2010年2月アーカイブ

2/28「薩摩藩の飛躍を育んだ竹姫」

今年も、もうすぐ雛祭り。
その主役とも言える雛人形は、女性の一生を見守り続けてきた思い出の品でもあります。
そんな雛人形のひとつが、鹿児島に伝わる薩摩藩五代藩主・島津継豊(しまづ・つぐとよ)の妻:竹姫が、
輿入れの際に持参したといわれる見事な雛人形とお道具類です。

五代将軍・綱吉(つなよし)の養女であった竹姫は、嫁ぎ先が決まりながら、
婚約者が若くして亡くなるという不運に、二度に渡って見舞われました。
その後は不吉な印象と、将軍家との婚姻には莫大な経費がかかるため敬遠されて、
当時としては大変遅い25歳でようやく薩摩藩への輿入れが決まりました。

藩主夫人竹姫は、のちにわずか11歳で八代藩主となった重豪(しげひで)の養育に力を注いで支え、
徳川一族の一橋家から、重豪(しげひで)に妻を迎えて、将軍家とのつながりを深めます。
さらに、重豪(しげひで)のもとに娘が、一橋家に男子が生まれたら縁組みさせるよう遺言して亡くなるのです。

その言葉どおり、重豪(しげひで)には娘:茂姫(しげひめ)が、
一橋家には後の十一代将軍家斉(いえなり)が生まれ、二人は結ばれました。
茂姫(しげひめ)は将軍御台所(みだいどころ)となると大奥で絶大な権勢を誇り、
父親の重豪(しげひで)も外様大名でありながら将軍の舅として薩摩藩の発言力を高めます。
そして、それは十三代将軍家定(いえさだ)とあの篤姫の婚姻へとつながるのです。

藩主夫人として、雛壇の頂点に座るという栄華がもたらす責任を懸命に果たした竹姫。
その生涯を雛人形が今日に伝えています。

2/21「パピープロジェクト」

日本には、現在およそ1,000頭の盲導犬がいます。
それでも盲導犬の数は不足していて、そんな状況を改善するために
日本が昨年初めて導入したのが「パピープロジェクト」です。

これは、子犬のころからある程度大きくなるまで、刑務所の中で暮らす受刑者たちに犬の世話をしてもらうシステムです。
アメリカでは28年前から導入されていますが、パピープロジェクトに参加した受刑者は、再び犯行に走る確率が少ないことや、
また犬にとっても、盲導犬になる最終テストの合格率が1〜2割高いという成果が報告されています。

パピープロジェクトの第1期は、島根県浜田市の刑務所で行われました。
3頭の盲導犬候補の子犬を預かり、担当の受刑者は各々自分たちの居室に犬のケージを置いて、
餌やりや散歩、しつけなどをしながら愛情を注ぎました。
預かった当初はおよそ5キロだった子犬も、9か月間で30キロに成長。
受刑者たちは、子犬の成長を見守ることで「慈しみや他人を許す心を学んだ」と話しています。
パピープロジェクトを修了した犬は、再び日本盲導犬協会の元に戻って、盲導犬になるための本格的な訓練を受けます。

刑務所で行われた修了式では、世話をした受刑者が「立派な盲導犬になれよ」と犬の頭をなでながら、涙を浮かべて別れを惜しんでいました。
彼らは、やがて立派に活躍する犬たちの姿を心に描きながら、「二度と犯罪を起こさないよう更正します」と自分自身にも固く誓っていたそうです。

2/7「華岡青洲を支えた家族」

世界で初めて麻酔薬を使った手術に成功したのは、
江戸時代の医者・華岡青洲(はなおかせいしゅう)です。

和歌山で生まれ育った青洲は、医学を学ぶために京都へ行きたいと父親に申し出ますが、
金銭的な余裕がないことを理由に許してもらえません。
そこで、「私たちが働きますから、どうかお兄さんは医学を学んでください」と応援したのは妹たちです。
青洲は23歳で京都へ旅立ち、妹たちの想いを胸に、寝る間を惜しんで勉強しました。

彼が最も力を入れたのは麻酔薬の研究です。
3年後、和歌山県に戻ってきた青洲は加恵(かえ)と結婚。
加恵もまた妹たちと同じように、包帯の布を織ったり、麻酔薬になる草花を集めたりして、懸命に夫を支えました。
ところが、麻酔薬の完成まであと一歩のところで、本当に人間に効くのだろうかという壁にぶつかってしまいます。

そのとき、「私たちの身体で実験してください」と申し出たのは、年老いた母と妻の加恵でした。
青洲が麻酔薬の研究を始めて、すでに20年。
その間に、大切な妹の一人を乳がんで亡くし、家族は同じ悲しみを乗り越えて、強い絆で結ばれていました。
二人は、試作中の麻酔薬を何度も飲み、加恵は副作用でとうとう目が見えなくなってしまいました。

そんな犠牲の上に完成した麻酔薬。
華岡青洲は世界の医学史に残る医者として、その名が刻まれています。
しかしその陰には、青洲と想いを一つにして夢を支えた、大切な家族の存在があったのです。

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