FM 福岡 FUKUOKA

MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2023-01-27(金)

配信ライブなぞなぞ~

配信ライブを行う場所を変えてみたところ、

前回以上に、感動的な内容になりました。

配信ライブを行った場所って、

どーこだ?


(原案:T&Yなぞなぞサイト)

答え:寺(寺院)

「寺院」ですると、「ジーン」とした…

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2023-01-26(木)

算数の問題です。

パパがおみやげに

二等辺三角形のケーキを3つ買ってきました。

兄弟は4人。

ナイフを1回だけ使って

ケーキをきちんと4人で分けるには

どうしたらいいでしょう?

答え:上下交互に並べて台形を作り、中心を真横に切る

二等辺三角形の1つを上下さかさまにして、左右をぴったりつけると、台形ができる。
この高さの中心を真横に切ると、小さな(半分の高さの)二等辺三角形が3つと、小さな台形が3つできる。この小さな二等辺三角形3つと、台形1つが等しい。よって、ちょうど4等分になる。

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2023-01-25(水)

現役時代、567本のホームランを打った、

門田博光さん。

それだけの本数を打つために、

いろんなことを犠牲にしてきたそうです。

「170センチしかない人間が、そこまでやろうと思ったら、

とんでもなく○○にならんとおっつかない」

門田さんは何と言ったでしょう?

答え:頑固

「567本のホームランを打つため、自分の人間性がどれだけ変わったか。馬鹿にされて、自分を見失い、楽しい人生も犠牲にしてきた。170しかない人間がそこまでやろうと思ったら、とんでもなく頑固にならんとおっつかないってことです」

体格差をはねかえし、頑固にホームランにこだわり続けた。
アキレス腱を断裂した後は、
「ホームランを打てば足に負担はかからない。これからは全打席ホームランを狙う」
実際、翌年41本のHRを打った。
「その時代のとてつもない数字に自分からトライしていかないと、歴史というのはできないと思う」

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2023-01-24(火)

「ドーピング」というと、スポーツの世界では

大問題ですが、役に立つ「ドーピング」もあります。

電気を通さない「絶縁体」に、他の物質を

「ドーピング」すると、電気が流れるものに変化。

という方法で作られているもの

何でしょう?

答え:半導体

電子機器に欠かせない、ICチップなどの「半導体」。元来物質は、電気を通す「導体」と、電気を通さない「絶縁体」の2つに大きく分けられる。その中で、条件によって、「電気を通したり、通さなかったり」両方の性質を持つものが「半導体」。

一般的に、半導体は、絶縁体のシリコン(Si)にリン(P)をドーピング(注入)することで作られる。元素周期表でSi(シリコン)にリン(P)は隣同士。シリコン原子は4つの電子が一番外側を回っている。そこに、5つの電子が回るリンを入れる(ドーピング)と、電子が1つ余る。その電子が自由に動くことで、元々絶縁体だったシリコンに電気が流れるようになる。それが「半導体」の原理。

※シリコン以外に、ゲルマニウムや、炭素を使った半導体がある。

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2023-01-23(月)

クイズ!おもしろ文房具

キングジムがシリーズで発売している、

「雑学罫線ノート」。

2017年に発売された第1弾は、

何が罫線になっていたでしょう?

答え: 円周率

円周率ノートは2017年にキングジムとロフトから数量限定で発売されたノート。
もともとは、キングジムで2016年ごろに会議で上がっていたが没になっていた企画。
しかし、2017年3月14日の円周率の日に合わせて写真と共にTwitterに投稿したところ、反響があり、ツイートから3日後にはリツイート数が1万2千を超えた。すると、このツイートを目にしたロフトの担当者から連絡があり、3月14日のうちに商品化が決定した。
円周率ノートの大ヒットを受け、2018年に第2弾となる「元号」「百人一首」「素数」「国名」「市名」がノートの罫線になっている『雑学罫線ノート』を発売。さらに2020年にロフトで行われたイベント「文フェス2020」では、第3弾となる「元素記号」「新元号」「常用漢字」が罫線になっているノートを発売した。
円周率ノートの罫線には円周率の羅列(3.1415926535…)が書かれており、目立ち過ぎず、かつ数字が読める大きさに調整されている。このノートの1ページに書かれている数字は約3800桁。ページ枚数は50枚で、サイズはA5。また、日付の部分には「3.14」と書かれている。
第2弾は2018年3月、第3弾は2020年7月に販売開始。第2弾の「元号」は大化から平成まで、「百人一首」は100人の歌人の和歌全て、「素数」は2から5107までの素数、「国名」は193ヶ国、「市名」は日本の市名が全国地方公共団体コード順ですべて記載、というような内容となっている。第3弾は「元素記号」「新元号」「常用漢字」の3種類がある。

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2023-01-20(金)

配信ライブなぞなぞ~

配信ライブをすると、盛り上がりすぎて、

全然終わらず、問題になるおそれがある、

都道府県って、どーこだ?

