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MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2020-10-22(木)

クイズ!古事記

日本を治めるために天界から来た

アマテラスの孫、ニニギ。

一目惚れをしたサクヤヒメにプロポーズすると、

その姉イワナガヒメもセットでお嫁に来ました。

ただ、イワナガヒメは醜かったため実家に返しました。

このことで、今まで神になかったあるものが生まれます。

何でしょう?

答え:寿命

4回に渡る刺客派遣により、オオクニヌシに国を献上させたアマテラス。(これを「国譲り」と言い、この際にオオクニヌシがアマテラス族に頼んで造られたのが出雲大社。)
地上(日本)を統治するために送りこまれたのが孫のニニギ。
ある日、ニニギは笠沙の岬(現在の鹿児島県野間岬)に足を運んだ。
そこで、花の女神とされるサクヤヒメに出会う。ニニギは一目惚れをし、すぐさまサクヤヒメの父であるオオヤマツミに結婚を申し込みに行った。オオヤマツミは大変喜び、サクヤヒメの姉で、岩の女神でもあるイワナガヒメも差し出し、2人を嫁がせた。
ところが、イワナガヒメの容姿は醜く、ニニギのタイプではなかったため、一目見るなり親元へ返してしまう。それに腹を立てたオオヤマツミ。実は、2人セットで嫁がせたのには、「石が頑強であるように永遠の長きにわたって(イワナガヒメ)、花のように栄えるように(サクヤヒメ)」という意味があった。
イワナガヒメを送り返したことで、永遠性が失われる。
そのため、神の命における永遠性が失われ、以降神の御子に寿命が与えられることになってしまった。
つづく・・・

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2020-10-21(水)

クイズ!早すぎた男

今ある7つの大陸は、もともと1つの大きな大陸で、

それが分かれて、今の場所に移動したとする「大陸移動説」。

発表したのは、ドイツの気象学者、アルフレッド・ヴェーゲナー。

1912年、32歳の時にヴェーゲナーはこの説を発表しましたが、

学界からは、これっぽっちも相手にされませんでした。

彼自身も説明できなかった。

この説の、一番の問題点は何だったでしょう?

答え:大陸を動かす「力」が何か説明できなかった

今から100年ほど前、1900年頃は、「まさか大陸のような
大きなものが動くわけがない」と思われていた。

地質の研究を行っていたヴェーゲナーは、離れた場所で
似た地質があることに気づき、「大陸が動いたに違いない!」と
研究を始める(23歳頃のこと)。

そして1912年、32歳で「大陸移動説」を発表。

しかし、学界では「全くのたわごと」「この説を認めたら、
我々が70年で積み上げたことすべてを捨てなければならない」
「さすがに誰も彼の仮説を支持する勇気はないだろう」
とことごとく、否定、無視されてしまう。

一番の問題点は、彼自身が「何故、動くのか」
「その動力は何か」という問いに答えられなかったこと。
そして、その説は忘れられ、ヴェーゲナーは1930年、50歳で亡くなる。

しかし、1950年以降、地球内部の「マントル」は動いている。
ということがわかり、にわかに「大陸移動説」は支持された。

今はGPSなどの先端技術によって、
「説」の正しさが広く証明されている。

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2020-10-20(火)

昭和30年代に、学校給食で登場。

その時に、ショートケーキのイチゴにヒントを得て、

上に「豆」を載せるようになりました。

この食べ物、何でしょう?

答え:シュウマイ

シュウマイが全国に広まったのは昭和30年代。
学校給食として提供されはじめたころ、彩りとして、ショートケーキのイチゴをイメージして、「グリーンピース」が載せられるようになった。
しかし、「シュウマイが十分広まったこと」「グリーンピースは好き嫌いがあること」から、今はグリーンピースを載せたシュウマイが減っている。

・シュウマイは、中国、内モンゴルが起源だが、中国国内各地で幅広く食べられている。
・横浜名物、崎陽軒の「シウマイ」は昭和3年(1928年)発売。横浜に何か名物を、と頼まれた初代社長が、中華街で突き出しとして出されていたシュウマイを商品化した。
ちなみに、崎陽軒の「シウマイ」は、グリーンピースを上に載せず、具として、あんに混ぜている。

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2020-10-19(月)

およそ1200年間、毎日、欠かすことなく

朝と昼の2回

ご飯を届けてもらっている「人物」

だれでしょう?

