2013年5月アーカイブ

5/26「父と息子の聖火台」

昭和39年に国立競技場で開かれた東京オリンピックの開会式。
そのシンボルとなった聖火台は命がけで製作されたものでした。

日本はオリンピックの東京招致アピールのため、昭和33年のアジア競技大会開催を目指し、大会のための聖火台の製作を、鋳物の名工、鈴木萬之助(すずき・まんのすけ)さんに依頼します。
「名誉な仕事」と引き受け、夜を徹しての作業が始まりますが、真っ赤に溶けた鉄を鋳型に流し込む「湯入れ(ゆいれ)」という難しい作業で事故が発生。萬之助さんは倒れ入院してしまいます。
納期までわずか1ヵ月。
父の志を受け継いだのは息子の文吾(ぶんご)さんでした。

実は、萬之助さんは事故から間もなく亡くなるのですが、文吾さんが不眠不休で作業に没頭する姿に、家族は父の死も葬儀も知らせないという苦渋の決断を下します。
そして遂に、文吾さんは「湯入れ」に成功。
見事、聖火台は完成し6年後のオリンピックでも聖火が灯されたのです。
その後、「現代の名工」に選ばれ活躍する一方、86歳で亡くなるまで、文吾さんは毎年「父の墓参りのよう・・・」と聖火台を磨き続けました。

文吾さんの息子さんら遺族が引き継いだ聖火台磨きに、今では室伏広治さんなどオリンピック選手や子供達が参加。
父と息子の聖火台は多くの人々の心に温かな火を灯し続けています。

5/19「日本の鉄道の恩人」

明治維新の日本では、西欧との遅れを一刻も早く取り戻すために外国人の力を借りることにしました。
こうして、さまざまな分野から招かれて来日した専門家が「お雇い外国人」と呼ばれた人たちでした。

その第一号となったのが、エドモンド・モレル。
29歳の若きイギリス人青年で、日本に鉄道を建設するために明治3年に来日しました。
モレルはさっそく東京・横浜間の測量から始め、鉄道建設のすべてを日本人に熱心に教えていきました。
その傍ら、将来は外国人に頼る必要がないよう、各分野の技術者を養成する学校を作ることを政府に進言したりもしています。

日本人を愛し、日本の風土を愛したモレルは、寝食を忘れて日本の鉄道建設に没頭。
しかし、過労のために持病の肺結核が悪化します。
それでも彼は毎日工事現場に出てきて、皆を励ましました。
新橋・横浜間についに鉄道が完成し、日本で初めて汽車が走ったのは明治5年。
しかし、その開通式にモレルの姿はなく、一年前に病死しています。
翌日には後を追うように彼の妻も死去。

日本の鉄道の恩人と讃えられるモレル夫妻が眠る横浜の外国人墓地には、二人がこよなく愛した梅の木が植えられ、いまも紅白二色の花を咲かせています。

5/12「デミング博士」

高い品質の製品や、提供するサービスが優れていることで、その企業が受ける賞が「デミング賞」。
米国の統計学者ウィリアム・エドワーズ・デミング博士に由来する賞です。

博士は昭和22年、戦後の日本の国勢調査を指導するために来日。
そこで彼が目にしたのは焦土と化した日本の惨状です。
資源のない日本は、これからどう自立していくのか―
このことが頭から離れず、本来の任務の合間に日本を復興させる手だてを考えます。
日本人の器用さと勤勉さを知った博士は、高い品質のモノ作りによって出直すことが、日本の進むべき道だと考えました。

日本科学技術連盟の招きで昭和25年に再び来日した博士は、「報酬は一切いらない。あなた方の力になれることが何よりの喜び」
と言って、多くの経営者、技術者を集めては品質向上へのセミナーを何度も開催。
その懇切丁寧な講義と指導は、参加者に深い感銘を与えました。

講義録は出版され、博士はその印税を寄付。
それを基に、昭和26年、日本を愛するデミング博士の私欲にとらわれない指導と友情を記念した「デミング賞」が創設されたのです。
そして博士の願い通り、「メイド・イン・ジャパン」は、やがて世界最高品質と信頼性を勝ち取ります。

5/5「初宇宙への招待リスト」

NASAのスペースシャトルは、1981年から30年に渡って延べ800人以上の宇宙飛行士を乗せてきました。
一般乗客の募集を行っていたわけではありませんが、その一方で、NASAでは、将来スペースシャトルに乗ってもらおうという招待リストが作られていました。

たとえば、天文学者のカール・セーダンや、NASAの強力な支援者でもあるゴールドウォーター上院議員、
『宇宙への旅立ち』を書いた作家ジェームス・ミッチェナーなど。
海洋探検家のジャック・クストーや、テレビ解説者のウォルター・クロンカイト、俳優のロバート・レッドフォードらの名前もあります。
彼らの共通点は、皆NASAの大ファンだということ。

ところが、それとは別の招待客リストもあります。
そこには、プロクシマイヤー上院議員や女優のジェーン・フォンダといった名前。
いずれも名うてのNASA嫌いたちなのです。
そのような人たちにも宇宙旅行をプレゼントしたいというNASA。
ただし、こちらは片道切符の招待客。
もちろん、NASAが洒落でつくったリストです。

いずれにしても、スペースシャトル計画は2011年に終了。
NASA嫌いのVIPたちは宇宙へ片道だけの旅行をせずに済み、胸をほっと撫で下ろしたのです。

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