふき」

新年になって初めて笑うことを「初笑い」や「笑い初め」といって、正月の演芸番組などのタイトルとして用いられていますが、秋田県横手市では「新しい年が明るい笑いにあふれる一年となるように」という思いで、毎年恒例のユニークな初笑いイベントが催されています。

その名は銀河系宇宙ほらふき決勝大会。
大会趣旨によれば「新しい年を迎え、銀河系宇宙を闊歩する英雄・豪傑・天才を自称する皆の者が一堂に会して、宇宙の繁栄を願うべく、はたまた貢献すべき地域興しのアイデアや夢を語り合うものとする」とあります。
つまりは、宇宙規模の夢物語や町興しのアイデアを披露してくれる ほらふきさんのコンテストです。

年齢、性別、国籍など参加資格は問わず、地球はおろか宇宙人でも参加できるとのこと。
ステージに登場する際の音楽や衣装、発表の形式も自由とあって、着ぐるみ姿で登場したりラップ調でほらを吹く人もいます。
審査は会場の笑いの大きさを測る審査員と会場から選ばれた観客から投票。
優勝者には賞状、トロフィーの他に観客一人一人が入場料として持ち寄った、1合の米を集めた宇宙限定米「ほら錦」が副賞として進呈されます。

第27回を迎える今年の銀河系宇宙ほらふき決勝大会は1月12日。
まさにいま壮大なほら話が披露され、初笑いの渦が沸き起こっている最中なのです。

2019年1月5日「鯖街道は宇宙へ」

400km離れた上空で地球を回っている国際宇宙ステーションには6名のクルーが研究や実験をしながら暮らしています。

彼らが食べているのは宇宙食。
日本には主食から飲物まで食品メーカーが開発した28種の宇宙食がJAXA:宇宙航空研究開発機構の認定を受けて国際宇宙ステーションに運ばれていますが、このほど5品目の宇宙食が新たにJAXAの認定を受けました。

そのひとつが「鯖醤油味付け缶詰」。
開発したのは食品メーカーではなく、福井県立 若狭高等学校 海洋科学科。
なんと高校生が開発したのです。

この高校は以前は水産高校で、実習教育の一環として鯖の缶詰を作っていましたが、世界標準の食品衛生管理システムを取得した際、このシステムはNASAが安全な宇宙食を作るために考案されたものだと知った生徒から「宇宙食を作れるのでは」と声が上がり、研究が始まったのです。
生徒と教職員が一丸となって取り組んだ研究と試作は12年に及び、先輩から後輩へと受け継がれ、54人の生徒が力を合わせて完成させました。

JAXA宇宙食と認定された若狭高校の鯖醤油味付け缶詰は、宇宙飛行士・野口聡一さんが今年、国際宇宙ステーションに届ける予定。
若狭は鯖の産地で、昔、京都に鯖を運んだ道は鯖街道と呼ばれています。
いま、若狭の鯖街道が宇宙に繋がろうとしているのです。

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