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MORNING JAM

問題です!

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2024-02-15(木)

時代劇 好きですか?

「時代劇」という言葉、

実は元々、頭にもう1文字

漢字がついていました。

今は省略されているその「漢字」

何でしょう?

答え:新

今は「時代劇」としか言われないが、この言葉のルーツをさかのぼると元々は「新時代劇」という言葉だった。
そもそも「時代劇」の「時代」は江戸や明治といった、時期を表す「時代」ではない。この言葉が生まれたのは明治時代。
それまでの演劇・芸能といえば歌舞伎や講談を題材としたもの。
明治に入り新しいスタイルの芸能として登場したのが「新時代」の劇=「新時代劇」。社会的テーマや人間描写を盛り込んだ、新しい物だった。
今も「時代劇」の舞台が江戸や明治初期なので、当時の「新時代劇」の舞台がそうだった、というだけの話。

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2024-02-14(水)

クイズ! イタリア語で愛を語ろう!

「Ogni giorno mi innamoro' di te!」

これはイタリア語で定番の愛の言葉。

「〇〇、君に恋してる」

最初に入る言葉は、何でしょう?

答え:毎日

ヴァレンタイン司教(269年2月14日没)の生まれ故郷はイタリア・ローマ。
そんなイタリアの愛の言葉「Ogni giorno」で毎日の意味。「毎日、君に恋してる」

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2024-02-13(火)

日本は着物の人が多かったから

助けが必要。

だから、その人が座る場所に

名前が付きました。

何でしょう?

答え:助手席

運転席の隣は「助手席」と呼ばれるが元々、英語など他の言語ではなくその概念がない。
後部座席と同じく「passenger seat」=乗客の席。
「助手席」という言葉が生まれたのは、大正時代の日本のタクシー。当時は着物が多く、乗り降りに手助けする人が必要。そこで助ける人を「助手」と呼び、その助手が座る席だから「助手席」と呼ぶようになった。

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2024-02-12(月)

強い日差しから目を守ってくれる、サングラス。

もともとは、日除けでも、ファッションでもなく、

表情を隠すために、

ある職業の人が使っていました。

どんな職業の人でしょう?

答え:裁判官

サングラスといえば、強い太陽光線や照り返しから目を保護するもの、つまり日よけとして、海辺やスキー場で広く使われている。ところがこれが作られた当初は、全く思いもよらぬ使われ方をしていた。
意外にも、サングラスのルーツは15世紀の中国・明の時代。その頃は眼鏡をいぶして、ススで黒くするという素朴な技術で作られ、度は入っていなかった。そしてこれを使っていたのが、裁判官。これは裁判中、裁判官が証拠の真偽などをどのように判断しているのか、目の動きから相手に悟られないようにするため。
一方、日光や紫外線から目を守るという、現在と同じ用途のサングラスが誕生したのは、1923年、アメリカ陸軍航空隊のマクレディ中尉が、北米大陸横断に成功したことがきっかけ。この時、太陽のまぶしさに悩まされた中尉は、帰還後、光学メーカーのボシュロム社に開発を依頼した。こうして6年の歳月をかけて完成したのが、サングラスの定番ともなっている「レイバン」である。
その後、ハリウッドスターたちが愛用するようになると、オシャレの小道具としてのサングラスが誕生。1960年代にガラス製品の一大メーカー、フォスター・グラント社が、サングラスをかけた俳優たちをCMに登場させ、人気に火がついた。

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2024-02-09(金)

バレンタインなぞなぞ~

2月14日に、チームのみんなで

仲間意識を持って乗り込む

乗り物って、なーんだ?

答え:バン

みんな一緒に、「連帯」感を持って「バン」に乗る日。それが「バレンタイン」デー。

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2024-02-08(木)

最初に、それを作った という記録は

1557年の唐津。

江戸時代には日本全国で作られるようになりました。

当時はそのまま食べるだけでなく

お吸い物の具にしたり

大根おろしとわさびをのせたり。

この食べ物、何でしょう?

