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MORNING JAM

問題です!

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2025-12-03(水)

19世紀のアメリカ・ニューヨークの学者、クレメント・クラーク・ムーア。

1823年、ムーア教授は新聞で、

「詩」を発表。

この作品が、ある人物のイメージを完成させ、

世界に広まりました。

誰についての「詩」だったんでしょう?

答え:サンタクロース

クレメント・クラーク・ムーアはニューヨークの神学校で、文学、神学の教授を務めた人物。
ムーア教授は1823年に匿名で新聞に詩を発表、タイトルは「The Night Before Christmas(クリスマスの前の晩)」
この詩の中で、
 ・サンタクロースがそりに乗ってプレゼントを配ること
 ・煙突からプレゼントを届けること
などを描き、サンタクロースやクリスマスのイメージを作り上げ、世界に広まった。

この詩は絵本になり、いまもホリデーシーズンになるとアメリカを中心によく読まれている。

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2025-12-02(火)

日本の歴際の総理大臣の中で、

最初に流行語大賞に選ばれたのは、

1999年の小渕恵三首相の「ブッチホン」。

政治家だけでなく、一般人にも直接電話をかけた

ことから、この言葉が生まれました。

小渕首相が直接電話をかけて、政府主催の

行事のテーマソングを作ってほしいと依頼したミュージシャン。

誰だったでしょう?

答え:小室哲哉

1998年、橋本首相の後継として首相に就任。
しかし橋本氏と同じ派閥だったことから批判を浴び、低い支持率でのスタートとなった。
そこで小渕首相は、国民と同じ目線で話し合おうと考え、国民との接触機会を増やしていった。

秘書を介さず、直接自分で電話をかけ、お礼や相談、情報収集、依頼などを行った。

その中で、「九州・沖縄サミット」のテーマソングの作曲を依頼した相手が、小室哲哉さん。(2000年1月)
安室奈美恵さんのシングル「NEVER END」として2000年7月リリース。

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2025-12-01(月)

今日は中島浩二さん、60歳、還暦のお誕生日。

そこでお母様に、中島さんの少年時代についてお伺いしました。

中島少年が小学一年生の時、

母ジーが一晩中、

一睡もできなかった出来事。

何だったでしょう?

答え:(大阪から佐賀まで)一人で寝台列車に乗って帰ってきたこと。

お誕生日おめでとうございます!

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2025-11-28(金)

博多なぞなぞ~

「ものごとの大切なところ」を

両側から同じひらがなで挟んだら、

そこで美味しいうどんが誕生しました。

挟んだ文字って、なーんだ?

答え:じ

「ものごとの大切なところ」、つまり「要点(ようてん)」を、「じ」で挟んだら、
うどんのはじまりどころ「じょうてんじ(承天寺)」に!

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2025-11-27(木)

計算問題です。

1000円札をたくさん持ってるこうじくん。

近所のうどん屋さんに、

890円のうどんと、980円のうどんを、お腹いっぱい食べに行くことにしました。

お釣りが出ないように注文するには、

1000円札を最低、何枚持っていけばいいでしょう?

答え:13枚

890円のうどんを食べると、110円のお釣りが出る。
980円のうどんを食べると、20円のお釣りが出る。

110と20の倍数を足して、1000円の倍数にすればよい。

× 110×9=990 これに20の倍数を足しても1000の倍数にはならない。
○ 110×8=880 これに20×6=120を足すと1000(うどん14杯)
○ 110×6=660 これに20×17=340を足すと1000(うどん23杯)
○ 110×4=440 これに20×28=560を足すと1000(うどん32杯)
 ・
 ・
 ・
もっと少なくて済むのは、890円のんうどん8杯、980円のうどん6杯の時。

8890-8+980×6=13000円

1000円札 13枚

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2025-11-26(水)

なぞなぞ ではありません。

もともと頭に「ぞう」がのってたのに

いつの間にか「ぞう」は

どこかに消えてなくなり、

2つの文字が残りました。

これ、なーんだ?

