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MORNING JAM

問題です!

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2025-09-15(月)

黒田藩に仕えた儒学者・貝原益軒が、

長生きのすすめを説いた、

江戸時代の大ベストセラー『養生訓』。

その中の教えの一つに、

「〇〇した後にすぐ食事をしてはならない。

また、食事をした後に〇〇してはいけない。」

というのがあります。

食事の前後、何をしてはいけないんでしょう?

答え:怒ってはいけない

今でこそ「人生100年時代」だが、江戸時代は40歳にもなれば隠居暮らしとなり、50歳前後で冥土へ旅立つのが当たり前だった。
そんな時代に堂々と「人生五十歳に達しないと血気が定まらない(五十歳からが本当の人生だ)」と主張し、長生きのすすめを説いて、83歳まで生きたのが黒田藩の儒学者、貝原益軒だ。亡くなる前年、82歳で書き残した健康指南書『養生訓』は当時の大ベストセラーとなり、今もなお読み継がれている。
その中の一部を紹介する。
・快楽について:「何事も、一時的に快楽を覚えることは必ず後で災禍となる」
・労働について:「常に体を動かしていると、気力と血液がよく循環し、食物が詰まらない。これが養生の要である」
・感情について:「怒った後ですぐ食事をしてはいけない。また食事の後で怒ってはいけない」
・呼吸について:「呼吸をしなければ死ぬ。人の体内にある気は天地の気と同じであって、内と外で通じ合っている」
・睡眠について:「夜寝るときは、必ず横向きになって脇を下にして寝ること。仰向けに寝てはいけない」(仰向けに寝ると、気がふさがってうなされることがあるから。ということらしい。)

貝原益軒は、実は生まれつき身体が弱かった。だからこそ、人よりも余計に身体に注意しながら人生を送ってきたと考えられている。(現在は中央区今川の金龍寺に葬られている。)

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2025-09-12(金)

シングなぞなぞ~

歌が上手な、

インコや文鳥みたいな声って、

なーんだ?

答え:テノール

インコや文鳥も、慣れてきたら、手に乗ーる…

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2025-09-11(木)

楽譜の出版や、楽器の製造、販売を

手がける「ゼンオン」が、1950年代に制作。

楽器を購入した学校に

おまけ として配り、評判になりました。

多くの人が学校で、目にしたことがある

もの。何でしょう?

答え:作曲家の肖像画

音楽室に飾られる、クラシックの作曲家の肖像画。
あれは元々、楽器メーカーがおまけとして配っていたものだった。

「ゼンオン(全音楽譜出版社)」が日本の洋画家、大貫松三さんに依頼して描いてもらったもの。

これが評判となり、全国の学校で音楽室に肖像画を飾るのが一般的になった。
(最近は飾らない学校も増えている)

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2025-09-10(水)

多様性を受け入れ、すべての子どもを

尊重する教育を行っている

福岡市東区の立花高校。

すべての生徒に配慮するために、

立花高校では、教室の椅子に

あるものを取り付けています。

何でしょう?

答え:(脚に)テニスボール

例えば、音に敏感な子がいる。
机や椅子を引くときの「ギギギ」という音がつらいと感じる子がいる。

しこで音がしないように、脚にテニスボールを付けた。(割って敷いた)
「でもこれは音に敏感な人のためだけじゃない。静かな方が、私たちにとってもいいですよね」

また、時計は針が苦手な人も、数字が苦手な人もいるから、デジタルとアナログ、2種類をかけている。

「立ち入り禁止」「走るな」ではなく、「今は入れないよ」「ゆっくり行こう」という貼り紙など、目をした人がどう感じるかを考えている。

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2025-09-09(火)

今年、サンマ食べましたか?

サンマやイワシ、アユは

他のほとんどの魚が持っている

あるものを持っていません。

タイやブリにあって、サンマやイワシにない

味に影響を与えるもの、何でしょう?

答え:胃

サンマ、イワシ、アユやトビウオ(アゴ)の共通点は、「内臓(キモ)」が食べられること。
一方で、他の多くの魚はすぐに内臓を捨てて、食べることはない。

この違いは「胃」があるかないか。
「胃」がある魚は、エサを長時間かけて消化するため、臭くて食べられたものではない。
一方で、胃がない「無胃魚」は食道からすぐに腸につながっている。

消化しやすいプランクトンを常に食べつづけ、すぐに排出するため、臭くならず。適度な苦味があって食べても美味しい。

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2025-09-08(月)

生き物ではないのに、

「天然」と「養殖」があります。

違いは、「これ」を作るために必要な道具。

一度に一つしか作れないタイプが「天然」。

一度に複数作れるタイプが「養殖」。

これ、何でしょう?