答え:空海

平安時代初期の僧侶で、真言密教を唐から日本にもたらした
仏教界のカリスマ「空海」。
空海によって開創された真言宗の総本山「高野山」の「奥の院」には、
空海が入定(にゅうじょう:悟りを得るための修行)していると言われる
御廟(ごびょう)があるのだが、
高野山では空海は今も生きているとされていて、
奥の院に毎日朝6時と10時半の2回、食事が運ばれる
「生身供(しょうじんぐ)」という儀式が行われている。

「生身供」では、数名の僧侶が食事の入った木の箱を運ぶ。
途中「嘗試(あじみ)地蔵」と呼ばれる地蔵尊の前で味見をして、
空海の世話を代々行う「維那(いな)」という高僧の先導のもと、
御廟に食事をお供えされる。

空海の食事は1200年もの間、毎日欠かさずに作られている。
メニューは精進料理で、朝はご飯と1汁2菜、
昼はご飯と1汁3菜にデザートが基本。
正月にはおせち料理も運ばれ、時折揚げ物やパスタ、シチュー、コーヒーなども
お供えされるようで、時代によって内容は変化している。

この「生身供(しょうじんぐ)」という儀式は(御廟内は立ち入り禁止だが)
一般の観光客も見ることができる。
神聖な儀式なのでマナーを守って静かに見守ることをおすすめします。

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2020-10-16(金)

「N-アセチル・ガラクトサミン」という

物質がついてる人がいたり、

「ガラクトース」がついてる人がいたり。

両方ついてる人がいたり、

どちらもつかない人がいたり。

これ何でしょう?

答え:血液型(ABO式血液型)

人間の血液型は300種類以上あるが、
その中でも、最もメジャーな、ABO式血液型。

赤血球の周りにはビッシリと、糖が鎖状に
ついている。
基本は、「N-アセチル ガラクトサミン」と「ガラクトース」「フコース」
という3つの糖の鎖。(これを“H抗原〟という)
これがすべての人についているのだが、
A型はさらに「N.アセチル ガラクトサミン」が
B型はさらに「ガラクトース」が
多くついている。
AB型は両方がつき、O型は基本、糖(H抗)しかない。

・4つの血液型の違いはただそれだけ。
 なので、「性格」には何の関係もない!
・300以上ある血液型のうち、ABO型(とRh型)だけが
 問題となるのは、違うタイプを輸血すると固まってしまうから。
・ただ、O型は、基本の糖しか入ってないので、
 他の血液型にも輸血できるとされる。

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2020-10-15(木)

クイズ!古事記

根の国でスセリヒメと恋に落ちた

オオクニヌシ。

スセリヒメの父であるスサノオに

数々の試練を与えられます。

スサノオに「頭のシラミを取ってよ。」

と言われ、びっくりしたオオクニヌシ。

頭に、何が乗っていたでしょう?

A . ムカデ

有名な因幡の白兎のエピソードで、ヤガミヒメと結ばれるオオクニヌシ(オオナムチ)。
しかし兄である八十神(やそがみ)に恨まれて2度殺されてしまい、根の国に逃げる。
そこにいた美しい姫が、スセリヒメ。2人は恋に落ちるが、スセリヒメを寵愛している父スサノオは、オオクニヌシに数々の試練を与える。
1日目、蛇の間に寝かせる。
    →スセリヒメの助け(白い布)でなんとかなる。
2日目、ムカデとハチの間に寝かせる。
    →スセリヒメの助け(白い布)でなんとかなる。
3日目、草が生い茂る中に矢を放ち取りに行かせ、その草原に火を放つ。
    →ネズミの助け(地中の穴ぐらへ案内)でなんとかなる。
最後、「シラミを取って。」とお願いするも、頭にムカデを乗せて驚かせる。
    →スセリヒメの助け(赤土と木の実)でなんとかなる。
試練を乗り越えていくオオクニヌシを見て、気を許したスサノオ。
スサノオが眠っている間に、スセリヒメとオオクニヌシは根の国から逃げ出す。
スサノオは途中で目覚めて追いかけるも、追いつかず。
最後には、スセリヒメを嫁にやることを許し、太刀と弓矢、そして「オオクニヌシ」という名前を与えた。(それまではオオナムチという名前)
そして一言、「出雲ででっかい社建てろよ!」
→2人は出雲に降り立ち、治めることとなる。
つづく・・・

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2020-10-14(水)

クイズ!早すぎた男

若い頃から、ノーベル賞に匹敵する論文を

いくつも発表。

素粒子の研究で2008年にノーベル賞物理学賞を

受賞した南部陽一郎先生。

南部先生は、1952年にアメリカに渡り、1970年に帰化。

英語がペラペラな南部先生。「何語で考えるのですか?」

という記者の質問に、何と答えたでしょう?