答え:カステラ

鶏卵、小麦粉に砂糖や水飴を加えオーブンで焼く「カステラ」。
長崎が有名だが日本で最初に作ったのは1557年の肥前・唐津で宣教師がつくったものだとされている。
江戸時代の中頃には全国で作られるようになったが砂糖の量は今より少なく甘さ控えめ。
大根おろしとわさびをのせて食べたりお吸い物に入れたりしていた。

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2024-02-07(水)

1935年、ある村に初めてホテルが

建てられました。その名前は「ホテル・ノウチ」。

1911年に移籍が発見され、何もなかった

この場所に、1929年鉄道が開通。

鉄道建設にも携わった野内与吉さんは

そのまま住み着いてホテルをオープン。

初代村長になり、村の発展に尽力しました。

今では年に100万人以上が訪れるこの場所、どこでしょう?

答え:マチュピチュ(ペルー)

ペルーのマチュピチュ遺跡はインカ帝国の都市で標高2430m。
今は年に150万人が訪れる観光地。この場所が観光地として栄えたのは一人の日本人がいたから。
福島の裕福な農家に生まれた野内与吉は1917年、21歳で海外での成功を夢見てペルーに移住。ペルー国鉄に勤めマチュピチュまでの鉄道建設に携わりマチュピチュに移住。
1935年に「ホテル・ノウチ」を開業し、村長に就任。水を引き、畑を作り、水力発電所を作り村の発展に尽力した。
今もマチュピチュ村の中心部は日本の温泉街のような雰囲気を持っている。それは野内さんがイメージする観光地が温泉街だったから。

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2024-02-06(火)

料理の問題です。

・長ネギ

・唐辛子

・甘酢

この3つに共通する「言葉」。

漢字2文字。 何でしょう?

答え:南蛮

「南蛮」という言葉は元々、中国が「南の野蛮な民族」という意味で異民族に使っていた蔑称。
日本でも同じ意味で使われていたが16世紀、ヨーロッパ人との貿易が始まり、ヨーロッパから入ってくるものに「南蛮」とつけられるようになった。
特に「南蛮料理」というと「長ネギ」や「唐辛子」が入ったものを指すようになる。「鴨南蛮」「カレー南蛮」には長ネギが入り「南蛮味噌」には唐辛子が入る。そして甘酢漬けは「南蛮漬け」と呼ばれるようになった。

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2024-02-05(月)

なぞなぞ、ではありません。

一見あるように見えて、

47都道府県で徳島県にだけ

ない乗り物。何でしょう?

答え:電車

普段、私たちはレールの上を走っている列車を「電車」と呼ぶが、列車は大きく「電車」と「気動車」に分けられる。厳密な意味での「電車」とは架線を通して流れる電力で走っている列車のこと。一方、ディーゼルエンジンで動く列車は「気動車」と定義される。
徳島県は全国で唯一、こういった意味での「電車」が県内を走っていない。実際に徳島のひとは地元の列車のことを「汽車」と呼ぶそう。
一体なぜ徳島には電車が走っていないかと言うと、理由は「私鉄が発達しなかったから」。四国の私鉄は比較的小規模で、都市部を通っていることから全面で電化している。都市部は運行本数が多いことから、架線を通して電力を受け取って走る「電車」のコストが低くなるのだ。しかし、運行本数が少ない路線では電車だとむしろ架線の保守管理に費用がかかる。このことから特に地方のローカル線では「電車」よりも「気動車」の方がコストは下がる。
ディーゼルエンジンは環境負荷の観点から言えばやや問題があるが、かといって今から電化するには大変なコストがかかる上に、それに見合った効果は見込めない。こういったことから非電化路線ではバッテリー式や、バッテリーとディーゼルのハイブリッド式といった技術の応用も進んでいる。

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2024-02-02(金)

数字なぞなぞ~

四角の中に「29」、

その外側に「02」

という2つの数字。

これ、なーんだ?

答え:鬼は外、福は内

四角の外側に「02」=「オニ」
四角の内側に「29」=「フク」…

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