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MORNING JAM

問題です!

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2022-04-11(月)

クイズ!マリーアントワネット

18世紀ロココ時代に、貴族文化を牽引した、

マリー・アントワネット。

髪型で流行したのが、「プーフ」と呼ばれる、盛り髪。

高さを競うあまり、頭の上に庭園の模型や、

ある乗り物の模型を乗せるのが流行りました。

何の乗り物を、頭の上に乗せたでしょう?

答え:軍艦

1715年に、強力な絶対君主制(絶対王政)を確立したルイ14世が死去すると、重苦しい宮廷生活から解放された宮廷人を中心に、繊細で華やかな「ロココ文化」が生まれた。
17世紀のフランス文化が「王の時代」で男性的なものだとするならば、18世紀のロココ文化は「貴族の時代」であり、女性的な文化。そしてその中心にいたのが、マリー・アントワネット。
「プーフ」という、高く結い上げ、装飾品で飾り立てた巨大な髪型を流行させる。
作り方は、まず髪粉(小麦粉)を頭にかけて、髪の中にクッションを入れてボリュームを出し、高く盛って結い上げ、ポマードで固定するというもの。そして、リボンやレース、ジュエリーで装飾していた。
次第にヘアアクセサリーがエスカレートしていき、大きなダチョウの羽根や、りんご、バラを挿した花瓶、果ては庭園や軍艦の模型を乗せるように。当時は庭園ヘアや、船盛ヘアと呼ばれていた。
この船盛りヘアは、18世紀のアメリカ独立戦争の際、アメリカ側に参戦したフランスが勝利を祝った髪型とも言われている。
その後、マリーアントワネットが出産し、髪が薄くなったことでプーフをやめて、流行は終息した。

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2022-04-08(金)

藤子不二雄A先生と、藤子・F・不二雄先生。

2人の最後の合作だった作品が、

『オバケのQ太郎』。

この作品のタイトルを

2人が思いついた乗り物、

何でしょう?

答え:小田急線

2人の藤子不二雄先生は、1963年に作ったアニメスタジオへの移動中、新作のタイトルを思いついた。
小田急線(私鉄)の中で、「小田急」→「オバQ」を思いつき、それをタイトルにした、とA先生がインタビューの中で語っている。(2008年)

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2022-04-07(木)

日本語の問題です。

鳥の世界では、子を守るために、

親がわざと、ケガをしているように振るまい、

天敵の目を子から逸らすことがあります。

そんな、ケガしてるふりをした親鳥の姿から

生まれた、三文字熟語。

何でしょう?

答え:千鳥足

酒に酔ってフラフラと歩くことを「千鳥足」という。その由来となったのは、鳥のチドリ。チドリは、子がまだ小さい時に、わざと、ケガをしているように、フラフラと歩き、捕食者の注意を自分にひきつける。その姿を例えて、「千鳥足」という言葉が生まれた。
チドリは他に、捕食者が巣に近づいた時に、親鳥が巣から地上におりて、翼をバタつかせて傷ついて飛べないふりをする種もある。
このような習性を「擬傷(ぎしょう)」といい、チドリやカモなどの鳥類や、一部の魚に見られる。

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2022-04-06(水)

クイズ!ふしぎ歴史エピソード

「No money , No ○○○○」

これは「金の切れ目は縁の切れ目」という意味の

慣用句で、ヨーロッパの国の名前が入ります。

この言葉が生まれた背景にあるのは、古くから、

ヨーロッパのどこかで常に起こっていた「戦争」。

この慣用句に入る国、どこでしょう?

答え:スイス

「金の切れ目は縁の切れ目」という意味の慣用句、
「No money , No Swiss.」(金が無ければ、スイスはない)
ここで言う「Swiss」は、スイス人の「傭兵」のこと。
14世紀に、ハプルブルク家を破り、スイス(の一部の地域)が独立を果たすと、スイス兵の強さがヨーロッパ中に知られるようになる。以降、15世紀から1874年の憲法改正で禁止されるまで、スイス人の傭兵は、ヨーロッパの各地で戦争に参加。元々産業にとぼしいスイスの重要な産業となった。
「No money , No Swiss」はこの時代に生まれた言葉。金がなければ優秀なスイス人傭兵は雇えない、という意味。

※1815年に、スイスは「永世中立国」として認められ、1874年に傭兵の輸出を禁止。傭兵産業は終了した。
※バチカン市国の衛兵のみ、今もスイス兵が担当している。儀礼的要素が強いことから、唯一の例外で認められている。
※スイスは「永世中立国」という立場を守るために、強力な軍隊を持っている。(武装中立)
ただし他国を攻撃する能力は持たず、自国を守る能力。スイスを侵略することで得られる利益よりも、スイス軍の抵抗で生じる損失の方が大きい状況を作ることで、紛争を未然に防ぐ戦略。

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2022-04-05(火)

自分のニオイで

求愛したり、敵を攻撃したり、

はたまた、自分自身が気を失ってしまったりする

生き物、なーんだ?

答え:カメムシ

カメムシのニオイの成分は、アルデヒドや酢酸で、外からの刺激を受けると分泌される。群れでいる場合、1匹がニオイを出すと、周辺のカメムシが一斉に逃げ出すことから、仲間に対しては警報の役割を持つ。しかし、カメムシは、毒を持つ動物の中で珍しく、自分自身にとっても有害。

体の表面は、厚いセメント層でおおわれているので毒素のある体液からは身を守る。
ただし、ビンなど密閉した場所にとじこめると、気化した毒素が拡散しないため、失神し、窒息死することもある。
一方でカメムシは低濃度のニオイを求愛に使うこともある。

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2022-04-04(月)

体重計を発明した、

イタリアの医師、サントーリオ。

「代謝」に注目した彼が、

30年間続けた実験。

どんな実験だったでしょう?