答え:たい焼き

たい焼きは、明治時代後期に誕生した和菓子で、「今川焼き」が進化したもの。縁起の良い鯛の形を模したたい焼きは、幸運を呼ぶ存在として多くの人々に愛され続け、時代とともに様々な変化を遂げてきた。
今では、焼き型の違いによって、「天然もの」と呼ばれるたい焼きと「養殖もの」と呼ばれるたい焼きがある。天然ものは、一丁焼きという焼き型で一匹ずつ焼かれるたい焼きのこと。養殖ものは、一丁焼き以外の方法で、一度に複数匹焼かれるたい焼きのこと。
この、「天然」「養殖」と呼ばれる起源は、作家の宮嶋康彦(みやじまやすひこ)さんが、著書『たい焼の魚拓』の中で使ったのが初めてと言われている。
「天然もの」は、一匹ずつ手焼きで、火加減が細かく調整できるため、皮は比較的薄く、パリッとした食感が特徴。また、相対的にあんこの量が多く、しっぽまでしっかりとあんこが詰まっている傾向にある。
対して「養殖もの」は、皮が比較的厚く、フワッとした食感で、弾力がある傾向にある。中身はあんこだけでなく、チョコやカスタード、白玉入りなどで売られることも多い。

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2025-09-05(金)

秋の行楽なぞなぞ~

細かい手仕事で、

指輪を作る人が好きな

レジャーって、なーんだ?

答え:サイクリング

細かい手仕事で、「細工」を施して「リング」を作る人は…「サイクリング」…

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2025-09-04(木)

名もなき技術者、ハウボルト。

彼は無名で、まだ26歳の技術者でしたが、

当時の常識では不可能だったことを

可能にした人物。

使い切ったパーツを途中で捨てて身軽にして

最終的に、2人だけが達成できる、というプランを考案。

「計算上いけるはず」と上司を説得して回り、

見事、プロジェクトを成功に導きました。

何を考えた人物でしょう?

答え:月に行く方法

1960年代に、月に行く、とケネディ大統領は目標を掲げたが、まだそのプランは定まっていなかった。

「直接、行って帰って来るプラン」
「バラバラの宇宙船を打ち上げて、地球軌道で組み立てるプラン」などが考えられたが、どれも当時の技術で実現するのは無理。
そこでNASAの若い「平社員」、ジョン・ハウボルトが全く新しいプランを思いつく。

「月の軌道まで行って、着陸船だけが着陸して、またドッキングして帰ってくればいい。
 必要なくなった部品は途中で全部捨ててくる」
「ただし、3人のうち、着陸できるのは2人だけ」

はじめは誰も取り合わなかったが、1人1人を説得。
ついにそのプランが採用され、1960年代の最後の年に、人類は月に降り立った。

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2025-09-03(水)

明治時代に、イギリスから輸入したものは

「ライオン」の形をしていました。

その後、初めて、国産のものが作られ、

「龍」の形になりました。

今は、形は違いますが、

別の生き物の名前がついています。

何でしょう?

答え:蛇口

水道の蛇口は元々日本にはなく、明治時代、1887年(明治20年)に初めての水道が誕生。
この時、イギリスの「ライオン」の口から水が出るデザインのものが設置された。
(ライオンは、ヨーロッパで「水の守り神」とされる)
その後、1898年(明治31年)に初の国産製品が登場。
東洋で「水の守り神」とされる「龍」のデザインだった。
はじめこれを「龍口(たつくち)」と名付けたが、定着せず、龍のモデルの「蛇」にちなんで「蛇口」と名付けた。

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2025-09-02(火)

その「国」で生まれて、

その「国」の名前をつけてるのに

その「国」で、今作ってません。

現在、日本だけが作ってる

食べ物、何でしょう?

答え:ラ・フランス

セイヨウナシの一種で、フランス原産の「ラ・フランス」。

1864年に、フランスで発見され栽培されるようになり、日本には1903年に入ってきた。
現在、日本では年間およそ2万トンが生産されているが、元々のフランスでは1900年代初頭に絶滅。
(栽培に手間がかかるからあきらめた、とされる)

日本は生産の安定化に成功し、今 世界で生産している唯一の国。主な生産地は山形、長野。食べ頃は10月~

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