答え:もつ

肉の内臓を表す言葉「もつ」は元々、「臓物」のこと。
明治期には「ぞう」が省略されて、「もつ」と呼ぶようになったとされる。

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2025-11-25(火)

別名「ヒトモジ(一文字)」と「フタモジ(二文字)」。

今はどちらも2文字の言葉ですが、

片方は元々、1文字で呼んでいたことから

この別名がつきました。

見た目が似ている、2文字の食材。

何と何でしょう?

答え:ネギとニラ

原産は大陸だが、日本にも古くから伝わり、古事記、日本書紀にも登場する2つの野菜、ネギとニラ。

ネギは元々、1文字で「キ」と呼ばれていた。(あさつきやわけぎにその名残がある。「ネギ」になったのは「根っこ」の「キ」=「根葱」からとされる)

そこから、室町時代、宮中に使える女性(女房)が見た目がよく似ている「キ」と「ニラ」をそれぞれ「一文字」「二文字」と呼ぶようになった。

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2025-11-24(月)

1992年に起こった「もつ鍋ブーム」。

そのブームの仕掛け役になったのが、

銀座にあった、東京初の専門店「もつ鍋元気」

女性客を意識した店作りで人気に火がつきました。

今ではいろんな飲食店で見かけますが、

「これ」を常備したのは、このお店が

店内に、何を置いたんでしょう?

答え:歯ブラシ(アメニティ)

博多発祥のもつ鍋は、まずバブル全盛期の2〜3年間で福岡市内に専門店が100軒以上できるほど人気を呼び、関西、そして東京に飛び火した。その後バブルが崩壊し、景気後退に入っていく時期、安い材料をおいしく食べられるもつ鍋は、時代の空気にも合っていた。
全国区になったのは、1991年に東京・銀座にオープンした「もつ鍋元気」がきっかけ。
店内は、ニラと赤唐辛子を意識した緑と赤のインテリアに黒いテーブルというスタイリッシュな雰囲気。開店当初から女性客を意識し、モツが高たんぱく・低脂肪・低カロリーのヘルシーフードであることを解説した冊子を入り口に置き、トイレには使い捨て歯ブラシを常備した。アメニティグッズを揃えた飲食店の先駆けである。狙いは当たり、お客さんの8割は女性だった。
フレンチ、カフェバー、エスニック、イタ飯…と、バブル期を楽しんだ女性たちの嗜好にも合ったもつ鍋。渋谷の公園通りは「もつ鍋ストリート」と呼ばれる密集地となり、「もつ鍋あります」と書かれたのぼりが林立。どの店の前にもモツギャル(と当時あだ名された)の長蛇の列ができた。
それ以前はモツといえば「居酒屋や屋台でホッピー片手につまむ、安くて旨い労働者の味方」のはずだったが、もつ鍋は、女性が作ったブームと言って良い。

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2025-11-21(金)

うどんなぞなぞ~

どんぶりの中に

ながーいものが、全部で50本。

と言っても、麺ではありません。

これ、なーんだ?

答え:ごぼう天

長ーい「棒」が5本で「5ぼう」。
その「ごぼう」が10セットで「ごぼう10(テン)」。
つまり、「棒」が5×10=50本で「ごぼう天」に!

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2025-11-20(木)

福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀監督は

ものすごい読書家。

同じ和歌山県出身の「経営の神様」

松下幸之助さんの本もたくさん読んでいます。

その中に書かれている言葉「○○を知らないといけない」

これを知っているかどうかで、練習への

身の入り方が変わってくるそうです。

「何」を知れ、と書かれているでしょう?

答え:怖さ

(小久保監督の2018年のインタビュー記事より)
小久保監督がくり返し読んだという松下幸之助の「指導者の条件」。
その中の一節「怖さを知らないといけない」。
少年野球のころから、監督やコーチは怖い存在で、厳しく見てくれる人がいるからこそ、練習に励むことができた。
プロになってからは、王さんが叱ってくれたことが、野球人生を分けるポイントだった。
とこのインタビューの中で語っている。

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