答え:巨大な秤の上で生活する

医療の歴史上、初めて体温計や体重計を作ったのは中世イタリアの医師、サントーリオ・サントーリオ(1561~1636)。イタリアのパドヴァ大学ではガリレオ・ガリレイの同僚だった。

モノの重さを量る「ハカリ」は紀元前5000年頃からあったといわれているが、人間の重さを量るとなると、話は17世紀頃にまで飛ぶ。
サントーリオは、体に入れたもの(食事・飲み水)と、体から出たもの(排泄物)の重さと、それに伴う体重の変化を調べようとした。そこで彼が行ったのは、"実際に大きなハカリの上で生活する”という実験。
当時は、1日の食事が計1㎏だったとすると、排泄物も1kg だろうと考えられていた。しかし排泄物は800gしかない‥・さらに、体重も変わっていない。「差引き200gは、どこに消えたのか?」という疑問が浮かび上がる。彼は、「汗のようなものに変わった」と仮説を立て、およそ30年もこの実験を続けた。これが、現在で言う「不感蒸泄」や「基礎代謝」というもので、人の水分は気がつかない間に汗となって蒸発してしまうことや、栄養分が体の中で代謝されるというものである。
その後、ようやく18世紀頃になって、体重計がヨーロッパの街中やサロンなどに設置され始める。物珍しさもあって反響を呼んだ体重計は、やがて海を渡って日本へ。明治9年(1876年)、東京・上野公園の中に自動体重測定器が設置された。当時は有料で1回2銭。この体重測定器が、日本で初めての”自動販売機”でもあるといわれている。

・ガリレオ・ガリレイとの議論に触発され、振り子を使って脈拍数を測定。脈拍計の開発もした。

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2022-04-01(金)

なぞなぞのようで、なぞなぞじゃない。

今日はいつもの

およそ732倍。

これ、なーんだ?

答え:成人になる人数

最近の新成人の数は年に、およそ125万人。1日平均でおよそ、3400人。
つまり、毎日、3400人ほどが誕生日を迎えて20歳となり、成人になっている。
しかし今日から、満18歳で成年となる。
つまり、今日20歳になった、2002年4月1日生まれから、今日18歳になった、2004年4月1日生まれまで、2年と1日(365+366+1)=732日間に生まれた人が、一斉に「成人」になった。

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2022-03-31(木)

理科の問題です。

鶏(にわとり)の卵を

割らずに、大きくするには、

どうしたらいいでしょう?

答え:酢に漬ける

固い殻のままでは大きくならないが、酢に漬けると、1~2日で、殻が溶けて、(酢酸がカルシウムを溶かす作用)薄い膜だけが残り、ぶよぶよになる。そのまま放っておくと、浸透圧の差で、水分を中に取り込んでいき、殻が溶けてから1日ほど(計3日ほど)で、1.5倍ぐらいの大きさになる。

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2022-03-30(水)

クイズ!ふしぎ歴史エピソード

1880年生まれの、イギリスの学者、コリングウッド・イングラム。

彼は生前、日本を3回訪れました。

1926年、2度目の訪問の時に、日本で

あるものが急速に失われていることを憂いて、

自分で守ることを決意。

イギリスの自宅に持ち帰って、イングラムが亡くなった今も、

大切に守られています。

イングラムが守った、日本のもの、何でしょう?

答え:いろいろな品種の桜

イギリスの鳥類学者で、園芸家のコリングウッド・イングラム(1880-1981)は、別名「チェリー・イングラム」。1902年、21歳の時に初めて日本を訪れ、日本の文化に興味を持った。

第一次大戦後の1919年、イギリス・ケント州の村に新居を構えた時、庭に2本の桜の木があったのをきっかけに、桜をヨーロッパで広めようと思いつく。7年間で集めた桜は100種。

さらに珍しい桜を求めて、1926年、再び日本を訪れる。しかし、24年ぶりの日本の姿に愕然とする。ビルが林立し、木々は失われ、イギリスで自分が育てている桜も、一部はすでに日本では絶滅。「日本の桜が危ない!」と、全国を行脚し、いくつもの桜の枝をイギリスに持ち帰った。それらの桜はすべて接木(つぎき)で今も大切に育てられている。

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2022-03-29(火)

地球上の動物の中で最も大きい

シロナガスクジラ。

1900年頃から、捕獲が禁止された1966年までの間に

およそ36万頭が捕えられ、絶滅寸前になりました。

この時、シロナガスクジラの「声」にある変化が起こりました。

数が減ったことで、声がどのように変わったのでしょう?

答え:声の高さが高くなった

人類の文明に進歩で、鯨を捕まえる技術も進み、1900年頃から乱獲。1966年に世界的に禁止されるまでの60数年間で、36万頭が捕えられたと推計。数は、95%減ったとされている。

この時、シロナガスクジラの声が全体的に高くなった。シロナガスクジラは元々、低音で、数100キロの距離まで声を響かせることができるが、個体数が減って、オスとメスが出会うために、より高い声で「誰かいる?」と叫ばなければ気づいてもらえなくなったと考えられている。(高い音は「大きく」聴こえるため、気づきやすくなる)

1970年代以降は少しずつ個体数が増え、最近は、声もまた「低く」なってきている。「低音」を出すことで、体の大きさをアピールできて、メスはそこに魅力を感じるためだと考えられている。

・シロナガスクジラの声は8~25ヘルツで、人間の耳に、聴こえないぐらい低い。

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