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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2020年4月4日「上野駅18番ホーム」

昭和29年4月5日、初めての集団就職列車が青森駅から東京の上野駅へ向かいました。乗っていたのは中学を卒業したばかりの少年少女622人。
上野駅は東北や北陸出身の若者を迎える玄関口だったのです。

中には慣れない都会の暮らしでホームシックになったり、仕事や人間関係に悩む者もいました。
そんな彼らの心の支えになったのが伊沢八郎さんの歌『あゝ上野駅』です。
じつは伊沢さん自身も歌手を志して青森から単身上京。
「上野駅は心の駅。くじけちゃならない。人生がここから始まった」という歌は集団就職で上京した者たちの応援歌となったのです。

北国出身の人間にとって、上野駅は故郷とつながる心の拠り所。
当時の上野駅長は、駅で途方に暮れている若者を見かけると、希望を失って郷里に帰ろうとしていないかと見定めて駅長室に招き入れ、『あゝ上野駅』を聴かせては思い留まらせました。
ときには駅長室から伊沢八郎さんに電話をかけ、直接励ましてもらったこともあるそうです。

昭和51年を最後に集団就職は幕を閉じ、集団就職列車の専用ホームだった上野駅18番ホームは、いまはもうありません。
ですが、駅前広場には「あゝ上野駅」の歌碑が立ち、当時の18番ホームの様子を描いたレリーフとともに、若者たちの背中を見つめています。