FM 福岡 FUKUOKA

MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2025-09-26(金)

お彼岸なぞなぞ~

お墓参りで

全然関係ない人のところにお参りしてしまって、

ものすごくびっくりしてる、

みたいな福岡生まれのものって、なーんだ?

答え:博多人形

お参りに行った「墓」が赤の「他人」のところで「ギョー」っと驚く、福岡生まれのもの。
「墓」「他人」「ギョー」…「博多人形」…

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2025-09-25(木)

福岡の伝統工芸品の1つ、「八女提灯」を

大きく発展させたのは、

吉永太平と伊平の兄弟。

太平は提灯の骨組みに長ーい竹ヒゴをらせん状に

巻く「一条螺旋式」を発明。さらに

薄い和紙で中が透けるようにしました。

弟の伊平は、生産のスピードを上げることに成功。

提灯作りの、どの工程を効率化したでしょう?

答え:描画(絵を描く工程)

八女、福島で提灯産業が栄えるきっかけは、吉永太平、伊平兄弟の改良。

長さ4.5mの竹の骨を、サイズにもよるが、12~25本ほど、継ぎながら、らせん状に巻く方法を発明。
軽量で繊細な形を作った。
そこに薄い八女の手漉き和紙を貼り、美しい色の絵を描いた。
ただ、この絵に手間と費用がかかり、大量生産できなかった。
そこで弟の伊平が「早描きの描画法」を発明。
まず原画を作り、色や箇所にあわせて、同じ模様をまとめて描くことをくりかえす。(2本の筆で同時に描くこともある)
これが、時間の短縮につながり、美しさを損なうことなく生産量を増やすことができた。

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2025-09-24(水)

「矢沢さん、これはあなたにしかできないことです」

「世界でまだ、誰もやったことがありません」

これは2003年、ある場所に、矢沢永吉さんを

サプライズゲストとして呼んだ時に、

担当者が矢沢さんを説得した言葉。

矢沢さんは快諾し、イベントは大成功。

矢沢さんを呼んだ「場所」どこだったんでしょう?

答え:東京ディズニーシー

2003年6月、東京ディズニーシー(TDS) 2周年記念のイベントを企画した時の話。

ショーのあとに、矢沢永吉さんにサプライズで歌ってほしいという企画が上がった。
そこでディズニーの関係者は、この2つの言葉で矢沢さんを口説き落としたという。

そこで矢沢さんからは1つの「条件」が。
「これは絶対にサプライズにしてくれ」

もし、事前に広まると、(ちょっとこわい)ファンが集まって、子どもたちが怖がってしまう。だから、サプライズは絶対に守ってほしい。(マスコミにも事前に知らされなかった)

ショーの最後に、サプライズで矢沢さんが登場。
ディズニーの名曲「星に願い江尾」を歌った。

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2025-09-23(火)

中心から、左回りに広がるように

渦巻模様が1回転。

これ、福岡生まれの

あるものについてるマーク。

江戸時代には右回りのものもありましたが、

今は左回りだけになっています。

何についている印でしょう?

答え:上野焼

田川郡福智町。福智山の麓で細川忠興公が開いた「上野焼」。(1602年開窯)

細川家が熊本に移り、小倉に小笠原家が入った頃(1630年代)に上野焼の「印」が、自然発生的に生まれた。

ろくろを回しながら、器の底の中心に描いたもの。
初期は右回り、左回りが混在したが、やがて左回りの印に統一された。

この印を「左巴」という。
(渦巻だけのものも、渦がつながって円になったものもある)

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2025-09-22(月)

バスケの試合、見たことありますか?

試合中、審判は、コートサイドにいる

スコアラーやタイムキーパーに向かって判定を伝えます。

その時、それぞれのチームのことを、

「チーム名」ではなく「色」で伝えます。

何色と何色で呼び分けているでしょう?

答え:白と青

バスケットボールの試合では、コートサイドの中央付近に、「テーブルオフィシャルズ」と呼ばれる、審判を補佐し、試合を管理するための人たちがいる。具体的には、スコアラーやタイムキーパーなど。そして試合中、審判は、そのテーブルオフィシャルズに向かって判定を伝える。
その際、審判はそれぞれのチームのことを、チーム名ではなく、「白」か「青」で伝える。
なぜ「白」と「青」なのかというと、「しろ」と「くろ」だと2文字めがどちらも「ろ」となり、聞き間違いが起きてしまうから。
淡色のユニフォームを着ている方が「白」、濃い色のユニフォームを着ている方が「青」になることが多く、ユニフォームが「青」でなくても、濃い色のチームは「青」と呼ばれる。
(※現在は、青だけでなく、黒、赤、黄色などと表現することもある)

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2025-09-19(金)

Singなぞなぞ~

「セカンド」を2つのひらがなで挟むと、

歌のイベントが

とっても盛り上がるようになりました。

挟んだ2つの文字って、なーんだ?

