TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(2020年4月11日「解体新書始末記」)
(2020年4月25日「未来に残した教訓」)→

2020年4月18日「日本スポーツの復活」

今から69年前の1951年4月19日。ボストンマラソン第55回大会で日本人のランナーが2時間27分45秒の記録でゴールを駆け抜けました。
優勝したのは広島出身の19歳、田中茂樹選手。
日本人初のボストンマラソン優勝者ですが、彼の快挙にはもっと大きな意味があったのです。

第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、戦後初のオリンピックロンドン大会への出場が許されず、国際スポーツの場から追放されます。
日本スポーツの誇りを復活させるには、戦勝国アメリカの伝統的なボストンマラソンを制するのが一番と考えた陸上指導者たちは、各地の有力選手を発掘し、田中茂樹はじめ4名の選手を送り出したのです。

期待を一身に背負い臨んだ大会で、田中選手はみごと優勝。のみならず他の日本人選手3名全員も入賞を果たしたのです。
その瞬間、日本の大快挙を伝えるニュースが世界を駆け巡りました。
この報道に、肩身の狭い思いをしていた在米邦人たちは、「私は日本人だ」と堂々と名乗ることができたといいます。

「田中に続け」と言わんばかりに、その後のボストンマラソンでは次々に日本人選手が優勝。その勢いは1964年の東京オリンピック開催へと繋がっていきます。
田中茂樹選手のみごとな走りは、日本スポーツの国際舞台復活への先駆けとなったのです。