答え:「数式で考えます」

日本には優れた物理学者が数多くいるが、中でも
南部陽一郎(1921-2015)は、とびぬけた能力を
持っていた。といわれる。

第2次大戦後、東大の朝永振一郎(1965年にノーベル賞)の
研究室に参加。
この時、後に朝永がノーベル賞を受賞するきっかけとなった
論文と同様の論文を、南部は独自の方法と計算で、
3カ月も先に発表。
しかし、当時は南部のすごさに誰一人気づくことはなかった。
1952年、より自由に研究できる環境を求めて渡米。
そこで、彼のすごさを理解し、研究のパートナーとなる
イタリア人、ジョヴァンニ・ヨナラシニオと出会い、素粒子の研究を行った。
2008年にようやくノーベル賞を受賞。
しかし、相方のヨナラシニオは選ばれなかったことから、
自分は授賞式を欠席。ヨナラシニオに代理でスピーチしてもらった。

南部は、ある時記者に「何語で考えるのか?(日本語?英語?)」
と問われ、「私はだいたい数式で考えます」と答えている。

言葉で説明しなくても、自分の研究や考えは数式で
すべて答えられると言ったのではないか。と解釈されている。

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2020-10-13(火)

「ワンワン」と鳴くのに、犬じゃない。

人には懐かない動物。

何でしょう?

答え:シマウマ

シマウマは見た目はウマに似ているが、ロバに近い生き物。
「ヒヒーン」とは鳴かず、「ワンワン」と、犬のような鳴き声で鳴く。
シマウマは神経質で、人に懐かない。
ウマは、アフリカではツェツェバエに刺され、眠り病にかかるため、シマウマの家畜化がこれまで何度も試されたが、騎乗や運搬に成功したことはほとんどない。
縞模様は、「天敵からわかりづらくするため」「白と黒の温度差で、体温調節する」などの説があったが、今はどちらも否定されている。
ツェツェバエが縞模様を避けるから、というのが、今の有力な説。

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2020-10-12(月)

江戸時代は「はなはだ下品なり」と言われ、

灯りをともす油の代用品として使われていました。

武士も、その形から食べるのを嫌っていました。

何でしょう?

答え:サンマ

本来なら秋の食卓をにぎわせる「サンマ」。
本格的なサンマ漁が始まったのは1700年ごろだが、
江戸時代後までは、格の低い魚として扱われていた。 
江戸時代の料理本には、脂が多かったこともあり、
「はなはだ下品なり」「魚中の下魚である」と書かれていた。
また、形が刀に似ていることもあり、武士は口にするのを嫌がった。

当時はロウソクや燈油が高価で庶民にはなかなか手が出なかったため、
代用品としてさんまの脂を集めて明かりを灯していた。
しかし次第に「サンマが出ると按摩が引っ込む」ということわざができるほど
サンマの栄養価の高さは評判になり、
広く庶民に親しまれる食材へと変わっていった。

意外にもその生態には謎が多いといわれているサンマ。
ちなみに・・・寿命は約2年。
イワシは最長8年、サバは11年、ということを考えるとかなり短い。
寿命が2年と短いということは、サンマの資源は2年で完全に世代が交代する。
毎年どれくらいの数のサンマが育つかによって、
その資源量が大きく変化することを意味する。
少子化の影響が寿命が短いサンマでは翌年には深刻な問題となるし、
今年たくさんサンマが獲れたとしても、2年後にはどうなるかはまったくわからない。
サンマ資源の量を正確に把握するためには、毎年の資源量調査が欠かせない。

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2020-10-09(金)

木にぶら下げてたはずの

道具がなくなって、不機嫌なこうじくん。

なくなった道具って、なーんだ?



(原案:T&Yなぞなぞサイト)

答え:くわ(鍬)

「木にくわなかった」のが
「気にくわなかった」。。。

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