答え:「て」と「し」

セカンド(second)は「第2の」「2塁」という意味ともう一つ、「秒」という意味もある。
「て」と「し」で「秒」を挟むと、「てびょうし」に…!

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2025-09-18(木)

音楽にまつわる発明の話。

1814年、オランダの発明家、ヴィンケルが

ある「道具」を発明しました。

しかし、翌年、ドイツの発明家、メルツェルが

改良を加えて、勝手に「自分の発明品」として販売。

ベートーヴェンも愛用したことから、

「メルツェルの発明」として広まってしまいました。

音楽で使うこの「道具」、何でしょう?

答え:メトロノーム

音楽を演奏するスピード(テンポ)を合わせる道具「メトロノーム」は、1814年にオランダの発明家、ヴィンケルが発明。
しかし、ドイツのメルツェルが勝手に改良を加えて「メトロノーム」と名前を付けて発売したため、発明家として知られるようになる。

後年、裁判で、メルツェルは敗訴するが、すでに世間的にはメルツェルの名前が知られ、大もうけしたあとだった。

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2025-09-17(水)

八女の福島地区で、200年前に誕生した

とても厳かで、

そして華やかな伝統工芸品「八女福島仏壇」。

最初に作ったのは、指物大工、つまり家具職人の

遠渡三作さん。

彼がある日、仏壇を作ることを思い立ち、

仲間を集めて作ったことで、今も続く伝統工芸品になりました。

遠渡さんが仏壇を作るきっかけ、何だったでしょう?

答え:(仏閣の)夢を見たこと

「八女福島仏壇」は細かい彫刻に漆や金箔などを施した、とても荘厳で華やかなお仏壇。
80以上の工程があり、それぞれ一流の職人の技術を詰め込んだもの。工程のほとんどは手作業。
全国の仏壇にも影響を与えた。

その「八女福島仏壇」を作ったのは指物大工の遠渡三作。
彼がある日、美しい仏閣の夢を見て、その荘厳な雰囲気に感動。それを再現するべく同じ指物大工を集め、仏壇を作った。
折しも「キリシタン禁制」のはつれいがあり、仏壇の需要が増したことから、産業として発展した。

現在は、伝統的なスタイルのものはもちろん、住宅事情にもフィットする新しいスタイルの仏壇もある。

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2025-09-16(火)

音楽用語の問題です。

英語が元になった、日本語の「動詞」。

音楽系の大学生の間で、

昭和30年代には使われていて、

戦時中にもすでに使っていた証言も残っています。

一般的には、1960年代のフォークソングブームで広まった

「動詞」。 何でしょう?

答え:ハモる

和音でハーモニーを奏でる(歌う) という意味で使われる動詞「ハモる」。
一般的には、フォークソングブームの頃に広まったとされるが、言葉自体はもっと古くからあったことがわかっている。
少なくとも、昭和30年代、早稲田のグリークラブで使っていた記録がある。
また、戦時中、戦闘機に乗っていた人が学生時代に「ハモる」を使っていたという証言があり、昭和17~8年頃には使っていたことになる。

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2025-09-15(月)

黒田藩に仕えた儒学者・貝原益軒が、

長生きのすすめを説いた、

江戸時代の大ベストセラー『養生訓』。

その中の教えの一つに、

「〇〇した後にすぐ食事をしてはならない。

また、食事をした後に〇〇してはいけない。」

というのがあります。

食事の前後、何をしてはいけないんでしょう?

答え:怒ってはいけない

今でこそ「人生100年時代」だが、江戸時代は40歳にもなれば隠居暮らしとなり、50歳前後で冥土へ旅立つのが当たり前だった。
そんな時代に堂々と「人生五十歳に達しないと血気が定まらない(五十歳からが本当の人生だ)」と主張し、長生きのすすめを説いて、83歳まで生きたのが黒田藩の儒学者、貝原益軒だ。亡くなる前年、82歳で書き残した健康指南書『養生訓』は当時の大ベストセラーとなり、今もなお読み継がれている。
その中の一部を紹介する。
・快楽について:「何事も、一時的に快楽を覚えることは必ず後で災禍となる」
・労働について:「常に体を動かしていると、気力と血液がよく循環し、食物が詰まらない。これが養生の要である」
・感情について:「怒った後ですぐ食事をしてはいけない。また食事の後で怒ってはいけない」
・呼吸について:「呼吸をしなければ死ぬ。人の体内にある気は天地の気と同じであって、内と外で通じ合っている」
・睡眠について:「夜寝るときは、必ず横向きになって脇を下にして寝ること。仰向けに寝てはいけない」(仰向けに寝ると、気がふさがってうなされることがあるから。ということらしい。)

貝原益軒は、実は生まれつき身体が弱かった。だからこそ、人よりも余計に身体に注意しながら人生を送ってきたと考えられている。(現在は中央区今川の金龍寺に葬られている。)

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