2020年1月アーカイブ

2020年1月25日「亡き友と走る聖火リレー」

1964年の東京オリンピック・男子マラソン。
国立競技場のトラックに2位で戻った円谷幸吉は、大歓声の中、ゴールのわずか200m前でイギリスの選手に追い抜かれて3位銅メダルとなりましたが、
陸上競技唯一のメダルに国中が歓喜に沸きました。

一方、メダル有力候補だった君原健二は8位に終わったのです。
ライバルで親友でもあった円谷選手の栄光に、君原選手は複雑な思いであったと言います。

そして、次のメキシコシティーオリンピック開催年の1月。
メダル獲得へ高まる期待と重圧の中、円谷選手が自ら命を絶つという陸上界痛恨の事態となります。
衝撃を受けた君原選手は葬儀で「メキシコのオリンピックで日の丸を掲げることを誓う」と弔文を捧げ、見事銀メダルを獲得して約束を果たしたのでした。

実は、君原選手もゴール直前で3位の選手に迫られました。
走っているとき、後ろを振り返ることはほとんどないという君原選手でしたが、この時は振り返って気がつき、わずか14秒差で逃げ切ったのです。
「円谷君が振り返らせてくれたのかも知れない」という君原選手。

それから52年を経た今年、君原選手は円谷選手の故郷、福島県須加川市の聖火ランナーに応募して選ばれ、亡き親友と心をひとつにオリンピックの聖火を掲げ走ります。

2020年1月18日「東京風景」

浮世絵師歌川広重は『江戸名所百景』で江戸の町を描いていますが、『東京風景』という版画集で昭和の東京の街並みを描き、「広重4世」と呼ばれた男がいます。
それは日本人ではなくフランス人、ノエル・ヌエット。

フランス語教師として大正15年に初来日したヌエットは、東京の街並みに魅了され、授業の合間にスケッチブックと万年筆、カメラなどを入れた鞄を携えて広重が描いた場所を探し出し、その姿を次々にペン画に仕立て上げました。
以後36年間、フランスが敵対国となった戦時中も日本に留まり続け、戦後の風景も描き続けたのです。

昭和37年、75歳になってフランスに帰国し、パリのアパートの質素な部屋で余生を過ごすヌエットを日本の友人が訪ねたときのこと。
ヌエットは「もう私も年老いた。再び東京を見ることはあるまい」と呟きながら自作の版画『弁慶橋』を愛おしげに撫でました。
しかし日本の近代化が進み、その時既に弁慶橋の上には高速道路が架かっていたことを、友人はヌエットに伝えることができなかったといいます。

彼のペン画から生まれた版画はどれも品の良い色調と落ち着いた空気感が漂い、美しいノスタルジーを見る者の胸に呼び起こします。
在りし日の東京の面影は、ノエル・ヌエットの優れた技によって永く後世に伝わることでしょう。

2020年1月11日「フランツとフレデリック」

音楽の世界で「初見演奏」という言葉があります。
初めて見た楽譜をその場で即座に演奏することで、高度な演奏技術が要求されます。

古今東西で天才的な初見演奏をしたのは「ピアノの魔術師」といわれるフランツ・リスト。
超人的なテクニックで一世を風靡していた若きリストは、パリで同時代の作曲家たちと交遊し、彼らの作品を本人の前で初見で弾きこなしていました。
ワーグナーのオペラの楽譜は頭の中でピアノ用に編集しながら完璧に演奏。
メンデルスゾーンのピアノ協奏曲も完璧に弾きこなし、さらにもう一度弾いてみせた際には楽譜にない即興をふんだんに盛り込み、メンデルスゾーンを呆れさせました。

ただ一度だけ、リストが初見演奏できなかった曲があります。
それは1歳年上の作曲家が作ったピアノ練習曲。
初見演奏に失敗したリストはショックを受けてパリから姿を消します。
そして数週間後に戻ってくると件の練習曲を見事に弾きこなし、作曲家を感動させました。

その作曲家とは「ピアノの詩人」と呼ばれたフレデリック・ショパン。
彼の作品には繊細で詩的な叙情性が溢れていました。
それは当時のリストの演奏にはなかったもの。
だからこそリストは初見演奏ができなかったのです。

自分にない才能との出会いと挑戦。
これを機にリストとショパンは友情を結んでいったのです。

2020年1月4日「2050年宇宙の旅」

未来の世界を描いたSF小説や映画の中に、地上と宇宙を行き来する「宇宙エレベーター」があります。
夢のような話ですが、じつは1960年代から研究が始まっています。

一番の課題は建設するための素材と技術。
ですが、近年になって鋼鉄より強くて軽いカーボンナノチューブという素材が発見され、建設される見通しが立ったのです。
その概要は、地上3万6000km上空の静止軌道に宇宙ステーションを設置し、そこから地上までカーボンナノチューブ製のケーブルを繋いでエレベーターを行き来させるというもの。

日本での開発計画も進み、大学の研究チームは今年、超小型衛星を宇宙に打ち上げて数mのケーブルでミニサイズのエレベーターを動かす、世界初の実験を実施する予定。
また建設会社のプロジェクトチームでは、10年後には建設技術を確立して2050年ごろに完成するという予測を発表しています。

ただこれを実現するためには技術以上に大きな課題があります。
それは、世界の平和。
もし1つの国が宇宙エレベーターを軍事利用すれば、とんでもないことになります。
国家を超えた世界組織で各国が協調し合い、一人一人が地球に生きる共同体としての意識を持つこと、それが宇宙エレベーターを運用していく最大の課題なのです。

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