答え:長崎県

長崎県でやると、長さ危険…

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2023-01-19(木)

北海道のコンクリート会社が開発した

最新のコンクリート「バジリスク」。

一見、ごく普通のコンクリートですが、

中に、微生物が練り込まれています。

このコンクリートがすごいところ、

何でしょう?

答え:ヒビを自分で修復する

北海道苫小牧の會澤(あいざわ)高圧コンクリートが開発した、コンクリート「Basilisk」(バジリスク)は、コンクリートの弱点であるヒビ割れを、自分で修復する、最新のコンクリート。中に練り込まれたバクテリア(微生物)は普段は眠っているが、ヒビが入って、雨水が染み込むと目を覚まして活動開始。
コンクリートと同じ成分の炭酸カルシウムを排出し、ヒビを埋める、という仕組み。そして、ヒビがふさがり、乾燥すると、バクテリアは再び眠る。このバクテリアは200年生きるので、200年、自己修復し続ける。

コンクリートの寿命が長くなれば、インフラが長持ちして、環境への負荷も劇的に減る。正に、SDGsな技術。

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2023-01-18(水)

福岡ソフトバンクホークスのバッティングコーチで

現役時代、主に近鉄バファローズで活躍した

村上隆行さん。

近鉄時代に、村上さんが、よく面倒を

見ていたのが、“ノリ”中村紀洋さんでした。

そんな村上さんと中村さんの野球以外の

共通点。何でしょう?

答え:実家が鮮魚店(卸業)

(Wikipediaによると…)
鮮魚店の息子という共通点もあり、中村紀洋には、兄弟のように接して、ルーキー時代からよく面倒を見ていた。後に、元バレーボール選手の妹(村上浩子)と中村紀洋が結婚したため、義理の兄弟になった。
村上さんが近鉄を退団した後は、中村さんが背番号を3から5に変えて受け継いだ。

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2023-01-17(火)

back numberのボーカル・ギター

清水依与吏(いより)さんは、バンドを始める前、

別の職業を目指していました。

それは、当時の彼女が、

それが好きだったから。

清水依与吏さんが目指していたもの、何でしょう?

答え:お笑い芸人

back numberの清水依与吏さんは、元々、お笑い芸人を目指して勉強していた。というのも、当時の彼女がお笑い好きだったから。しかしある日、彼女がバンドをやってる他の人を好きになって、結局彼女はその男に取られる形になってしまった。そこで、見返してやろうと始めたのがバンド。彼女にとって自分はもう必要のない「バックナンバー」だ、ということで、「back number」というバンド名にした。2004年結成。

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2023-01-16(月)

高橋幸宏さん・細野晴臣さん・坂本龍一さんの

イエロー・マジック・オーケストラ。

1983年、YMOの散開の前、最後に発表したのが

「君に、胸キュン。」。

オリコン1位をとるために作られましたが、

細野さんが作曲した別の曲に阻まれて、

1位にはなりませんでした。

誰の、何という曲が1位だったでしょう?

答え:松田聖子/天国のキッス

君に、胸キュン。 (浮気なヴァカンス)は、1983年3月25日にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ7枚目のシングル。既にグループとしての活動を終えようと考えていたメンバーが、最後にファンや世間を驚かせたいという思いで作られた楽曲。
作詞は松本隆さんが担当。「売れそうな詞を書いてほしい」とストレートに依頼した。CMのキャッチ・コピーである「胸キュン」というキーワードがそのまま使用された。よく聞くとリズムが独特で、バスドラムだけを聞くと、ドン・ドン・ドドストドンという日本人がお祭りで踊れるようになっている。
YMOのシングルとしては最も売れた作品となっている。グループの活動終焉に際して、オリコンチャートや歌番組の各種ランキングで1位を獲得し、晴れて解散する事を目指したが、『ザ・ベストテン』は最高3位、オリコンチャートは最高2位止まりという結果であった。同時期のチャート1位は細野が作曲した松田聖子の「天国のキッス」で、皮肉にも自作曲に阻まれた形となった。

・高橋幸宏さん
1952年(昭和27年)、東京生まれ。小学校5年生頃にはすでにドラムを叩いていた。立教高校在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。武蔵野美術大学在学中の1972年(昭和47年)、サディスティック・ミカ・バンドに加入。ミカ・バンド解散後、1978年(昭和53年)からはソロ活動を開始。そして同年「Yellow Magic Orchestra(YMO)」を結成。高橋の作曲としては「ライディーン」が有名。結成当初、YMOのメンバーはヴォーカルを取らない(ゲスト・ミュージシャンに任せる)という意向を細野は持っていたが、坂本の推薦で高橋が「中国女」のボーカルを手がけたことにより、ボーカリストとしての才能も発揮。またファッション・デザインの才も発揮して衣装のデザインも手掛けていた。

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